第一話 柴犬とフレンチブルドッグ、どっちがかっこいい問題
犬の丘は今日も晴れ。 ただし柴犬とフレンチブルドッグのあいだの空気は、 朝から少しだけ、曇っている。
犬の丘について
犬の丘は、その名のとおり小高い丘の上にある。
草がふかふかで、走ると気持ちいい。頂上から見渡すと、遠くにでかい木の黒板が立っているのが見える。どのエリアからでも見えると言われているあの木だ。犬の丘からだとちょうど光の角度が良くて、朝は特によく光る。
においの図書館という掲示板がある。バセットハウンドが鼻で集めた情報を絵地図にして貼ってある場所で、「今日の水たまりの深さ」とか「西のほうの草が今週やわらかい」とか、細かいことが書いてある。絵は下手だが内容は正確だ。
走り比べコースもある。グレイハウンドがずっと一位で、挑む子がほとんどいない。
水難救助プールもある。ニューファンドランドが毎朝練習している、あのプールだ。
ここに暮らす犬は十三匹。みんな、どこかしら元気だ。
夜が終わるとき、においが変わる。
土の湿気が薄れて、草の青いにおいが立ちあがってきて、空気がやわらかくなる。犬の丘の朝は、そのにおいから始まる。光よりも先に、においが来る。
柴犬は丘のてっぺんで、それを受けていた。
前足をそろえて、背筋をのばして、しっぽをゆったり揺らしながら。東の空がすこしずつ白くなっていく。何を考えているか、外からはわからない。クールな顔が何かを物語っているように見えるから、みんなあまり話しかけない。
でも本当は、何も考えていない。
においが好きで、空が好きで、だからここにいる。それだけだ。
足音がした。聞き慣れた、すこし弾む足音。
柴犬は、日本生まれの小型犬だ。赤みがかった毛と、くるっと巻いたしっぽが特徴で、一度決めたことはテコでも動かない。独立心が強く、仲間のことを誰よりも気にかけているが、それを顔に出さない。
フレンチブルドッグは、フランス生まれの小型犬だ。ぺちゃっとした鼻と、コウモリの耳みたいにぴんと立った大きな耳が特徴で、ずんぐりしているのに動きがやけに速い。おしゃれが好きで、毛並みをいつも丁寧に整えている。水が大の苦手という秘密があるが、絶対に認めない。
「よう」
「なんだ」
「聞いていいか」
「どうぞ」
「おれとおまえ、どっちがかっこいい」
柴犬は振り向いた。三秒、何も言わなかった。
「……急に何だ」
「急じゃない。ずっと気になってた」
フレンチブルドッグは胸を張った。真顔だ。
「おれは毎日ちゃんと整えてるし、耳もまっすぐだし、歩き方もきれいだと思う。でもおまえの巻きしっぽはずるい。あのクールな顔もずるい」
「ずるいって何だ」
「かっこいいってことだよ!」
柴犬は少し考えた。
「どっちもかっこいい」
「それは答えじゃない!」
「そうか」
「そうだよ! どっちが上かって話をしてる!」
「上とか下とか、決めないといけないか」
「いけない!」
言い切った。
フレンチブルドッグはこういうことを本当に真剣に考える。からかう気持ちは柴犬にはない。ただ、答えが出ない。出す必要がないと思っている。なぜそう思うのかはうまく言えないけれど。
「どっちもかっこいい、というのが答えだ」
「気に入らない」
「知ってる」
フレンチブルドッグが、ぷうっとほっぺたをふくらませた。そのままならんで草の上に座った。
柴犬のほうが、すこし背が高い。フレンチブルドッグは気づかないふりをして、つま先をすこしだけ上げた。柴犬は気づかないふりをした。
気づいていたかどうかは、本人にしかわからない。
風が来た。草がゆれた。しばらく、ふたりとも黙っていた。
「明日も聞く」
「勝手にしろ」
「答えは同じだろ」
「たぶんな」
フレンチブルドッグが「ずるい」と言った。声が、すこし柔らかかった。
どこかから、歌声がした。高くて澄んだ声が、風に乗って届いてくる。どのエリアから来るのか分からない。でも、毎朝聞こえる。
フレンチブルドッグが耳を立てた。何も言わなかった。
ふたりは、ただその声を聞いた。草が、静かに揺れていた。




