序章 ここは動物の国
朝の光は、やさしい。
どこからともなく差し込んできて、草を照らし、岩を照らし、木の葉をぴかりと光らせる。
風がある。草がゆれる。
どこかで鳥が鳴いて、また静かになる。
ここは、動物の国。
正式な名前は、ない。
だれかがつけたわけでも、どこかの地図に載っているわけでもない。
でも、たしかにここにある。
丘がある。路地がある。草原がある。
木々がわさわさ揺れる森があって、枝が空へ向かってのびる林がある。
岩がごろごろした道があって、川があって、池がある。
そして、ちょうど真ん中に、広場がある。
広場には噴水がある。
噴水はいつもさらさらと水を流している。止まったところを、だれも見たことがない。
石でできていて、ちょっと苔むしていて、でも水だけはいつも澄んでいる。
広場のすみに、大きな木がある。
大きい、というのは、かなり控えめな言いかただ。
どのくらい大きいかというと、犬の丘から見えるし、猫の路地からも見えるし、ウサギ草原からも、トリの枝道からも、サルの森からも見える。つまり、この国のどこからでも見えるくらい大きい。
幹は太く、根はどこまでも広がっていて、枝は空へ向かって何本も何本ものびている。嵐が来たことがある。雷が落ちたこともある。でもこの木だけは、一度も揺れたことがないと、だれかが言っていた。
なぜかそばにいると、すこし、あたたかい。
この木に、黒板がかかっている。
でかい。
ものすごく、でかい黒板だ。
どのくらいでかいかというと、ゾウが両手を広げたよりまだ大きい。
木の幹に、どんとかかっている。
黒板の下には、チョークが一本置いてある。
白いチョーク。
だれが置いたのかはわからない。でも、なくなったことがない。使い切っても、翌朝にはまた一本、ちゃんとそこにある。
黒板には、こんなふうに書いてある。
いや、今日のところは、何も書いていない。
真っ白だ。
ただ、真っ白な黒板がそこにある。
このでかい木の黒板には、だれでも何でも書いていい。きまりはそれだけだ。
書き込みが十人分集まると、黒板はいっぱいになる。するとページがめくれて、書かれたものが木の幹の中にしまわれ、あたらしい白い黒板が現れる。
しまわれたページは、いつでも引き出せる。ぺらりとめくれば、過去のことが全部読める。
この黒板が何枚分たまっているのか、だれも数えたことがない。
たぶん、この国がはじまったときからずっと、黒板はここにあったのだろう。
今日は、まだ真っ白だ。
この国のきまりは、ひとつだけある。
**「他のエリアには、勝手に入らない」**
なぜそういうきまりがあるのか、だれも知らない。
むかし、むかし、ずっとむかしからそうなっているというだけで、理由はどこにも書いていない。
きまり帳というものがある。
ウサギ草原に住むネザーランドドワーフという子が管理している几帳面なノートで、きまりのことが細かく書いてある。ネザーランドドワーフは几帳面で、ノートが好きで、きまりを増やそうとするたびに全員に却下されている。でも「きまり帳の係をやめろ」とだれも言わない。なんだかんだで、みんながネザーランドドワーフのことを好きだから。
もうひとつ、夜のきまりもある。
「夜になったら自分のエリアに戻ること」。これはあんまりきつくないきまりだけど、みんなそうしている。
ただし、ひとつだけ例外がある。
広場の奥に、星空テラスというところがある。
石造りのテラスで、草一本生えていなくて、その分だけ空がひらけて、夜はほんとうによく星が見える。
ここだけは、夜でも来ていい。
きまり帳のいちばん後ろのページの、隅のほうに、小さな字でそう書いてある。
知っている子は少ないけど、何人かはこっそり知っている。
エリアとエリアの間には、扉がある。
木でできた、古い扉だ。
鍵穴もあるけど、鍵が刺さっているのを見た子はだれもいない。
扉の向こうは広場だ。
みんな、広場があることは知っている。扉の隙間から、噴水の音がかすかに聞こえてくるから。
でもだれも、扉を押したことがない。
おきてがあるから、というのが理由だ。
「他のエリアには勝手に入らない」。広場はどのエリアにも属していないから、入っていいのか悪いのか、みんなよくわからなくて、なんとなくそのままにしている。
扉の前を通るとき、ちらりと見てしまうことはある。
ほんのすこし、気になる。
でも足を止めるのは一瞬だけで、みんないつもの道を歩いていく。
扉はいつも、静かに立っている。
エリアはいくつもある。
犬の丘には、犬たちが住んでいる。
猫の路地には、猫たちが住んでいる。
ウサギ草原には、ウサギたちが住んでいる。
トリの枝道には、トリたちが住んでいる。
サルの森には、サルたちが住んでいる。
みんな、ここで生まれた。
どこから来たのかは、だれも知らない。
なぜここにいるのかも、わからない。
でも、特に困ってもいない。
なにしろここは、ご飯もあるし、友達もいるし、遊ぶ場所もある。
走り回れる草原があって、木登りできる木があって、泳げる池がある。
毎日何かが起きる。
大したことじゃないけど、その子にとっては大事なこと。
喧嘩もある。すぐ仲直りする。
転ぶことも、うまくいかないことも、はずかしいことも、ある。
でもそれがぜんぶ、この国の毎日だ。
もうひとつ、この国には、だれも知らないことがある。
大きな木の根元に、黒板がある。
根っこの隙間に、ひっそりと、はまり込んでいる。
表面に、文字らしきものが刻まれている。でもだれも読んだことがない。文字の形が、見たことのないかたちをしているから。
これが何なのか、だれも知らない。
いつからそこにあるのかも、わからない。
ただ、ある。
それだけのことだ。
さて。
でかい木の黒板は、今日も真っ白だ。
チョークが一本、黒板の下に置いてある。
だれが最初に手を伸ばすのか、黒板はただ待っている。
急いでいるわけでもない。
何年でも、何十年でも、待てる。
それくらい、この木は古くて、おおらかだ。
広場の扉は、今日も閉まっている。
でも鍵は、かかっていない。
ずっと、かかっていない。
だれも気づいていないだけで、押せばひらく。
ずっと前から、ひらく。
さあ、まずは犬の丘へ行こう。
今日もにぎやかにやっているはずだ。
きっと、走り回っている子がいる。
きっと、誰かと言い合いをしている子がいる。
きっと、どこかで昼寝している子がいる。
そういう毎日が、この国にはある。




