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第9話・アストログマ

「傷の方は痛みますか」


「いや、おかげで助かった」


ゼヴァルの返答は短く、僅かに間を置いて落ちた。

リエルの瞳を正面から受け止めきれず、視線が一度だけ広場の石畳へと流れ、それから再びリエルへと戻る。


「すまない」


言葉の続きを探すゼヴァルの前で、リエルは小さく首を横に振った。


「謝らないでください。助けて頂いたのは、私たちの方ですから」


夕陽が金色の髪を一度なぞるように通り過ぎていった。

リエルの頬に微かな赤みが差し、それから翠緑の瞳が細く弧を描く。


「無事で、本当によかったです」


バルディンが髭の奥で小さく唸り、革帯に差した水筒を指先で弾いた。


「お前さんの方こそ、無理はしておらんか」


「大丈夫です。皆が私の力を必要としています」


そう答えるリエルの声には張りがあったが、語尾に僅かな息の重さが混じっていた。

ゼヴァルは(ほろ)の奥に並ぶ担架へと視線を流す。

布の山が一つ、また一つと小さく上下していた


「休んでなどいられません」


リエルは自分に言い聞かせるように、もう一度そう繰り返した。


「怪我人はまだ多いのか」


ゼヴァルの問いにリエルは静かに頷いた。


「命に関わる方はもう残っておりません。ですが、傷を負われた方はまだ何人も…」


「…そうか」


「里の外壁や建物の修復は順調と伺いました」


リエルの視線が幌の向こうへと流れる。


「少しずつですが、里は回復しています」


「リエル様ー!」


(ほろ)の向こうから若いエルフの声が張り上げられた。

担架が新しく一つ、(ほろ)の下へ運び込まれていくのが見える。

リエルが弾かれたようにそちらを振り返った。


「すぐに参ります!」


声を返し、リエルは二人に向き直って小さく頭を下げた。


「ごめんなさい、行かないと――」


「構わん」


バルディンが髭を一度撫で、穏やかに割って入った。


「儂らも長老殿のところへ向かう途中だった。邪魔をしたな」


リエルは一度だけ瞬き、それから口元をほんの少しだけ緩めた。


「いいえ。お二人の顔が見られて、嬉しかったです」


リエルは二人にもう一度小さく頭を下げると、(ほろ)の方へと足早に駆けていった。

金色の編み髪が小さく跳ねる背中を、二人は静かに見送る。


「さて、儂らも行くか」


「ああ」






二人は広場を抜け、石畳の道を里の奥へと辿った。

夕陽が傾くにつれて白い石の建物の陰が長く伸びていき、道の半ばを黒く塗り潰していく。


道はやがて緩やかな坂となり、白い石の家並みが途切れていった。

代わりに、目の前には里そのものを抱くように立つ一本の大樹が姿を現した。


幹の太さは家屋を幾つも並べても足りない程で、苔むした樹皮に夕陽が差すと古い金属のような深い光が滲んだ。

枝は里の上空を覆い、大樹の葉の隙間から差す光が地面に小さな光の斑を揺らしている。


大樹の根元、盛り上がった根が天然の段を成している場所に一つの影が立っていた。


「目が覚めたようだな」


抑揚のない声が葉擦れの音の隙間から落ちてきた。

ゼヴァルとバルディンは大樹の根の手前で足を止め、エスラドールを見上げた。


「待ちくたびれたぞ」


エスラドールの翠緑の瞳がゼヴァルの左腕へと流れ、袖の下の刻印の在処を探るように留まり、それから顔へと戻った。


「この里がかつてどれほどの静けさの中に在ったのか、お前たちは知らない」


エスラドールはそう言って視線を里の方へと向けた。

傾きかけた陽に照らされた屋根の連なりと、その間に立ち上る復旧の塵が舞っている。


「結界の綻びは既に一本残らず繕った。だが、綻ばせた出来事そのものは、繕い直すことはできない」


バルディンが一歩前に出ようとした。

エスラドールの視線が斜めに落ち、バルディンの足がその場に留まる。


「ドワーフ。お前が何を言おうとしたか、おおよそ見当はつく」


エスラドールは再び視線をゼヴァルに戻した。


「お前たちを責めているのではない。ただ、お前たちが現れなければ、今この時も里は静けさを保ったままだっただろう」


「…」


ゼヴァルは喉の奥で低く唸った。


「そして、お前たちは里の脅威を取り除き、里を守るために闘った」


葉擦れの音が、三人の頭上で一度だけ大きくうねった。


「どちらも紛れもない事実だ」


「何が言いたい」


バルディンが不機嫌そうに腕を組み直す。


「里のエルフのほとんどは、魔人の姿も、お前たちの勇姿も目にしていない」


エスラドールは吐き捨てると、そのまま大樹の根元へと身を返して樹皮に手のひらを添えた。


苔むした幹の表面に淡い緑の紋が走り、樹皮が内側へと静かにずれて人一人が通れる程の扉の形に開いた。


奥からは乾いた木の香りと、仄かな明かりが零れ出している。


「今からお前たちが話すのはそういった人々だということを、肝に銘じておけ。長老がお待ちだ」


エスラドールはそれだけ告げて、扉の奥へと身を屈めた。


「ふん、奴なりの配慮と受け取っておくか」


バルディンが髭の奥で低く息を吐き、扉の方へと顎をしゃくる。


「行くぞ」


ゼヴァルは一度だけ顔を上げ、大樹の梢を仰いだ。

夕陽の残りが葉の隙間で細く揺れ、幾筋もの光がゼヴァルの頬の上を流れていく。

ゼヴァルは視線を戻し、バルディンに続いて扉の奥へと身を屈めた。






扉の奥は、樹の内側がそのまま空間へと変じたような場所だった。

苔を張った土の床が足音を吸い、乾いた木の香と僅かな香草の匂いがゼヴァルたちを出迎える。


幹の内壁は滑らかに磨き上げられ、木目の渦がそのまま壁紙の紋様となって緩やかに流れていた。

高く抜けた天井には細い梁が交差し、その狭間に灯された光石が森の朝霧のような淡い白緑の光を壁の木目に滲ませている。


空間の奥、半円に盛り上がった根の壇の上に、深い緑の長衣に身を包んだ一人のエルフが静かに座っていた。


「来られたか」


背は僅かに屈み、肩にかかる銀の髪は長い歳月の中で白さを増していた。

膝の上に重ねられた指は細く節立ち、その手の甲には薄く浮いた血管が走っている。


しかし、垂れた瞼の奥から覗く翠緑の澄んだ瞳が、入り口から入ってきたゼヴァルとバルディンをしっかりと見据えていた。


「私はガラルセン。このエルフの里、アルフェラスの長をしている」


ガラルセンの左右――扉側の壁際と奥の根の壇の脇にはそれぞれ一人ずつエルフが立っていた。

いずれも苔緑の革鎧を纏い、腰に細身の長剣を帯びている。

腕を組むでもなく、武器に手をかけるでもなくただ静かに視線だけをゼヴァルとバルディンに注いでいた。


エスラドールは長老の壇の傍らへと歩み寄り、壇の手前に並べられた低い木の腰掛けに視線を送った。


「座れ」


ゼヴァルは黙ったまま、その腰掛けへと足を進めた。

バルディンもゼヴァルの半歩後ろに続き、二人はそれぞれ腰を下ろした。


「エスラドールから話は聞かせてもらった」


ガラルセンの視線がバルディン、そしてゼヴァルと順になぞるように向けられた。


「外からの干渉によって結界が綻び、魔人による襲撃が起こり、祝福の加護を受けたハーフエルフが魔人を撃退し、ファイリリエネスを助けたと」


「ガラルセン殿」


扉側の壁際にいた金髪のエルフが遮った。


「お言葉ですが、その者たちが魔人を撃退した証拠がありません。エスラドールの証言も信用――」


ガラルセンは膝の上の右手を僅かに持ち上げた。


「控えよ、ヴォルンドル」


ヴォルンドルと呼ばれたエルフが小さく頭を下げたと同時に、ガラルセンの手が下ろされた。


「そなたらは何故、どうやってこの里へ辿り着かれた」


ガラルセンが静かに尋ねた。


「…森の入口で人影を見かけた。追っていたら、この里に」


「ふむ。ウィスプ…森の妖精であろうな。しかし、あれが里へそなたらを導くことはあり得ぬ」


ガラルセンの人差し指がとん、とんと小刻みに太腿を打った。


「あれはあくまで森に足を踏み入れたものを惑わす類のものだ。別の理由があるであろう」


バルディンが低く唸りながら髭を撫でる。


「確かに、儂らは途中で人影を見失った。迷った先でエルフの嬢ちゃん…ファイリリエネスとやらを見かけて、追いかけたらこの里に、というわけじゃ」


ガラルセンの視線が一瞬エスラドールに向けられてすぐゼヴァルたちへ戻る。

冷ややかな視線だった。


「なるほど。あの愚か者は稀に里の外へ出かける習性があると聞いている。森がハーフエルフを招き、結界がハーフエルフによって破られたことは、森の悪戯か、導きか…」


ガラルセンはそう言って少し考え込んだ後、ゆっくりと口を開いた。


「そなたらはアストログマ、そして祝福について何を知る」


ゼヴァルとバルディンは顔を見合わせた。

ゼヴァルが首を横に振る。


「…何も。ただ、特別な力だということはわかる」


「エスラドールの話によれば、そなたのアストログマは狼のような獣の姿となり魔人を襲ったそうだな」


ガラルセンの声色は先ほどまでより僅かに低く、言葉の一つ一つが空気に置かれていくような運びだった。


「その力の根源は、かつて神話の時代に存在していた聖なる獣。そしてアストログマとは、神話の時代の神々が人類に授けた神秘の力と言われている」


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