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第8話・闘いの傷跡

西へ傾いた陽に辺りが茜色に染められた頃、見知らぬ部屋のベッドに横たわっていたゼヴァルがゆっくりと瞼を持ち上げた。


「ここは…」


白い石を削り出した曲線的な梁が、交差しながら緩やかな円天井を描いている。

銀色の木片で組まれた骨組みの隙間から、柔らかな橙の光が差し込んでいた。


エルフの織物らしい淡い緑の帳が窓辺に揺れ、風が入るたびに光の筋が天井をゆっくりと撫でていく。

ゼヴァルは薄く息を吐いた。


「気を失っていたのか」


胸の上にかけられた毛織の布に触れる。

密に詰まったなめらかな羊毛が柔らかく指先に絡んだ。


右隣から、低いいびきが聞こえた。

木の椅子にバルディンが腰を預けて眠っている。


顎を胸に落とし、組んだ腕を腹の上に乗せた姿勢のまま、豊かな髭が呼吸に合わせて上下している。

椅子の脇の床には、空になった革の水筒が転がっていた。


ゼヴァルがゆっくりとベッドから起き上がろうとすると、バルディンの琥珀色の瞳がゆっくりと開かれた。


「目が覚めたか」


「…ここは?」


「客室だそうだ。あれからもう三日も経ったぞ」


バルディンは大きな欠伸を一つ漏らし、組んでいた腕をほどいて背を伸ばした。

椅子が軋み、豊かな髭が左右に揺れる。


「心配するな、魔物は全てエルフどもが退治した。魔人もあれから姿を見せとらん」


「そうか」


ゼヴァルは袖から覗く左腕の刻印に視線を落としてゆっくりと触れる。

バルディンがそれを目で追う。


「痛むのか」


「いや」


ゼヴァルの手が止まる。


「正直、あまり覚えていない。あの時と一緒だ。アストログマが勝手に発動した」


バルディンは腕を組み、髭を指で一度撫でた。


「祝福、か。難しいことは儂にはわからん」


バルディンが椅子から降りて窓の方へと向かう。


「なんにせよ、無事でなによりだ」


バルディンは窓の外へと目を向ける。


号令に合わせて樹の根が割れた石壁を挟み込むように伸び、砕けた石片を一つずつ元の位置へ運び上げていた。

その脇で別のエルフが茶色の光を石畳に注ぎ、割れた溝を盛った土で継いでいく。


別の場所では薄白緑の光と共に指先から発せられた小さな風の渦が、散らばった木屑と塵を一所へ吹き寄せていた。


少し離れた広場では、幌を張った臨時の治療院の前に怪我人を運ぶエルフたちの列が細く延びていた。


「あの嬢ちゃんにも礼を言わんとな」


バルディンが窓の向こうを見たまま言った。

治療院へ次々に運び込まれる担架と、担架の傍らに膝をついて怪我人の傷口に手をかざすリエルの姿を見つめる。


「儂がこの部屋にお前を運んだ後、怪我人の治療をする傍ら、暇があればお前の見舞いと治癒をしておった」


ゼヴァルが右脇腹に手を当てる。


「この傷も彼女が…?」


「そうだ。祝福の力は凄まじいな」


バルディンが窓辺から椅子の方へと戻る。


「あの嬢ちゃんがいなければ、お前は今頃土に埋められておったかもしれんな」


バルディンが脇から水筒を拾い上げ、指先で振って中を確かめた後、腰の革帯に差し直した。


「それから、エスラドールとかいうエルフから伝言がある」


「何だ」


「目が覚めたら里の奥、大樹の下に来いとのことだ」


「そうか」


ゼヴァルがベッドの縁に手をつき、ゆっくりと足を床に下ろす。


「無理するな。すぐにというわけではない」


「大丈夫」


ゼヴァルは短く答え、床に揃えられていた革靴を履き、外套を肩に羽織った。

ベッドの脇に立てかけられていた剣槍を背負う。


「里の様子も気になる」


「奴…エスラドールとの会話を覚えておるか」


バルディンの問いに、肩に乗せた剣槍の束ね紐を結んでいたゼヴァルの指が途中で止まる。


「結界に綻びを作ってしまったのはおそらく儂らじゃろう」


バルディンが髭の奥で短く息を吐いて、腰の斧を差し直す。


「だが、この里を襲ったのは魔人であって儂らではない」


「…」


窓の外から誰かを呼ぶ低い声が風に乗って届いた。

担架を運ぶ足音が石畳の上をゆっくりと遠ざかっていく。


「あまり気を落とすな」


「…行こう」


ゼヴァルは伏せた目のまま扉の取っ手に手を伸ばした。

バルディンはゼヴァルの背中をしばらく見つめた後、口の中で何かを小さく呟いて後に続いた。






部屋を出た二人は、編み上げの白い石が緩やかな弧を描く廻廊を抜け、階段を下りた先で小さな門をくぐった。

里の石畳に足を置いた瞬間、土と苔と湿った木屑の匂い、その底に混ざる焦げた匂いを風が運んだ。


道の脇、崩れた石壁の傍らで一人のエルフが片膝をついている。


「お前が思っとるより、この里の立ち直りは早い」


エルフの右手から茶色の光が静かに流れ出し、石と石の継ぎ目にそっと注がれていく。

光は溝に沿ってゆっくりと広がり、割れ目を内側から押し上げるように盛った土が繋いでいく。


やがて、割れていた石畳は再び平らな面を取り戻し、エルフの踵の下で小さく鳴った。


「そうだな」


光を注いでいたエルフがふと顔を上げた。

視線が一瞬だけゼヴァルの横顔に留まり、それから石の継ぎ目へと戻され、足早に立ち去っていった。


「集団というのは」


遠ざかるエルフの背中を横目に、バルディンが歩きながら言った。


「得てして、異物に対して敏感なものだ」


ゼヴァルは前を向いたままバルディンの言葉に耳を傾けていた。


「それが何者であろうと、異物に対する行動は敬遠、隔離、排除…いずれにしても、集団を維持するためには都合のいい方法がいる」


二人は石畳に落ちる夕陽の影を踏みながら、ただ前へと歩みを進めた。


「だが、儂らはこの里を守るために闘った。胸を張っていい」


ゼヴァルは黙って頷くも、外套の襟を顔の方へと引き寄せた。

広場の方へ進むにつれ、似た視線がいくつも横切っていった。


砕けた土器の欠片を拾い集めていたエルフ。

幌を張り直す手を止めて顔だけを上げたエルフ。

包帯を巻いた腕を吊ったまま、通り過ぎる背中へ視線だけを投げてくる若いエルフ。

柱の陰で子供を抱いた母親らしきエルフ。


「あのう…」


母親らしきエルフが子供の背中にそっと手を添えながら、柱の陰から一歩踏み出してくる。

ゼヴァルとバルディンは足を止めた。


「…先日は、ありがとうございました」


女性はそう言って頭を下げた。

腕の中に抱えられていた子供が、幼い翠緑の瞳をゼヴァルに向けている。


「この子を…私達を助けてくださって」


ゼヴァルは子の翠緑の瞳を見下ろしたまま、言葉を探して、ただ浅く頭を下げた。

女性に返す言葉をゼヴァルは持っていなかった。


「気にするな。無事でよかった」


バルディンが髭の奥で短く答え、母親に向けて軽く手を振った。

母親はもう一度深く頭を下げた後、その場を立ち去っていった。


バルディンが再び歩き出しながら、ゼヴァルの背中を片手でぽんと押した。


「感謝は素直に受け取っておけ」


ゼヴァルは伏せていた目を僅かに上げ、前を向き直してバルディンの後ろをゆっくりと追った。


やがて、道の先、広場の外れに(ほろ)を張った臨時の治療院が見え出した。

担架を運ぶ列は窓から見たときよりも短くなっていたが、それでも絶えてはいなかった。


(ほろ)の下に並ぶ寝台の上で、包帯を巻かれた手が宙を掠め、差し出された水の器が静かに口元へ運ばれていく。


その(ほろ)の端、夕陽が斜めに差し込む場所に、金色の髪を緩く編んだ後ろ姿があった。


片膝をついた姿勢のまま、横たわる兵の肩口へ両手をかざしている。

指先から流れ出る淡い金色の光が担架の上の布にやわらかな影を落としていた。


ゼヴァルの足がほんの僅かに遅くなった。


治療を終えたリエルがゆっくりと立ち上がる。

額に浮かんだ汗を手の甲で軽く拭い、次の担架へと足を向けようとして、視線がふと、広場の向こう側へと流れた。

金色の髪がふわりと揺れ、翠緑の瞳が大きく見開かれた。


「ゼヴァルさん…!」


リエルの声が夕陽の差す広場の上に響いた。

助手らしき若いエルフに小さく何かを告げ、リエルは足早に(ほろ)の外へと歩み出した。


「目が覚めたのですね!」


間近で見るリエルの顔にはうっすらと疲労の色が浮かんでいた。

目の下に薄い陰りがあり、頬の張りも僅かに失われている。

しかし、瞳は澄んだままゼヴァルを真っ直ぐに見上げていた。


「よかった…」


胸の前で組まれた両手が一度だけ小さく握り込まれた。


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