第7話 魔人
足音が、すぐ近くまで迫った。
魔物の巨体が建物を横切る。
一つ目が、ゼヴァルを睨む。
――低い咆哮が轟いた。
兵たちの動きは遅い。
エスラドールは、腕を組んでいるだけだ。
(関係無い)
ゼヴァルは、剣槍の刃先を魔物へと向けた。
隣に並んだバルディンが、片手斧を肩で担ぐ。
「ここで仕留めるぞ」
「ああ」
二人は、同時に地面を蹴った。
唸り声とともに、岩のような拳が落ちてくる。
ゼヴァルは右へ跳んだ。
バルディンは左に転がり、それをかわす。
拳は、地面を穿った。
砕けた石畳の破片が散る。
土煙が、二人の間に舞い上がる。
ゼヴァルは魔物へ向き直った。
「鈍いな」
「だが、当たればひとたまりも無いぞ」
「ああ。まずは動きを止める」
ゼヴァルが左手を地面に突こうとした――その時。
エスラドールが、右袖の上腕の留め具を外した。
露わになった右腕には、緑色の菱形と六角形の紋様。
肘の先から伸びる細い線が、肩へ向かって枝のように刻まれていた。
「見てられんな」
エスラドールが右手を地面に突く――緑色の光が走る。
――石畳を割り、太い木の根が地面から噴き出した。
魔物の脚をみるみる絡め取っていく。
ゼヴァルとバルディンは、それを見つめる。
「これは……」
「樹のアストログマだな。あ奴め、やるならやると言わんか」
流れるようにエスラドールが長弓を構え、矢を放つ。
「私が隙を作ってやろう」
――ヒュッと風を裂く音。
矢が見えたと思った時には、魔物の膝が抉られていた。
巨体が膝を折る。
「後はお前たちでもできるな」
「ふん、おいゼヴァル!」
バルディンが言うより早く、ゼヴァルは走っていた。
根の張り出した地面を、踏む。
盛り上がった土を足場に、魔物の脚へ跳び移る――水色の光が輝く。
「氷の刃」
左手を添えた刃先が、氷の刃を纏う。
膝の裏へと回り込み、すれ違いざまに切り裂く。
――白い冷気とともに、魔物の膝が凍りついた。
「下がれ、ゼヴァル!」
ゼヴァルの横から、斧を振りかぶったバルディンが跳び込む。
両手で斧を薙ぐ――魔物の左脚を断った。
くぐもった呻き声。
ずん、と地響きが鳴った。
「悪くない働きだ」
エスラドールが二の矢を放った。
――魔物の瞳孔が、矢に射抜かれる。
轟く雄叫び。
巨体がゆっくりと崩れ、土煙が上がった。
黒い塵となり、消えていく。
(やったか……)
ゼヴァルは息をついた。
根を下り、バルディンの元へと向かう。
「大丈夫か」
膝を突いているバルディンへ、手を差し出す。
バルディンがそれを不機嫌そうに掴んで、立ち上がる。
「うむ。しかし、あのエスラドールとかいうエルフめ。結局自分で仕留めよって……」
「だが、的確だった」
「ふん、口だけではないにしても気に入らん」
「お二人とも、お怪我は!」
リエルが二人に駆け寄る。
「問題無い」
ゼヴァルは服から土埃を払った。
「まだ魔物はいる。里の入口の方へ向かうぞ」
「はい……ありがとうございます」
「――いやはや」
声がした方へ振り向く。
――魔物が沈んだ場所に、黒い長衣を纏った人影が立っていた。
先ほどまでは、いなかったはず。
「実に愉快なものを見せてもらいました」
まず目に飛び込んだのは、額から後方へ湾曲する一対の黒い角。
肌は青白く、瞳は暗く、赤い血のような色だ。
薄墨色の髪の下で、微笑を浮かべながら拍手をしている。
「そして、やっと見つけましたよ。箱庭のお姫様」
ゼヴァルが剣槍の切っ先を向ける。
「何者だ。少なくとも人間じゃないな」
「私はアポスタティア。あなた方人類の呼び方に従うなら、『魔人』と呼ばれる者です」
「魔人……!」
バルディンが目を見開く。
「神話の時代の存在だ」
アポスタティアが、首を横に傾けた。
矢が頬を掠めていく。
エスラドールが、保管庫の前から歩み出てきた。
「お前たち、ファイリリエネスを連れて下がれ」
「おやおや、不躾ですね」
アポスタティアは、エスラドールへ無造作に手をかざした。
「――!!」
エスラドールは、横へ大きく跳んだ。
――兵の周りの空間が、音も無く歪んだ。
頭を失った二つの胴体が、遅れて膝から崩れ落ちる。
「酷い……」
リエルが思わず目を背ける。
ゼヴァルは死体を見、それからアポスタティアへ向き直る。
「バルディン、今のは」
「わからん。ただ、奴が手を向けた先の空間が歪んだ……いや、兵たちの頭が突然消えたように見えた」
ゼヴァルとバルディンはリエルを背に庇い、一歩下がった。
エスラドールが、ゼヴァルたちの隣に並ぶ。
「目的は何だ」
「ふふふ。大いなる意思、とでも言っておきましょうか」
アポスタティアが指先で唇をなぞる。
視線がリエルの全身を這う。
リエルの肩が強張った。
「そこのお嬢さんにお話がありまして。お茶会を開きますので、一緒に参りませんか」
「お断りだ」
ゼヴァルが地を蹴った。
剣槍でアポスタティアの胴を薙ぎ払った――はずだった。
「あなたに聞いているわけではないのですが」
振り返る。
アポスタティアは、数歩離れた先で肩をすくめていた。
ゼヴァルは再びそこへ向かう。
――不意に足音が響き、四人のエルフが駆け込んできた。
「来るな!」
エスラドールが叫んだ。
先導していた兵が、足を止める。
目を泳がせ、弓に手をかける。
エスラドールが再び叫ぶ。
「よせ!」
アポスタティアは、気だるげに右手を払った。
――兵の両腕が、消えた。
弓が落ちる。
他のエルフたちは、胸から上が消えている。
胴が、崩れ落ちていく。
「あ、あっああああああ――」
絶叫する兵。
その目の前に、アポスタティアがいた。
「お静かに」
指先が兵の額に触れた――跡形も無く消えていた。
エスラドールの右手が強い光を放つ。
「貴様……!!」
エスラドールが石畳に手を突いた。
――根が噴き出し、アポスタティアの周囲を取り囲む。
バルディンが、それに合わせて手を地に突いた。
「土崩瓦解!」
アポスタティアの足場が崩れ、地面が隆起と陥没を繰り返す。
エスラドールが走りながら、矢筒から二本の矢を抜いた。
「死をもって償え」
二本ともつがえ、放つ。
アポスタティアが右手を掲げた。
「一切を消滅させる力」
エスラドールとバルディンは、同時に目を疑った。
(何が起こった)
何故、奴は無傷でいる。
木の根が無い。
矢も、まるで空白の中へ吸い込まれたように、消えた。
「さあ、一緒に来て頂きますよ、光の女神の祝福を持つエルフのお嬢さん」
アポスタティアが薄気味悪く微笑んだ。
リエルに向けて一歩踏み出す。
応じるように、ゼヴァルとバルディンはリエルの前に並んだ。
剣槍を握り直したゼヴァルの左腕の刻印が、袖の下で強い光を放っていた。




