第6話 襲撃②
リエルを先頭に、ゼヴァルとバルディンは炎と瓦礫の中を駆け抜けた。
「こっちです!」
リエルが細い小道を指差す。
「あとどれくらいだ!」
「もうすぐ広場に着きます。広場を抜ければすぐです!」
「もうひと踏ん張りか。昨日から走ってばっかりだ!」
「舌を噛むぞ」
どこかから悲鳴が鳴り響く。
地面が揺れる。
「どうして里がこんなことに……あっ」
「おっと」
躓いたリエルを、バルディンが腕で支える。
「大丈夫か」
「すみません、ありがとうございます」
「少し足を緩めるか」
「いいえ、大丈夫です」
リエルは衣に付いた土を払い、また走り出した。
そうして、何度目かの小道を折れた先。
不意に、リエルが足を止めた。
(人が……)
石柱が折れて、道を塞いでいた。
その向こうで、女性が赤子を抱えて蹲っている。
女性の片足は、瓦礫の下敷きになっている。
二人も立ち止まる。
「どうした」
ゼヴァルがリエルに目をやる。
――地面が揺れた。
火の粉と石片が降り注ぐ。
女性が、赤子に覆い被さるようにして、守ろうとする。
瞼の裏で、あの子供の姿と重なった。
(助けないと)
足が勝手に動き出す。
「おい、どこに行く」
ゼヴァルがリエルの肩に手を伸ばす。
だが、届かなかった。
リエルは女性の傍に膝を突いた。
赤子が大声で泣いている。
女性が顔を上げた。
「貴方は……」
女性の表情に、戸惑いの色が浮かんだ。
リエルには、それが何故かはわからない。
「どうして……?」
「今、助けます」
かろうじて見えていた女性の膝に、リエルは右手をかざした。
刻印が淡い金色の光を帯びる。
零れた光が女性の脚を包み込んでいく。
二人が追いついた。
バルディンが女性と瓦礫を交互に見る。
「ゼヴァル、手伝え」
「何をだ」
「儂が瓦礫をどかす。お前さんは女性を」
「わかった」
バルディンが屈んだ。
右の手のひらを地面に突く。
革手袋の内側から、茶色い光が漏れ出す。
――僅かに地面が揺れ、石畳が盛り上がった。
瓦礫が上下に揺れる。
女性の脚と瓦礫の間が、最初より空いた。
ゼヴァルが、女性の脇の下に腕を入れる。
「抜くぞ」
「うっ……」
抜けた。
足首が潰れて歪み、血で赤黒く染まっている。
バルディンが立ち上がり、低く唸った。
「折れとるな。手持ちが無いから手当てもできん」
「大丈夫です」
「何?」
リエルは目を閉じた。
震えた子供の姿。
地面が、ひしゃげる寸前。
女性の抱えた赤子の、丸い瞳。
――浮かんだ光景に再び目を開け、光の粒に願いを込める。
(お願い……!!)
――花弁の意匠が、強い光を放った。
光の粒が大きくなる。
女性の脚を柔らかく、包んでいく。
歪んでいた骨が形を取り戻した。
黒ずんでいた肌に、再び血の色が差した。
「――動かせますか」
女性は恐る恐る足首を回し、それから頷いた。
リエルは胸を撫で下ろす。
今度はできた。助けられた。
この力はきっと……このためにあるんだ。
「逃げる場所を探しましょう」
「それならこっちだ」
バルディンが脇道を指した。
「あの方角なら煙は来ておらん。森の外縁まで逃げられるかもしれん」
「大樹の方ですね。里の入口からも遠いですし、良いかもしれません」
「道中に魔物がおらん保証は無いがな」
「大樹の近くには、兵士の方が多くいるはずです。ここにいるより安全なはずです」
「よかろう」
リエルは微笑みながら、女性に手を差し出した。
「立てますか」
「……ありがとうございます」
手は、取られなかった。
女性が立ち上がり、何度も頭を下げる。
リエルを、ちらりと見る。
(なんだろう)
何か、言おうとしていたような。
リエルが聞く暇も無く、女性は脇道へと駆けていってしまった。
「光のアストログマはエルフだけに現れると聞くが」
バルディンが咳払いをした。
「あれほどの傷を、癒やすこともできるのか」
「……本来であれば、掠り傷くらいしか治せません」
「そうなのか?」
「はい。ですが、わたしには祝福の力があるので――」
「お喋りは後だ」
三人は再び走り出した。
次の曲がり角で、血を流して倒れている男性の脇を通り過ぎた。
リエルの足が向かいそうになる。
ゼヴァルの手が、がっと肩を掴んで、それを引き戻す。
「後だ」
「でも……」
「お前一人の手が届く範囲を超えている」
「それでも……見捨ててはおけません」
リエルはその手を振り解いた。
男性の傍に膝を突き、脇腹の傷へ右手をかざす。
――ずしん、と地面が揺れた。
「バルディン」
「うむ。近いな」
また揺れる。
重い音が大きくなる。
ゼヴァルとバルディンは、後ろを見上げた。
――血走った一つ目と、目が合う。
魔物の足がこちらを向き、石畳を踏み砕いた。
ゼヴァルは、リエルへ振り向いた。
「治療は」
「もう少し……」
魔物へと向き直る。
――轟く咆哮。
魔物が迫る。
拳が、振り上げられる。
「バルディン!」
「任せろ」
バルディンが、茶色い光を放つ右手で地面を叩いた。
「土巌壁!」
足元から地面が高くせり上がり、分厚い壁となった。
魔物の拳が、土壁に叩きつけられる。
――響く鈍い音と、吹き荒れる風。
大きくしなった土壁の表面に、亀裂が走った。
「長くは持たん!」
「わかってる」
ゼヴァルが水色の光とともに、左手を前に突き出した。
「氷の風」
――魔物の足元に、霜が走った。
巨体が足を滑らせて転ぶ。
ずうんと音がして、地面が揺れる。
リエルが顔を上げた。
「終わりました!」
バルディンがにやりと笑う。
「よし、ゼヴァル。肩を貸してやれ」
「何故俺が」
「儂は壁を支えるため、手を突いておらねばならん」
ゼヴァルはため息をつき、男性の腕を肩に回した。
バルディンが地面から手を離し、魔物とは逆の方を指差す。
「先へ進むぞ」
「こいつはどうする」
「どこかの物陰にでも隠す。ここに捨て置くよりましだろう」
「……ならバルディンが背負え。もう手が空いているだろ」
「儂は背嚢を背負っとる」
「では、わたしが……」
背後で、硬い土の砕ける音がした。
「……このままでいい」
「すみません、ありがとうございます……」
振り返ることなく、三人は前へと駆け出した。
*
広場を抜ける途中で、男性を木の陰に座らせた。
緩やかな石の坂を上ると、周りより一回り大きな建物が見えた。
石の基礎の上に、白の木材と蔓で組まれた骨組み。
火の手はまだ無い。
「あそこです!」
三人は保管庫に着いた。
入口に、二人の兵が立っている。
三人の姿を見るなり、長弓を構えて矢をつがえた。
「止まれ!!」
「待ってください!」
リエルが、ゼヴァルとバルディンの前へ進み出る。
兵の一人が弓を下ろしかけた。
しかし、ゼヴァルとバルディンを見るや、また弦を引き絞る。
「ゆ、弓を下ろしてください!」
「何事だ」
保管庫の中から、コツコツと軽快な足音が響いた。
木の扉が押し開かれる。
――編み結んだ白銀の髪が、揺れる。
「エスラドール……? どうしてここに」
「備品の補給だ」
エスラドールが、切れ長の目でリエルを睨む。
「お前こそ、何故ここにいるファイリリエネス。後ろの者たちは何だ」
「ええと、それは……」
「大人しくしていろ、と言われて素直に従うとは思っていなかったが」
エスラドールの視線が、ゼヴァルとバルディンへ移る。
「まさかこの事態を引き起こした者たちと、一緒にいるとはな」
ゼヴァルとバルディンが身構える。
エスラドールの視線は、リエルへと戻った。
「やはり、お前は異端だったか」
リエルは息が苦しくなった。
異物、異端、異質――呼び方は違うけれど、どれも、わたしの名前。
声が、喉につかえそうになる。
「……この事態を引き起こしたのは、この方たちではありません」
「何を言う。そこのハーフエルフが結界の綻びを作ったことは、お前も知っているだろう」
確かにそうなのかもしれない。
でも、この人たちは里のために戦ってくれている。
「しかし驚いたな。汚れた人間の血が混ざると、魔物とも手を組むのか」
汚れた人間の血。
どうしてあなたまで、そんなことを言うのですか……。
「おい」
ゼヴァルの低い声。
「それ以上喋るな」
左手が輝き、足元に霜が降りている。やめて……。
エスラドールは霜を一瞥し、ゼヴァルを睨みつける。お願い……。
「薄汚い混血種が、私に命令するな」
「やめてください!!」
リエルは両手を広げ、二人の間に割って入った。
「この方たちと言い争っている時ではありません」
「どけ」
「どきません」
リエルが顔を上げ、エスラドールの目を見返す。
エスラドールは、その翡翠色の瞳の奥に、揺るぎない澄んだ光を見た。
僅かに、感嘆の息を漏らす。
「何故どかない」
「里の皆が傷ついています。ここに来る途中にも、沢山の倒れている方がいました。助けられる命があるのに、ここで言い争って時間を失うことを、わたしは許せません」
エスラドールの脳裏に一瞬、幼い頃の少女の姿がよぎった。
自信無さげに目を逸らし、俯いて里を歩くあの姿が。
「答えはわかったのか」
「……え?」
リエルの肩から思わず力が抜けた。
広げていた両手が下がる。
「檻のことだ。心に聞いてみることはできたか」
「いえ、それはまだですが、何故今その話を……?」
エスラドールはふっと小さく笑った。
リエルは目を疑った。
(今、笑った……?)
信じられない。
この人が笑うところを、今まで一度も見たことがない。
リエルが口を開けたままでいると、エスラドールはゼヴァルへ向いた。
人を寄せつけない、冷たい無表情に戻っていた。
「武器を取り戻して、この里のために戦うつもりか」
「何故それを」
「先のやり取りで大体の真意はわかった」
エスラドールが、顎で保管庫の入口をしゃくる。
「お前たちの荷物ならこの奥にある。だが、一時的にだ」
エスラドールの声が重くなる。
「事が終わった後、お前たちの処遇は長老が決める。それまでは、ファイリリエネスに協力することを条件に、自由を認めてやる」
「言われなくてもそのつもりだ」
ゼヴァルはエスラドールから視線を外した。
バルディンもふんと鼻を鳴らした。
「――」
エスラドールが、兵にエルフ語で命じた。
兵は頷き、建物の中へ消えていく。
「ゼヴァル、大丈夫か」
「何がだ」
「本気でアストログマを使う気だったのか」
「……少し、取り乱しただけだ」
兵が背嚢と、二つの包みを抱えて戻ってきた。
手早く石畳の上に並べていく。
布が解かれ、ゼヴァルが剣槍を掴む。
バルディンが斧を腰に差し、ベルトを締め直す。
それから背嚢を背負い、どんと足を鳴らした。
「――さあ、一仕事だ」
揺れ続ける地面。
重い足音が、ゆっくりと近づいてきていた。




