第5話・白銀のエルフ
白い石造りの建物の間を縫うように伸びる石畳の小道を、リエルを先頭にゼヴァルとバルディンがその背を追う。
曲がるたびに違う方角から悲鳴が聞こえ、銀色の木々の梢の向こうで黒い煙がゆっくりと空を汚していく。
小道を折れた先で、リエルが足を止めた。
倒れた白い石柱が道を塞ぎ、その向こう側にエルフの女性が子供を抱えてうずくまっていた。
女性の足が石柱の下敷きになっている。
リエルは迷わず駆け寄った。
「貴方は…」
女性がリエルの顔を見上げ、声を震わせた。
「お逃げください…」
「今、助けます」
リエルが女性の足に右手をかざす。
淡い金色の光が指先から溢れ、石柱と足の境目を柔らかく包んだ。
バルディンが石柱に両手をつく。
「ゼヴァル、反対側を持て」
ゼヴァルが頷いて石柱の反対の端を掴む。
二人が同時に力を込め、石柱が数寸持ち上がった隙にリエルが左手で女性の足を引き抜いた。
女性の足首は潰れて歪み、革の靴がどす黒く染まっていた。
リエルの右手から零れる光が引いた後、歪んでいた骨の形が戻り、黒ずんでいた肌に血の色が差していた。
「動かせますか」
女性が恐る恐る足首を動かし、小さく頷いた。
子供を抱えたまま立ち上がろうとして、よろめく。
「こっちだ」
バルディンが脇道を指した。
「あの方角なら煙は来ておらん。森の外縁まで逃げられるかもしれん」
「ありがとうございます…」
女性は何度も頭を下げて、子供を抱え直して駆け去った。
「光のアストログマはエルフだけに現れると聞くが」
バルディンがリエルを見上げる。
「傷を癒すこともできるのか」
「はい…ただ、この里でも数名しか光属性はおりません。それに——」
「お喋りは後だ」
三人は再び走り出した。
次の辻で、血を流して倒れているエルフの男性の脇を通り過ぎた。
胸が微かに上下している。
リエルが一瞬足を緩めたが、ゼヴァルが肩を掴んで引き戻した。
「後だ」
「でも…」
「お前一人の手が届く範囲を超えている」
「それでも…見捨ててはおけません」
リエルはゼヴァルの手を振りほどき、男性に駆け寄った。
男性の胸に右手をかざし、淡い金色の光が男性の傷ついた体を包み込む。
その時、地面が揺れた。
建物の屋根瓦が落ちる音と、重い足音が連続して響く。
ゼヴァルが顔を上げた。
行く手の先、四つ辻の向こう側をサイクロプスの脚が横切った。
丸太のような太さの脚が石畳を踏み砕き、建物の角を肩で削りながら通り過ぎていく。
サイクロプスの一つ目が、ゆっくりとこちらを向いた。
「治療は」
ゼヴァルの声は低かった。
「もう少し…」
リエルの指先から光はまだ溢れ続けている。
男性の顔色に僅かに赤みが戻り始めていた。
サイクロプスが咆哮を上げた。
石畳が震え、近くの建物の窓硝子が一斉に砕ける。
巨体がこちらへ向き直り、丸太のような腕が振り上げられた。
「バルディン!」
「任せろ」
バルディンが右手を地に突いた。
茶色の光が右腕の刻印から溢れ、石畳の下の地面が隆起し、四人とサイクロプスの間に分厚い土壁が立ち上がった。
サイクロプスの拳が土壁に叩きつけられる。
土壁が大きくしなり、表面に亀裂が走る。
「長くは持たん!」
「わかってる」
ゼヴァルが左手を前に突き出した。
水色の光が刻印から放たれ、サイクロプスの足元の石畳一帯に薄青い霜が走る。
石畳が白く凍りつき、土壁の向こうでサイクロプスの足が滑る音が響いた。
巨体が体勢を崩したのを確かめ、ゼヴァルは凍結した地面から脚の付け根に向けて、鋭く伸び上がる氷柱を何本も突き立てた。
氷柱がサイクロプスの太腿に食い込み、巨体の動きを一瞬縫い止める。
「終わりました…!」
リエルが叫んだ。
男性の胸は浅くだが、確かに上下していた。
「よし」
バルディンの右手の刻印が再度発光すると、男性の下の石畳がゆっくりと隆起し、男性の体を乗せたまま脇の建物の陰へと滑るように移動させた。
「これで幾分かはましだろう」
「…すいません、ありがとうございます」
リエルが頭を下げた。
「行くぞ」
ゼヴァルが先に駆け出し、バルディンとリエルが後を追う。
支えを失った土壁が、サイクロプスの二度目の拳で砕け散る音が背後に響いた。
三人は振り返ることなく、石畳の小道を駆け抜けた。
小道が緩やかな坂になり、銀色の木々の間を抜けた先に、一回り大きな白い石造りの建物が姿を現した。
リエルが息を切らせながら指差す。
「あそこです!」
建物の入口の両脇に、長弓を構えたエルフの兵が二人立っていた。
三人の姿を見ると、弓の弦を引き絞った。
「止まれ!」
鋭い声が響く。
リエルが先に進み出た。
「待ってください」
兵の一人がリエルの顔を認めて弓を下ろしかけたが、ゼヴァルとバルディンに視線が移ると、再び弦を引き絞った。
その時、建物の中から足音が響いた。
扉を押し開けて出てきたのは、白銀色の髪を後ろで編み結んだ長身のエルフの男だった。
苔緑に染めた革鎧を纏い、背には長弓、腰には長剣を指している。
翠緑の瞳が、ゆっくりと三人を見渡した。
「エスラドール…」
リエルが呟いた。
男の表情は動かなかった。
「何故ここにいる、ファイリリエネス。後ろの者たちは何だ」
エスラドールの声には抑揚がなかった。
「朝方、牢に向かったと聞いた。何をしているのかと思えば、この事態を引き起こした者たちと一緒にいるとはな」
エスラドールは冷たい視線をリエルへ向ける。
「やはりお前は異端だったな」
リエルの肩が僅かに震えた。
だがその震えは一瞬で収まり、リエルは顔を上げてエスラドールを真っ直ぐに見返した。
「この事態を引き起こしたのは、この方たちではありません」
「結界に綻びがあった。昨日侵入したそこのハーフエルフのせいだろう」
エスラドールの視線がゼヴァルに移る。
「まさか魔物を呼び込むとは。汚れた人間の血が混ざると、魔物とも手を組むのだな」
「おい」
ゼヴァルの指先から冷気が薄く滲み出し、足元の石畳に霜が走った。
「それ以上喋るな」
エスラドールの切れ長の目がゼヴァルの指先の霜を一瞥し、再びゼヴァルの顔に戻る。
「薄汚い混血種が、私に命令するな」
「やめてください」
リエルが二人の間に進み出た。
両手を広げ、エスラドールに向き直る。
「この方たちと言い争っている時ではありません」
「どけ」
「どきません」
リエルの瞳の奥には普段の穏やかな光ではなく、芯の通った澄んだ光が宿っていた。
「里の皆が傷ついています。先ほど来る途中にも、倒れている方がいました。助けられる命があるのに、ここで言い争って時を失うことを、私は許せません」
エスラドールは口を閉じ、リエルの目をじっと見つめた。
「…初めて見る、いい目だ」
「…え?」
リエルが広げていた両手が、僅かに下がった。
毅然と張られていた肩が戸惑いに揺れ、驚いたように瞬きした。
エスラドールはゼヴァルに向き直り、建物の入口の方へ顎をしゃくった。
「…お前たちの荷物なら、この奥の間にある」
ゼヴァルとバルディンが顔を見合わせた。
「なぜそれを」
「先のやり取りで大体の真意はわかった。だが、一時的にだ」
エスラドールが入口脇の兵に短くエルフ語で何か告げた。
兵が頷き、建物の中へ消えていく。
「事が終わった後、お前たちの処遇は長老が決める。それまではファイリリエネスに協力することを条件に、自由を認めてやる」
「言われなくてもそのつもりだ」
ゼヴァルは答えると、エスラドールから視線を外した。
バルディンは髭を撫でながら小さく鼻を鳴らした。
しばらくして、兵が奥から背嚢と二つの包みを抱えて戻ってきた。
一つは布で巻かれた長い得物、もう一つは革帯で束ねられた手斧と革のポーチ。
兵が包みを石畳の上に置く。
ゼヴァルは布を解き、剣槍を手に取った。
バルディンは束ねられた包みから手斧を抜いて腰のベルトに差すと、革のポーチを腰の反対側に提げて革帯を締め直す。
そして背嚢を背負い、一つ息を吐いた。
「さあ、一仕事だ」
小道の向こう、先程まで足止めしていた方角から、重い足音がゆっくりと近づいてきていた。




