第5話 襲撃①
地面が震えた。
「きゃっ」
リエルはよろめいて壁に手を突いた。
――直後、鳴り響く悲鳴。
地響きが次々に重なる。
「これは、一体……」
顔を上げる――炎だ。
里の入口の方から。
木々が燃え、黒煙が上がっている。
「うわあああああああ!」
家の間から人の波が押し寄せてくる。
肩がぶつかり、誰かが転んだ。
こっちにも、あっちにも。
リエルは人の波を掻き分け、木の陰へ逃れた。
見上げた炎の向こうに、巨大な影が立っていた。
「あれは……」
家並みがいくつも重なったその上。
山のような灰色の肌。
鼻も口も潰れた顔。
額の中央に据えられた、一つの、目。
「魔物……」
岩のような拳が振り下ろされる。
――地を鳴らす衝撃。
土煙の中に、木片と石片が散る。
また、悲鳴が上がる。
リエルの顔から、血の気が引いた。
「どうして、結界の中に……」
「――下がれ下がれ!」
風を切るような声と足音。
人の流れに逆らい、誰かが坂から駆け上がってくる。
――無造作に後ろへかき上げた、金色の髪。
「ヴォルンドル様……!」
リエルが駆け寄る。
ヴォルンドルが足を止めた。
「何だ、お前か。非常事態だ、何故ここにいるのか今はどうでもいい。さっさと失せろ」
「あの、一体何が……」
ヴォルンドルは舌打ちした。
「破れた結界から、大型の魔物が侵入した。俺が昨日捕らえたクズ共のせいだ」
「結界が、破れた……?」
「そうだ。まさか魔物を呼び込むとは」
ヴォルンドルが、忌々しげに剣を石畳に打ちつける。
「汚れた人間の血め。やはり、あの場で殺しておくべきだった。事が済んだら、俺の手で始末してやる」
リエルは胸が詰まった。
人間を見たことは無い。
けれど、長老や里の古いエルフはいつも口を揃えてこう言う。
『人間は醜く、エルフとは違う』
何が醜く違うのかは、教えてはもらえない。
何が、汚れているのだろうか……。
「じゃあな。せいぜい生き延びろ」
ヴォルンドルは、それきり走り去っていった。
少し遅れて、弓を持った三人のエルフが同じ方向へ駆けていった。
(あっ)
リエルは見た。
彼らの前を、ぬっ、と太い脚が横切ったのを。
何かを叫び、エルフが立ち止まった。
背中の弓を掴む。
――大岩のような手に、振り払われた。
抉れた石畳の上に、瓦礫が舞う。
音が、どんどん遠のいていく。
視界が、ぼやける。
何も、考えられなくなる。
(これは、夢……?)
リエルの頬を瓦礫が掠めた。
鋭い痛みで我に返る。
視界の端で、子供が泣いている。
(行かなければ)
そう思った時にはもう、リエルは子供の傍へ膝を突いていた。
子供の肘は皮膚が裂け、血が滴っている。
「だれ……?」
「もう大丈夫」
子供の頭を撫でてあげる。
「じっとしててね」
「え……?」
リエルは、右手を子供の傷口にかざした。
心臓がうるさい。だめだとわかっている。
でも、目の前で泣いているこの子の力になりたい。
――刻印が、淡い金色の光を帯びる。
『その力は危険だ』
耳の奥から声がした。
光は絶え、リエルの右手から力が抜けた。
「……お母さんと、お父さんの場所はわかる?」
「しらない……」
地面がずん、と揺れる。
「とにかく、逃げましょう。さあ」
「でも……」
「大丈夫」
リエルは子供の背中をさすった。
子供の体から、震えが引いた。
その手を引いて、走り出した。
(この力は、何のためにあるのだろうか)
傷を癒す力はある、それなのに。
……それを使う、力が無い。
リエルは、夢中で走った。
走って、走って、一人の兵士に出くわした。
「お願いです、この子を――」
兵士は目もくれずに走り去っていく。
「待って――!」
背中が遠のいていく。
リエルは立ち止まり、呆然とそれを見つめた。
まともに取り合ってもらえないのは、自分が声をかけたからか。
こんな時、エスラドールがいれば……。
「お姉ちゃん……」
「大丈夫。大丈夫です」
泣きべそをかく子供の頭を撫でてあげる。
わたしが、しっかりしなければ。
リエルは、また走り出した。
家並みを抜ける途中で、子供が躓いた。
繋いでいた手が離れる。
振り返って見上げた先に、魔物が聳え立っていた。
赤く血走った一つ目と、目が、合う。
「お姉ちゃん……」
子供の震えた声。
まだ起き上がれていない。
助けないと――リエルが手を伸ばした矢先、ずしん、と地面が揺れた。
右を向くと、そこにも魔物が立っていた。
「大丈夫。いざとなれば結界を――」
リエルの体が浮いた。
道の先まで飛んだ。
尻もちを突いて、振り向く。
子供の右腕が、白緑色の微かな光を放っていた。
「ありがとう」
その声がした場所に、拳が落ちた。
地面がひしゃげた。
魔物と目が合う。
何も、考えられない。
リエルは、ただ背を向けて走っていた。
誰か、助けて。
薄っすらと、あの二人の姿が脳裏に浮かんだ。
*
ゼヴァルは、石の床に落ちる四角い窓の光を、ただ見つめていた。
「何やら外が騒がしいな」
バルディンが欠伸をしながら、体をぐぐっと上に伸ばす。
退屈そうだ。ここにはぶどう酒はおろか、水すら無い。
「この地震といい、一体何事だ?」
「俺に聞かれてもわからない」
「それもそうか」
ゼヴァルはため息混じりに立ち上がった。
遠回しに、確認しろと言われている。
窓の縁に手をかけ、身を引き上げる。
(あれは……)
遠く向こうで、炎と黒い煙が立ち昇っていた。
そしてその中に聳え立つ、巨大な影。
「サイクロプスがこの里を襲っている」
「何だと? どうして山や谷に住むサイクロプスが、こんな森に現れる」
知る由も無い。
ゼヴァルは別の方角へ目を向けた。
「複数いる」
「サイクロプスが群れで行動することはあり得ん」
「あり得るようだ」
「むうん」
バルディンは何度も髭を撫でた。
「こんなところでふんぞり返っとる場合ではないな。この程度の小屋、奴らなら一発で粉微塵だ」
「だが、どうする」
ゼヴァルは身を下ろした。
この石を素手で壊せそうも無い。
窓は通れる大きさじゃない。
あとは……。
「無理やり扉を破壊するか」
「やむを得ん。騒ぎに乗じて逃げるもよかろう」
不意に、かんぬきが外れる音がした。
二人は身構えた。
開かれる扉の奥を睨む。
――あの金髪のエルフの少女が、肩で息をしながら立っていた。
「お前は、ファイリリエネス、だったか」
乱れた髪の隙間に頬の切り傷。
衣の裾に滲んだ、乾きかけの血の跡。
ただ事ではないと、二人は察した。
「何の用だ」
リエルはただ、肩で息をするだけだった。
瞳の焦点が合っていない。
「おい、聞いとるのか」
バルディンが声を荒げる。
途切れ途切れだったリエルの息の音が、次第に長くなる。
「目の前で、子供が、魔物に……」
か細い声。
ゼヴァルの体に力が入る。
確かに聞こえた。
魔物。
「この里を、どうか……どうか助けて――」
「武器の場所はわかるか」
話はそれからだ。
「この手枷も外したい」
戦いの邪魔だ。
「俺たちが何とかする」
魔物は、全て倒す。
リエルの翡翠色の瞳と、ゼヴァルの青い瞳が、互いの姿を映し合った。
「武器の場所はわかるか」
「……」
リエルは前へ歩いた。
ゼヴァルの手首の枷に右手を添える――淡い金色の光が走る。
枷が音も無く裂け、落ちた。
「おそらく、この先の保管庫に」
バルディンの枷も、同じように落ちた。
ゼヴァルは手を開いては握る。
バルディンに目配せし、扉へと向かう。
「よし、行くぞ」
「うむ」
「どうして……」
消え入りそうなリエルの声。
「わたしたちエルフは、お二人を捕らえていたのに……」
二人の足が止まる。
「この里を助ける理由が、お二人には無いはずです。なのに、どうして――」
「理由がいるのか」
魔物を倒すことに理由がいるなら、お前が教えてくれ。
「悪いが俺にも理由はわからない。だが魔物は倒す、それでいいだろう」
もう、考えたくもない。
ゼヴァルは、振り返らなかった。
バルディンが扉を開けた。
「先に行っておるぞ」
軋んだ音とともに、二人は小屋から出て行った。
リエルは立ち尽くしていた。
(どうして……)
『理由がいるのか』
……いや、理由なんていい。
わたしの言葉に、耳を傾けてくれた、それだけで……。
リエルは、潤んだ目元を拭った。
二人の後を追って、駆け出す。
通路を抜け、小屋の扉を開ける。
「待ってください!」
「遅い」
「道案内は任せたぞ、嬢ちゃん」
緩やかな金色の髪が、ゼヴァルの肩の横に並んだ。




