第41話 長い夜が明ける前②
日が落ちても、町の空気には少し焦げた匂いが残っていた。
鍛冶通りとは反対の街路の方へ向かうことにした四人が、瓦礫を避けながら通りを歩いていく。崩れた家の前を通りかかる。
「あ……皆さん」
ランプを片手にメモを走らせていた人影が、四人に気づいて顔を上げる。
アイウートだった。眼鏡のレンズに、灯りの光が反射する。カイがまず駆け寄り、首を傾げる。
「眼鏡の兄ちゃん、まだ働いてんの?」
「はい。被害の記録が終わらなくて」
「ちょっと眼鏡! 何サボってんの!」
少し先にあった荷車の方から声が飛んだ。書類の束を脇に抱えたカリーナが、ずかずかと歩いてくる。
「今日中に報告書を纏めるんだから、きびきびやってよね――って」
ゼヴァルたちに気づいて、カリーナは書類の束で自分の肩を軽く叩いた。
「なんだ、あんたたちいたの」
バルディンが鼻で返事をする。
「いちゃ悪いのか」
「隊長と一緒じゃなかったの?」
無視するなと怒るバルディンをリエルが宥め、代わりにカイが答えた。
「あの人たちなら行っちゃったよ」
「どこへ」
「知らない」
「はあ? 何よそれ」
カリーナが呆れたように両手を広げた。カイは無邪気に尋ねる。
「オレたち飯食いに行くけど、二人も行く?」
「……気楽なもんね」
カリーナが肩をすくめたその時、荷車の方から声がかかった。
「ヴェルデの傭兵、こっちの確認を頼む!」
「はいはい」
振り返って返事をすると、カリーナはひらひらと手を振った。
「そういうわけだから、あたしたちは仕事。あんたたちはせいぜい遊んでなさい」
言い捨てて、荷車の方へ戻っていく。残されたアイウートが、四人に向き直って軽く頭を下げた。
「あはは、すいません、僕も遠慮しておきます」
眼鏡のずれを直し、ゼヴァルたちが来た道の先へと振り向く。
「もう少し行けば、火の手が及ばなかった街区があります。営業しているかはわかりませんが、お店もあったはずです」
「ありがとうございます。助かります」
リエルが両手を軽く組んで礼を返すと、アイウートは少しだけ口元を緩めた。
「では、僕もこれで」
手帳を革袋に片付け、アイウートも荷車の方へ足早に去っていった。疲れを感じさせない、ぴんと張った背中だった。
「アイウートさん、なんだか嬉しそうでしたね」
「そう? あのカリーナとかいう人に叱られてて、大変そうに見えたけど」
微笑んだリエルに、カイがうーんと首を捻った。バルディンが腕を組んで頷いた。
「同感だ。いけ好かない小娘だ」
遠慮の無い言葉にリエルとカイは苦笑を浮かべ、四人は再び歩き出した。
*
通りを進んでいくうちに、灯りの点った家並みと町の人々、そして露店が見え始めた。
町の空気はどこか沈んでいた。鍛冶通りの火災は、トラーマの活気に影を落とすのに充分な事件だった。
「この辺は無事でよかったね」
重い空気を振り払うように、手を頭の後ろで組みながらカイはのんきに笑った。
開いていた食堂を見つけ、中へと入る。席は疎らにしか埋まっておらず、小さな店内が少し広く感じられる。
「ぶどう酒とミートパイ、あとパンを」
「同じ物を。ぶどう酒は要らない」
「オレは半熟オムレツ! あとピラフ!」
「あ、わたしも、それでお願いします」
テーブルを囲んだ四人の下へ運ばれてきた料理は、どれもリエルの知らない料理だった。
ピラフにオムレツを乗せるのがオレ流、とカイは語り、リエルは興味津々で真似をした。
ぶどう酒を満足げに呷るバルディン。黙って食事を口に運ぶゼヴァル。一口食べて目を輝かせるリエル。
カイはお代わりを頼もうとして、バルディンに呆れられた。
「そう言えばお前さん、今日の宿はあるのか?」
「あー」
食事も終わり間際になったところで、バルディンが言った。カイの目が泳ぐ。
「うん、大丈夫」
「そうか」
バルディンの返事はそれだけ。カイは匙を置き、空になった皿を見つめる。
「……もし、迷惑じゃなければなんだけどさ、オレも……」
言い淀み、匙を置いた手が行き場を失うようにテーブルの上で震える。
「その、一緒に泊めてもらえたり、するのかな。金、無くてさ」
バルディンは鼻先で小さく笑い、深く座り直して椅子を軋ませた。
「初めからそう言え」
*
食堂を後にしたゼヴァルたちは、午前中に取った大通り沿いの宿へと向かった。
幸い火の手は及んでいなかったが、客足はめっきり遠のいていた。
「あんな事件があったのに、町を離れていなかったのか。君らは物好きだな」
宿屋の主人は四人を一瞥すると、そう呟いた。初めより一人増えていることについて、咎める様子は無かった。
ゼヴァル、バルディン、カイと、リエルに分かれて部屋へと戻る。
カイは部屋に入るなり装置を背嚢の隣に下ろし、部屋を見渡した。
「ベッド二つしか無いじゃん」
「小僧は床だな」
「聞いてた話と違うなあ」
文句を言いつつも、カイは床に胡座をかいて装置の基盤を布で磨き始めた。ゼヴァルは寝台の上に片膝を立てて座った。
バルディンは髭の奥で笑い、窓辺のテーブルの椅子に腰を下ろした。
テーブルに置かれたオイルランプに火を灯すと、揺らめく光がぼんやりと室内に投げかけられた。
「小僧、明日からはどうするつもりだ」
取り出した革袋の水筒から、バルディンがぶどう酒を一口含む。カイは手を止めて、声の方へと顔を上げる。
「どうするって、どうもしないけど」
「当てはあるのか。この町の工房はしばらく使いもんにならんぞ」
「まあ、なんとかするよ」
要領を得ない回答に、バルディンは乱暴に口元を腕で拭った。
「なんとかならんだろうから聞いとるんだ。夢だ何だと語っておったが、その壊れたがらくたを修理するんじゃなかったのか」
「がらくたじゃない」
布を握る手に力がこもったカイだったが、言い返せたのはそこまでだった。
「……がらくたじゃない、けど、おっちゃんの言う通り、なんとかなんないのは、オレだってわかってる」
布を握る手を膝の上に置き、装置の縁についた焦げ跡を見つめる。
「だから、ヴァポリアに帰ろうと思う」
バルディンはぐいとぶどう酒を呷り、革袋を握る手をどんとテーブルに置いた。
「夢を諦めるのか」
「違う! 今のオレじゃこいつを直せないから、一度故郷に戻って腕を磨いて……それから、いつかもう一度旅に出て、この世界を見て回るんだ」
「そうか」
バルディンは深く座り直して椅子を軋ませながら、オイルランプの揺らぐ炎を見つめた。
ゼヴァルはそれを物珍しそうに見ている。彼の知る限り、このドワーフが他人にここまで踏み込むことは珍しかった。
「まあ確かに、お前さんの夢はとんだ笑い話だった」
ふっと乾いた吐息がバルディンの髭から漏れる。琥珀色の瞳の中には、オイルランプの小さな炎が燃えていた。
「だが、いい夢だ」
ぽかんとしたカイに見向きもせず、バルディンは椅子から下りて床に置いていた背嚢へと歩いていった。
「昼間の会話を覚えておるか」
背嚢の口を開き、中をごそごそかき分ける。カイは座ったまま、バルディンの背中を不思議そうに見つめる。
「うん、覚えてるけど……?」
「儂は昔、石材や革の加工職人だった」
背嚢を漁っていたバルディンの手が止まり、ゆっくりと引き上げられる。
「かつての儂には、憧れ……と呼ぶべきものがあった」
その手には、手のひらに収まるほどの大きさの、真鍮で飾られた小さな木箱が握られていた。




