第35話 消えない炎①
「小僧、少し下がれ。巻き込まれるぞ」
腕で顔を庇いながら、バルディンがカイの肩を引いた。だが、カイはその場から動かなかった。
浅く息をしながら、ゴーグルの奥の赤い目は燃え続ける一点を捉えて離さない。
「おい、聞いとるのか」
バルディンの声が荒くなる。
エドアルドと猫背の男の応酬は激しさを増していた。飛び散る水と火花がこちらにまで届き始めている。
カイは尚もその場から動く気配は無い。流石のバルディンも、別の疑問を抱いた。
「何を見ている、小僧」
「……いや、オレの勘違いだと思う」
カイの声は小さく、それ以上言葉は続かなかった。
バルディンはふんと鼻を鳴らし、自信無さげに俯く背中に声をかけた。
「勝手に決めつけるな。とりあえず話してみろ」
不躾だが声色はどこか優しく、その言葉は少しだけカイの背中を前に押した。
「……燃え方が、一定っていうか」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「同じ向きで、同じように全部燃えてる……ように見える」
バルディンがほうと唸る。言われて辺りの炎に目をやると、確かに火の揺らぎに不自然さを感じた。
だが、ほんの些細な違和感だった。目を凝らしても、言われなければ気づかない程に。
「何か知っとるのか」
バルディンの問いにカイは首を横に振った。
「いや。でも、昔、こういう火を見たことが、あるような……」
その言葉をかき消すように、爆音が轟いた。
続けて宙を舞う水の獣が水中へ潜り込んでいき、水面がうねり波が押し寄せる。
「わあああああ!!」
瓦礫の近くに身を寄せていた住民たちが、悲鳴を上げた。
膝下だった水位は波に押されてかさを増し、住民たちが行き場を失ったようにうろたえる。
カイとバルディンも波に呑まれた。バルディンは斧を支えに踏ん張りを利かす。
「やれやれ、遠慮無しか。これ程までの水のアストログマ、見たことが無いぞ」
バルディンが呟いた横で、姿勢を保ちきれずにカイは両手を地面についた。
その拍子に、腰の革袋から何かが水面へ滑り落ち、ぽちゃんと音を立てた。
ぷかぷかと水の上を漂い、目の前へ流れてくるそれを、カイはぼんやりと目で追う。
「青霞鉱……」
それは、装置の修理のためにウモラ湿原で拾い集めていた、淡く青みを帯びた鉱石。
魔力を込めると冷気を発し、熱を逃がす魔法の鉱物。
水面を見つめるカイの瞳に、故郷でのある思い出が浮かび上がった。
*
「いいか、カイ。どんな道具も材料も、扱う職人の腕次第でゴミにも至宝にもなる」
赤茶色の髭に、無骨な態度と粗野な笑い声。
炉の前で、赤黒い石を鉄の火箸で摘み上げる大きな背中。
「こいつは、特に扱いが難しい。だが、儂ら職人にとって火は友人」
男の右腕が銅色に輝く。
石が炎に近づけられると、まるで内側から燃えるように赤く脈打った。
火の勢いが膨れ上がり、一定のリズムでゆらゆらと揺れる。
「一人前の職人を目指すなら、覚えておけ。この鉱石の名は——」
*
「——紅火鉱」
現実の炎が、記憶の中の炎と重なる。ゴーグルの奥の赤い瞳に、微かな火が宿る。
「そうだ、この燃え方……」
「こうかこう? 聞き慣れん名だ。鉱石の名前か?」
バルディンがさざめく波を受けながら、よっこらせと立ち上がる。
カイも身を起こし、頬についた水滴を腕で拭う。
「うん、魔力を燃料に燃え続ける魔法の鉱石のことだよ。紅火鉱が生み出す火は特殊で、燃料が切れない限り火が消えることは無いんだ」
バルディンが髭を撫で、カイにちらりと目を向ける。
「この火の原因はそれだと言いたいのか」
「……多分」
バルディンの眼差しは、何かを推し量るように深く据わっていた。
「確証はあるのか」
「……ヴァポリアで師匠が見せてくれた紅火鉱の火と、この町の火の燃え方が、同じに見える」
そう言ってカイがゴーグルを上げた。不安と高揚、そのどちらもが同居する不安定な光を瞳は宿していた。
「それだけだけど、でも、この燃え方は……」
カイが口ごもった傍で、バルディンは髭の奥で密かに笑った。
「試してみる価値は、ありそうか」
カイが目を丸くしてバルディンに振り向く。バルディンは斧を腰に差し、カイを見返した。
「魔力が燃料ということは、何者かがどこかで鉱石に魔力を供給しておるのだろう」
「……うん」
「やれるのか」
「えっ……?」
カイがぽかんとしてバルディンを見つめる。バルディンの眼差しは真剣だった。
「火元となる場所を探し出し、その供給を断つ。できるのか」
カイはすぐには答えられなかった。正面からこちらを見つめるバルディンに、目を背けそうになる。
「おっちゃんは、どう思う……?」
「知らん。儂に聞くな」
素っ気なく言ってから、バルディンは言葉を重ねた。
「儂は、お前に聞いとるんだ」
カイの瞳が揺れた。微かだった火が、大きく点る。
「……へへっ」
ごしごしと鼻を指で擦る。それから、カイはにかっと笑った。
「もちろん、できる! オレに任せてくれ!」
「よかろう」
バルディンが満足そうに頷く。カイは喜びを隠し切れないと言わんばかりに、満面の笑みで返した。
それから、通りの炎をぐるりと見渡す。乱れて見えた火の揺らぎは、申し合わせたように緩く一方へ靡いていた。
「紅火鉱から起きる火は、必ず紅火鉱を中心に広がる」
カイの指が空をなぞっていく。炎が揺らぐ向きと反対——通りの奥、崩れかけた工房の並ぶ方角で、指が止まる。
「火元は、あっちだ」
「よし」
バルディンが通りの方へと向き直り、大きく息を吸い込み、叫んだ。
「おい! 水使いの傭兵!!」
猫背の男が握る細身の長剣の鋭い突きをひらりとかわし、笑い声とともにエドアルドが振り向く。
「僕のことかな。大腿四頭筋と下腿三頭筋が躍動しているこの重要な時に、一体どうしたというのだ」
色々と言いたいことをぐっと呑み込み、バルディンは続けた。
「住民たちを頼めるか! 儂らはこれから、この火を止めに行く」
エドアルドの青い目が見開かれた。口角が上がり、白い歯が覗く。
「グランデ!」
猫背の男の剣先が、再びエドアルドへ迫った。三叉の槍がそれを弾き、火花が散る。
「最高だよ、君たち!」
鍔迫り合いとなるが槍が剣を押し返し、猫背の男は水中へ弾き飛ばされた。
「任せたまえ! ここは、このエドアルドが預かった」
「クソが、一匹たりとも逃がす訳ねぇだろうがぁ!」
尻餅をついた猫背の男が、右手をエドアルドへ向けた。刻印が黄橙色に輝く。
だが、閃光が弾けるより早く水面が膨れ上がった。
男とエドアルドの間に壁のように立ち上がった水が、視界ごと男を遮る。
「ソフィオンは民たちを頼む」
エドアルドが宙をたゆたう水の獣を見上げた。
『これ以上の指図は聞き入れられん』
「またお望みの本を買おうじゃないか」
水の獣の眼が、暫しエドアルドを見下ろす。
『……三冊だ』
「はーはっはっはっ! 商談成立だ!」
水の獣が宙を滑る。住民たちの頭上をゆらりと旋回すると、周囲の水がそれに合わせて押し上がった。
水は半円状に住民たちを包み込みながら、柔らかなドームを形成していく。
内側で、住民たちが一様に目を見開いた。子どもが手を伸ばし、水に指先で触れる。
ゆらり、と波紋が広がった。
「——さあ、行きたまえ!」
エドアルドが手を大きく横に振るう。バルディンとカイは水を蹴った。
だが、数歩目でバルディンの体が傾いた。カイは咄嗟に腕を掴む。
「だ、大丈夫かよ、おっちゃん。別に、オレ一人でも……」
「馬鹿を言え」
バルディンがカイの手を借りて体勢を立て直す。息は切れているが、足は頑として前に向いていた。
「お前さん一人では、道中心許ないだろう」
言い捨てて、早足に歩いていく。カイは慌ててその横に並んだ。
水を割り、炎の奥へと進んでいく。徐々にバルディンの足が速まり、その歩調にカイも合わせる。
「……おっちゃん」
カイがぽつりと呟いた。背後で爆音が轟く。
「ありがとな」
バルディンは何も言わなかった。走る速度が少しだけ上がった。
水位はいつしか浅くなり、やがて足首を洗う程度になっていた。
燃え盛る工房の並びと魔物の影が、赤黒く二人を待っていた。




