第30話 トラーマ、燃ゆる②
「何事だ」
腕で顔を覆いながらバルディンが立ち上がる。火の手と煙が熱を帯びた風とともに、もうここまで達していた。
焦げた匂いが喉の奥に絡み、カイが咳をしながら遅れて立ち上がる。
「げほっ、鍛冶通りで、何かあったのかな」
再び、轟音が鳴り響く。通りの方から逃げ惑う人の波がこちらへも押し寄せてくる。
「おい、何があった」
通り過ぎていく人々に向かって、バルディンが誰へともなく声をかける。一人の男性がすれ違いざまに答えた。
「炉が暴発した! 爆発はまだ続いてる、お前たちも早く逃げろ!」
言い捨てるなり、男は人波に押されて消えていった。バルディンの眉間に皺が寄る。
「炉が爆発か……」
「おかしいね」
カイがぴしゃりと言った。バルディンはカイに振り向き、眉を上げる。
「ほう、何故そう思う」
「この町の工房を沢山見たけど、どれも炉の造りはしっかりしてた。圧が上がりすぎても、煙道からちゃんと抜けるようになってた。そう簡単に、この町の炉は爆発しないよ」
カイの声には熱がこもっていた。髭の奥でバルディンが小さく笑う。
「なるほど。皮肉だが、お前さんのやっていたことに意味はあったようじゃな」
「——ま、魔物だ!」
通りの方から悲鳴が上がった。バルディンが声のした方へ向かおうとすると、カイが慌てて呼び止める。
「ちょ、い、行くの……?」
「ここで突っ立っていても仕方無いだろう」
「でも、行ってどうすんの……?」
戸惑うカイにちらりと目を向けた後、バルディンは斧を肩に担いでのしのしと歩き出した。
「儂にできることをするまでだ」
逃げ惑う人波に逆らいながら、騒動の中心へと真っ直ぐ進んでいく。
カイはその場に立ち尽くしたまま、遠ざかる広い背中を見つめる。
「……くそっ、どうなっても知らないからな!」
円筒を背負い、人にぶつかりそうになりながら、カイはバルディンの後を追った。
*
通りは凄惨な状況だった。幾つもの工房から炎が噴き上がり、火の粉が渦を巻いて舞い上がっている。
建物の屋根は焼け落ち、隣の建物へと火が燃え移っていく。
崩れた工房の隙間からは、炭のように黒い人型の魔物が、燃え盛る炎を纏いながら次々に這い出してきていた。
「ちっ、切りが無い……」
テレーノの商会の傭兵の男が、魔物に斬りかかる。
剣が魔物の胴を斬り裂いたが、辺りの炎が魔物に吸い寄せられ、瞬く間に傷が回復していく。
「お下がりください!」
横から駆けつけた水色の髪の傭兵——アイウートが、薄く水を纏った刃で魔物を両断した。
斬り口から炎が吸い寄せられたが、纏わりついた水がそれを拒む。
動きが鈍った隙に、アイウートは男を魔物の前から引き戻した。
「すまん、助かった」
「い、いえ、お役に立てたようでよかったです。この魔物には、水のアストログマが有効なようです。ここは僕に任せて、住民の避難をお願いできますでしょうか」
男は頷いて走り去った。眼鏡をくいと直して、アイウートは次の魔物へと目を向ける。そこにバルディンとカイが駆けつける。
「アイウート!」
「バルディンさんとカイさん……!? どうしてここに!」
「お前さんこそ、何故ここにいる。ソーリアに戻ったんじゃなかったのか」
アイウートの表情が曇る。近くで見ると、アイウートの顔や腕は傷と火傷痕に塗れていた。
「すいません、やっぱりちゃんと商会に魔人のことを伝えないといけない、と思い直しまして……」
動きを鈍らせていた魔物が、ゆらりと身を起こす。斬り口は既に再生し、体から再び炎を噴き上げている。
「げ、あいつ復活した」
カイがぎょっとして後ずさり、腰のベルトから慌ててスパナを取って握り締めた。
バルディンは斧を構えて魔物との間合いに入り、横目でアイウートを見やった。
「状況は」
「近くの傭兵が続々と駆けつけています。ただ、魔物の数が多く人手が足りていません。それに……」
アイウートの言葉の途中で、バルディンが迫っていた魔物を斧で両断した。しかし、魔物は瞬時に再生する。
「この魔物は倒しても倒しても、炎とともに再生するんです!」
震えた声でアイウートが言う。バルディンは低く唸った。
「ならまずこの火を何とかせねばか」
「そうなのですが、火がどうしても消えないんです」
「どういうことだ?」
バルディンが眉をひそめつつ、魔物を斧で押さえ込む。一拍置いて、アイウートが水を纏った刃で横から魔物を斬り裂く。
「こ、言葉の通りです。いくら水をかけても、火の勢いが収まらないんです。まるで、火そのものが生きているみたいに……」
「難儀だな。不死身の魔物に消えぬ炎……まずはそのからくりを解かねばか」
バルディンが斧を構え直し、こちらにゆっくりと近づいてくる魔物の群れへと目を向ける。
付近では傭兵たちが散り散りに魔物の相手をしていた。倒しても蘇る敵を前に、皆一様に疲弊しているように見える。
逃げ遅れた住民たちは、通りの先で右往左往している。魔物は容赦無くそれに襲いかかり、駆けつけた傭兵もまた、餌食となる。
じりじりと、町は炎に呑まれていた。
「……お二人は、お逃げください」
剣を握り直しながらアイウートが言った。肩で息をしている。
「このままだと、町は火の海です。逃げ遅れた方々もまだ大勢います。バルディンさんの力があれば、この町から逃げられる——」
「馬鹿を言うな」
バルディンが一喝する。
「その数にお前さんが入っておらん提案は、聞き入れられん」
返す言葉が見つからず、アイウートは唇を噛んだ。バルディンは周囲の魔物、そして住民たちへと視線を移す。
「とにかく、こいつらの相手をしても時間の無駄だ。町の者たちの手助けに向かうぞ」
「お、おっちゃん」
カイの声は頼りなかった。
「何だ」
「オレ、二人みたいに戦えないんだけど……」
振り向いたバルディンに、カイが申し訳なさそうに頭をかく。バルディンは息を吐いて前に向き直った。
「旅をしておったなら、魔物と戦ったことくらいあるだろう」
「いや、それは、装置が故障してなかった時の話で……」
「なら自分にできることを探せ」
振り返ることなく斧を担ぎ、バルディンは住民たちの方へと足を向ける。
「戦うだけが全てではない。何でもいい。この状況で手を拱いている暇があったら、考えろ、小僧」
言い残して、バルディンは駆け出した。アイウートも剣を構え直し、その後に続く。
「考えろって……」
カイは一人、その場に取り残された。
人々の悲鳴、崩れ落ちる家屋、降りかかる火の粉、熱を孕んだ風。
どれもがカイを急き立て、スパナを握る手にじわりと汗が滲んだ。
「オレに、何ができるってんだよ……」
*
ヴァポリアはいつも蒸気と鎚の音、それから鉄の匂いに満ちていた。
「ネジが緩い。お前の作る物は、まだまだ詰めが甘い」
父の背中は大きかった。
炉の前に立ち、鋼を打つその姿に追いつきたくて、カイは四歳の頃に見様見真似で道具を握り、六歳の頃から工房に立った。
最初は上手くいかなかった。木槌で自分の指を打ち、歯車が噛み合わず床に転がり続けた。
「これは?」
母が目を丸くする。
七歳になったある日、小さな機械仕掛けの人形を作った。ぜんまいを巻くと蒸気で腕が持ち上がる、不格好な玩具。
継ぎ目から蒸気が漏れ、腕はぎこちなく震えるばかりだったが、人形が動いた時、母は嬉しそうに顔を綻ばせた。
「よくできてる」
父は人形を見るなり、ぶっきらぼうにそう言って、どこかへと行ってしまった。
初めて褒められた。背を向ける間際、垣間見えた父の口元が、ほんの少しだけ緩んでいたように見えた。
それからも、カイは工房に立ち続けた。
誰かに喜んでほしい、自分の作った物で笑ってほしい、誰かの役に立つ物を作りたい。
その一心で、何かを作り続けた。それは今も変わらない。それがカイの全てだった。
*
「——カイさん!」
アイウートの呼び声で、カイの瞳の焦点は再びトラーマの町へと戻った。
「ぼさっとしてると置いていくぞ」
アイウートの手前からバルディンも声をかける。カイは腕で顔を拭うように擦り、今行くと声を張った。
バルディンが前へと走り出したのに合わせて、アイウートとカイが後に続く。
「アイウート、さっきの連携は悪くなかった。お前さんの水のアストログマ、頼りにしておるぞ」
「えっ」
一瞬、アイウートはぽかんとしたが、眼鏡を直しながら小さく笑った。
「は、はい!」
魔物に襲われかけている住民たちの元へと三人は急ぐ。
その最後を走るカイの表情は、まだ冴えない。炎と喧騒の間を彷徨うように、揺れていた。




