第29話 トラーマ、燃ゆる①
ゼヴァルの瞳は、凪いだ水面のようにただ光を反射していた。
「あの時答えただろう。わからないと」
「わからないって……どうして、わからないのですか」
もどかしさのあまり、リエルの声は上擦ってしまった。
ゼヴァルはしばらく口を閉ざしていた。やがて発せられた声は、言葉とは裏腹に酷く静かだった。
「俺の故郷は幼い頃、魔物に滅ぼされた」
リエルの表情に陰が落ちた。淡々と、ゼヴァルは続ける。
「俺は何もできなかった。あれからずっと、故郷を滅ぼした魔物を探している。だが十三年経った今も、その魔物は見つけられていない」
ゼヴァルの視線はまだ人の波の中にあった。誰に焦点を合わせるでもなく、ただ虚空を見つめているように。
「だからずっと魔物を倒し続けている。それは誰かのためではない。ただ、お前と同じようなことを、バルディンも言っていた」
「バルディンさんは、何と……?」
「理由はどうであれ、誰かの役に立ったならそれは、誰かのための行動だ、と」
言葉を探すように、ゼヴァルは束の間一つ息を吐いた。
「だから、わからない。何のために魔物を倒すのか、誰のために魔物を倒すのか、考えれば考える程にわからなくなる。わからないから……俺は魔物を倒し続けるしかない」
振り向いたゼヴァルの表情は、リエルには空白に見えた。怒りでも悲しみでもない。空っぽだった。
「お前の里もお前のことも、結果的に助けただけで、俺はただ魔物を——」
「ゼヴァルさん」
リエルはゼヴァルの言葉を遮った。膝に抱えた荷物をぎゅっと抱き寄せる。
「わたしは、ゼヴァルさんにとても感謝しています」
穏やかな声で、そっとゼヴァルに語りかける。
「里を救って頂いたことはもちろん、でも何よりも……わたしは、ゼヴァルさんに救われたんです」
ゼヴァルが首を傾げると、リエルはベンチに背中を預けてふうと息をついた。
「ソーリアで、ゼヴァルさんに酷いことを言ってしまいました。謝らせてください」
そう言ってゼヴァルに振り向き、ぺこりと頭を下げて微笑む。
「やっぱり、ゼヴァルさんはお優しい方なんですね」
黙ったままのゼヴァルと目が合い、リエルは少し慌てた様子で荷物に目を落とした。
突然、地を揺らす轟音が遠くから響いた。
火の手とともに、黒い煙が向こうの空から上がっている。遅れて、人々の悲鳴が波のように押し寄せてくる。
「な、何が……」
「北の方からだ」
二人は立ち上がる。広場のざわめきは、次第に緊迫した色を帯びつつある。
人々が煙を指差し、口々に何かを叫んでいた。火事だ、鍛冶通りの方からだ、という声があちこちで上がっている。
「眼鏡の若い傭兵が、一人で飛び込んでいったぞ——」
誰かが言った。
二人は顔を見合わせる。ゼヴァルは動けなかった。リエルは煙の方角へと、踏み出す。
「ゼヴァルさん」
リエルの声は透き通るように、広場のざわめきの中ではっきりと響いた。
「理由は後で考えましょう。今はただ、わたしに付いてきてくださいませんか」
その言葉に導かれるように、気づけばゼヴァルの足はリエルの背中を追っていた。
*
時は遡り、鍛冶通りがいつもの騒がしさにまだ満ちていた頃。
あちこちの工房から鎚の音が響き、炉の熱気が通りの上に揺らいでいる。
鉄と煤の匂いが鼻をつき、開け放たれた戸口の奥で、汗を拭いながら鋼を打つ職人たちの姿が自然と目に入った。
バルディンは腰の斧に腕を預けながら、そのざわめきの中をゆっくりと歩いていく。ふと、足が止まった。
「二度と来るな! うちはお前の玩具の面倒を見る場所じゃねぇ!!」
怒鳴り声とともに、一軒の工房からカイが突き出されるように出てきた。たたらを踏んで、尻餅をつく。
「そいつを直したけりゃ、自分でやれ。理想も現実も弁える、それが職人ってもんだ」
髭を蓄えた恰幅の良い男は吐き捨てて、乱暴に扉を閉ざした。
カイは扉を茫然と見上げている。傍らには、黒鉄の箱のような物が付いた、鈍く光る円筒型の銅の塊がぽつんと置かれていた。
「間が悪かったようじゃな」
カイの元へ歩み寄りながら、バルディンが声をかけた。カイが顔を上げる。
「おっちゃん……」
「バルディンだ」
バルディンの手を取り、カイが立ち上がる。服についた埃を、パンパンと無造作に払う。
「斧の手入れを頼もうと思っていたが、どうやら難しそうじゃな」
カイは何も言わずに、銅の塊へと向かった。屈み込んで革紐に両腕を通し、背中に担ぎ上げる。
手甲を付け、ハーネスを胸の前で締めると、円筒の塊がぴたりと背に収まった。
円筒の両側から伸びた細い金属の配管が、カイの両腕の手甲へと這うように走っている。
「それは何だ?」
バルディンが物珍しそうに尋ねる。カイは呟くように答えた。
「機械だよ」
「機械……?」
バルディンがきょとんとする。
「機械とは何だ」
カイが振り返る。何をそんなに聞きたがるのか、と訝しげにバルディンを見つめた。
「言ってもわかんないよ。おっちゃん、工房の人間じゃないだろ」
「……昔、石材や革の加工と、鍛冶をしていたことはある」
髭の奥で、歯切れ悪くバルディンが言った。カイはへえと目を丸くした。
「そうなんだ」
ぽりぽりと頭をかく。炉の熱気と鎚の音が、二人の間を通り過ぎていく。
「……場所、変えてもいい? 立ち話もなんだろ」
「そうじゃな。立ったままでは据わりが悪い」
二人は鍛冶通りを少し歩き、路地へと入った。
道の端の手頃な石へと腰を下ろす。カンカン、と鉄を打つ音と人々の声が、心なしか遠のいた。
「よっと」
カイが背負っていた機械をハーネスごと下ろし、傍らに置いた。
バルディンは革袋のぶどう酒を一口呷ると、改めてそれに目をやった。
「この機械というやつは、お前さんが作ったのか?」
「……そうだよ」
「少し触っても構わんか」
カイはうん、とだけ返事をした。
バルディンが指で円筒の側面をそっと撫でる。継ぎ目をなぞり、弁の収まりを確かめ、配管の分岐部へと指を移していく。
「見事な作りだ。本当にお前さん一人で作ったのか?」
「……バレた?」
カイは決まりが悪そうに、額のゴーグルの位置を直した。
「実はヴァポリアの腕利き職人に、作るの手伝ってもらったんだ」
「ヴァポリア……聞いたことの無い地名じゃな。どこにある国だ?」
「国じゃなくて、ここからずっと北にある街だよ」
カイの声に熱がこもった。
「ヴァポリアは蒸気機関の街なんだ。街中に配管が通ってて、ふいごもポンプも全部蒸気で動いてる。機関車だってあるんだぜ」
「蒸気……」
バルディンがぽつりと呟いた。髭を撫でていた手が、不意に止まる。気づく様子は無く、カイは続けた。
「そんな街だから、職人も沢山いる。オレも鍛冶屋をやってる親父に憧れて、職人見習いになったんだ。こいつはオレの、最高傑作」
そう言ってバンと円筒を叩くと、カイはからりと笑った。
「まだ試作段階だけどね」
笑い返すことなく、バルディンはぶどう酒を一口含んだ。止まっていた手が、再び豊かな髭を撫でていく。
「その最高傑作とやらを抱えて、何故工房から放り出された」
カイの笑みがぴたりと止まった。
「……何だ、見てたんだ」
「まあな。本意ではない」
カイは小さく息をつくと、傍らの円筒に目を向ける。
「こいつ、壊れちゃったんだけど、作りが精密すぎてオレじゃ直せないんだ。設計したのはオレなのに、笑えるよな」
力無く笑って、指先で基盤をなぞっていく。
「トラーマへは、こいつの修理のために来たんだ。でも、どこの工房に行っても門前払い。働くから、って言ってもオレの技術じゃ全然役に立てなくて」
バルディンは口を挟まず、相槌も打たずただカイの言葉が続くのを待っていた。
その静けさに促されるように、カイは話を続けた。
「だから、トラーマの工房見習いってのも、実は嘘なんだ。ごめんよ、嘘ついて」
へへ、と乾いた笑いが零れる。バルディンは構わんと短く答えた。
少しの沈黙の後、カイは膝を抱えて再び口を開いた。
「オレ、昔から失敗ばっかりでさ。オレが作る機械は部品が足りてなかったり、すぐ故障したりで……周りにも親父にも全然認められなかった」
バルディンはぶどう酒を呷った。空になってしまった革袋を、ぎゅっと握り潰す。
カイは腕に顎を乗せ、どこを見るでもなく、路端の小石に視線を落とした。
「旅に出れば何か変わるかもしれない、この世界を見て回って、世紀の大発明を思いついて、いつか故郷のみんなをびっくりさせてやる……それがオレの夢だったんだけど、上手くいかないもんだなあ」
革袋を握り締めるバルディンの手には、強い力が込められていた。
「小僧——」
突如として、轟音が路地を切り裂いた。
遅れて熱風が路地を吹き抜ける。焦げた匂いと砕けた何かの破片が、二人の頭上を越えて散っていく。
耳鳴りの奥で悲鳴が上がり始めた。二人が顔を上げると、鍛冶通りの一角から黒い煙とともに火炎が噴き上がっていた。




