第28話 二人の距離
カイと別れた一行は大通りを進み、道を一本入った先に構えられたテレーノ商会の詰所を訪れた。
扉を開けると、木の長机を挟んだ向こうで商会の事務員の男性が、忙しそうに帳簿に何かを書き記していた。
「お疲れ様です。任務の報告をさせて頂いてもいいでしょうか」
「ん。ああ」
事務員の態度は、アイウートのそれとは真逆だった。アイウートが差し出した報告書をパラパラとめくり、面倒くさそうに目を走らせる。
「はい、ご苦労さん」
まだ半分も見ていないように見えたが、事務員はそう言って報告書を閉じた。アイウートが口を挟む。
「あの、報告書には記載したのですが、ウモラ湿原で魔人を……」
「魔人? あれはおとぎ話だろ。報告書はちゃんと読んだから、お前はもう下がっていいぞ」
事務員の態度に、アイウートは釈然としない様子で言葉を続けた。
「あ、あとすいません、こちらの方々の魔物討伐の精算をお願いできますか」
事務員が気怠そうにはいはい、と返事をする。
「商会の者じゃないな。討伐証票は持ってるか?」
「ここに」
バルディンが歩み出て証票を事務員に手渡す。事務員はそれを机の上のオイルランプで照らした。
「随分多いな」
呟いて、机の脇に置いていた台帳をめくっていく。それから証票を炎にかざしたまま、表面に浮いた紋様を指でなぞり、濃淡を確かめていった。
「銀貨二枚、ってところだな」
証票を戻し、事務員は机の下から銀貨と新しい証票を取り出してバルディンに手渡した。
「報酬と、新しい討伐証票だ。確認してくれ」
「何故新しい物に取り替える?」
「次また精算する時、今回払った分が支払い済みかどうかわからなくなるだろ。討伐証票は精算する度に取り替えるんだよ」
「なるほど、よく考えられておるな」
バルディンは感心しながら銀貨と証票を受け取った。銀貨はゼヴァルへ差し出し、ゼヴァルはそれを懐の革袋に収めた。
「用件は以上か?」
事務員が素っ気なく尋ねる。証票を懐に収めながらバルディンが言った。
「儂らはコルタを目指しておるのだが、ついでに通行証を貰うことはできんか」
「コルタはヴェルデの管轄だ、うちじゃない。道中のシッタへの通行証なら発行してやらんでもないが」
「ならそれで頼めんか」
「駄目だ」
事務員はしっしっと手を振った。
「お前らのような、どこの馬の骨ともわからない奴らに依頼は頼めんし、通行証も発行できん。こっちも暇じゃないんだ」
追い払われるように、一行は詰所を後にした。扉を閉めると同時にバルディンがぼやく。
「感じの悪い奴だ」
「あ、あはは。忙しいのは本当でしょうし、大目に見て頂ければと……」
宥めようとするアイウートに、バルディンがふんと鳴らす。
「しかし参ったな。ヴェルデ商会の通行証は持っとるが、この先の町に寄れないのは困る。コルタまで後どのくらいだ?」
「実際に行ったことが無いのでわかりませんが、陸路ならまだ何日もかかるかと……」
アイウートがうーんと首を捻る。
「少し遠回りになりますが、ヴェルデ商会の通行証をお持ちなら一度北東へ逸れ、テレーノ商会の管理域から抜けるのが良いのかもしれません」
「ふむ。深謀遠慮の回り道とはよく言ったものか」
バルディンが髭を撫でる。
「この先ずっと野営でも儂らは構わんが、嬢ちゃんはそうも行かんだろうしな」
「すいません……でも、たまにはベッドで寝られると、嬉しい、です……」
語尾が段々と小さくなっていき、最後にあと温かいお風呂も、とリエルは付け加えた。
「儂もぶどう酒が補給できなくなるのは困る。旅程は決まったな」
バルディンはからからと笑った。詰所の傍らに控えていたゼヴァルが口を挟む。
「今日のところはこの町に滞在か」
「うむ。湿原でのこともある。たまには息抜きも必要じゃろう」
バルディンの視線はゼヴァルとリエル、どちらにも向いていた。
「何にせよ、まずは宿だな。お前さんはどうする?」
そう言ってアイウートへ目をやる。アイウートは少し寂しそうに薄く笑った。
「すいません。僕は一度ソーリアへ戻ろうと思います」
バルディンがふむと呟く。
「一人で大丈夫か?」
「はい。帰りはウモラ湿原ではなく、人通りの多い主要街道から帰るつもりなので。短い間でしたが、ご一緒できてとても楽しかったです」
アイウートが深々とお辞儀する。満足のいく返事ではなかったが、バルディンは一つ頷いた。
「達者でな」
「アイウートさんも、どうかお気をつけて」
別れの挨拶を交わした後、アイウートはもう一度深く礼をして、雑踏の中へと紛れていった。
「本当に、ありがとうございました」
その背中は、出会った時よりもほんの少しだけ伸びているように見えた。
*
アイウートと別れた三人は、大通り沿いにある宿に部屋を二つ取った。
一階で受付を済ませた後、飾り気の無い木の階段を二階へと上る。部屋は寝台とテーブルの他にはろくな調度品も無い、質素なものだった。
荷物を下ろし、バルディンが窓の方へ目をやる。ゼヴァルは窓からぼんやりと道を行く人や荷車を眺めていた。
「儂は斧の手入れがてら、あの小僧の工房にでも足を運んでみるつもりだ」
そう言ってバルディンは腰の斧の柄に腕を預ける。ゼヴァルは窓の方を向いたままだった。
「そうか」
「暇なら旅の補給ついでに、町を散歩でもしてみたらどうだ」
「そうだな。バルディンが戻るまでに物資は揃えておく」
砂塵を巻き上げながら馬車が駆けていく。バルディンはゼヴァルの横顔を暫し見ていたが、やれやれと歩き出した。
「夕方までには戻る」
静かに扉が閉まり、部屋にはゼヴァル一人が残された。バルディンの背嚢から大きな革袋を取り出し、ゼヴァルも部屋を後にする。
廊下に出ると、ちょうど隣の部屋から出てきたリエルと鉢合わせた。
「あ」
リエルが小さく声を上げた。ゼヴァルと目が合い、逸らす。二人の間に気まずい沈黙が流れる。
「……バルディンさんは、もう出かけられたのですね」
部屋の中をちらりと覗き、リエルが言った。
「ああ。工房に行くと言っていた」
「そうなんですね」
会話はそこで途切れた。
ソーリアでの一件以降、リエルはゼヴァルとまともに会話をしていなかった。何を話せばいいのか、わからなくなっていた。
「ゼヴァルさんは……」
ゼヴァルの顔を窺い、言い淀む。
「……どこかへ、行かれるのですか?」
「ああ。買い出しだ」
リエルの横をすり抜けてゼヴァルが階段へと向かう。
「わたしも、ご一緒してもよろしいでしょうか」
「構わない」
二人は階段を下りていく。本当に聞きたかったことを、リエルは喉の奥に呑み込んでしまった。
*
大通りは、相変わらず人と荷車でごった返していた。二人は肩がぶつからない程度の距離を空けて、商店街の中を歩いていく。
「まずは食料だ」
ゼヴァルが慣れた様子で店を見定めながら、必要な品を買い揃えていく。
乾物屋の前で塩漬けの豆と干し肉を、別の店で堅焼きパンと干した木の実を。店主に硬貨を渡し、品物を革袋に収めて次の店へと足を向ける。
何か手伝いたかったが、リエルは勝手がわからないまま、ゼヴァルの後ろを所在なげに付いて回るだけだった。
「次は水だ。野営の燃料も不足している」
流れるように奥の雑貨屋へと向かう。
ゼヴァルは棚に並ぶ水袋の縫い目を指先で確かめ、油瓶の蓋を一つずつ軽く回して栓の固さを点検していく。
「——あっ」
その様子をぼんやりと眺めていたリエルがふと呟いた。
店の軒下の陽だまりで、灰色の猫が丸くなっていた。目を細めてまどろみながら、静かに尾を揺らしている。
ゆっくりと膝を屈め、リエルはそっと手を差し出す。猫は薄く目を開けたが、青い瞳はそれきり関心を失ったように再び眠りについた。
「ふふ、まだ眠いんですね」
頭を優しく撫でてやると、猫は鬱陶しそうに耳を動かしたが、逃げはしなかった。心地良い時間と、距離を感じる。
店の奥では、ゼヴァルが変わらず品物を見定めている。こちらには気づいていない、いつもの静かな横顔が見えた。
猫が欠伸をする。陽だまりは暖かく、そこだけ雑踏から切り取られたように穏やかだった。
「おい、そろそろ行くぞ」
不意に呼ばれて、リエルは顔を上げた。店の前でゼヴァルが待っている。
リエルはまたね、と猫に告げて立ち上がると、小走りにゼヴァルの隣に並んだ。
「何をしていた」
「何でもありません」
リエルの声は柔らかだった。宿を出た時より少しだけ、張り詰めていた心に余白が生まれていた。
*
ひとしきり買い物を終えた二人は、大通りを抜けて小さな広場へと出た。
「少し、休みませんか?」
リエルがそう言って指差す。広場の中央には、古い井戸と石のベンチがぽつりと置かれていた。
「ああ」
二人は並んでベンチに腰を下ろした。膝に荷物を抱え、リエルはふうと息をつく。
「買い物はこれで終わりですか?」
「そのはずだ。ぶどう酒はバルディンが自分で買うだろう」
くすりとリエルは笑った。行き交う人の波を、しばらく黙って眺める。
「……あの」
言いかけて、リエルは口を噤んだ。
ゼヴァルは通り過ぎていく人を目で追っている。その視線をどこへ向けるでもなく、ぽつりと呟く。
「たまには、息抜きも悪くない」
それが理由になったのかはわからない。ただ、リエルはもう一度、あの疑問をゼヴァルへ投げかけたくなった。
「ゼヴァルさんは……どうして困っている方を助けているのですか」
広場のざわめきが急に遠のいた。
「助けているつもりは無い」
ゼヴァルの声は、その喧騒に紛れてしまいそうだった。
「そんなの、おかしいです」
リエルは引き下がらなかった。胸につかえていたものが、抑えられなかった。
「じゃあどうして、あの時里を……わたしの言葉に、耳を傾けてくれたのですか」




