第27話 工房見習いの少年
ぬかるんだ地面を踏みながら、一行は重い足取りで西側へと再び歩き始めた。
道の左右の水面には睡蓮の丸い葉が点々と浮かび、その合間から時折小さな気泡が一つ上っては、音も無く弾けて消えていく。
『私は常に、あなたのことを見ていますよ』
アポスタティアの言い残した言葉は、リエルの耳から一向に離れなかった。
今も見られているような気がして、振り返る。視界には風に揺れる葦原が続くばかりだった。
「大丈夫ですか?」
アイウートが心配そうにリエルを見つめる。
「顔色が悪いです」
「……ありがとうございます。大丈夫です」
リエルは笑ってみせたが、傍目にもわかる程表情は引きつっていた。かく言うアイウートの体も、まだ震えが収まっていない。
「魔人……昔読んだ本には、終焉の理を体現する力を持つ、恐るべき存在と記されていました。初めてこの目で見ましたが、思い出すだけでも恐ろしい……」
アイウートが腕を抱く。がさっ、と進路の脇にある葦の茂みが不意に揺れた。
「誰だ」
ゼヴァルが鋭い視線を放ち、剣槍に手を添えた。他の三人も弾かれたように身構える。張り詰めた空気の中で、茂みが大きく割れる。
「うわーっと、と」
転がり出てきたのは、泥まみれになった赤い髪の少年だった。地面に手をつき、危うく顔から突っ込みかけたのを踏みとどまる。
「ん? あんたら誰?」
髪と同じ色の瞳でゼヴァルらを見上げ、額にかけた金属製のゴーグルの位置を直しながら身を起こす。
腰に巻いた革のベルトにぶら下がった工具が、体を起こす拍子にカチャカチャと音を立てた。
「お前さんこそ何者じゃ」
バルディンが尋ねる。斧の柄に添えた手はまだ離していなかった。
「オレ? オレはカイ。旅をしてるんだ」
少年はカイと名乗り、にかっと笑った。屈託の無いその笑顔に、四人の警戒が自然と解けた。
「た、旅の方でしたか。よかった……」
ほっとアイウートが胸を撫で下ろす。
「その身なりで旅をしとるのか?」
バルディンが髭を撫でながら尋ねる。粗布のシャツ一枚と革の旅装。旅をするにはいささか軽装に見えた。
「うん。あー、まあでも、今は事情があって荷物が少ないんだけどね」
そう言ってカイは腰のベルトのバックルを指で弾いた。それから嬉しそうにまた笑う。
「それより助かった! 資材を採りにこの湿原まで来たんだけど、道に迷うわ誰にも会わないわで困ってたんだ」
「なるほど、でしたら僕にお任せください」
アイウートが胸に手を当てて畏まる。
「初めまして、テレーノ商会の傭兵アイウートと申します。傭兵として、お困りごとのお手伝いをさせてください」
「本当!? じゃあさ、トラーマへの帰り道を教えてよ。この辺どこも同じ風景で、どっちがどっちかわかんなくてさ」
「トラーマ……」
カイの言葉を繰り返すと、アイウートはゼヴァルたちに顔を向けた。
「ゼヴァルさんたちも、トラーマに向かわれるんですよね?」
「ああ」
「うーん。僕はソーリアに戻るつもりでしたが、カイさんをトラーマまで送り届けることを、ゼヴァルさんたちに頼むわけにもいかない……」
くいっと眼鏡のずれを直し、ゼヴァルたちの顔色を窺う。
「ぼ、僕もトラーマまで同行しても良いでしょうか。任務の報告は、トラーマでも可能なので」
「道案内を頼んだのは俺たちだ。今更断る理由も無い」
ゼヴァルがそう言うと、バルディンとリエルも顔を見合わせて頷いた。
「頼りにしておるぞ。魔物退治の方もな」
からからとバルディンが笑い、アイウートは決まりが悪そうに頭の後ろをかいた。バルディンがカイを見やる。
「というわけじゃ小僧。儂らがトラーマまで案内してやろう」
「小僧、じゃなくてカイな! よろしく、おっちゃん!」
「おっちゃんじゃない、バルディンだ」
二人のやり取りに、つられるようにリエルとアイウートも笑った。ゼヴァルの口元も僅かに緩んでいる。
張り詰めていたものが、ようやく少し解けたようだった。
*
カイを加えた一行は、その後何事も無く湿原の西側に辿り着いた。調査を終えた頃には、陽はだいぶ西に傾いていた。
長い影が街道に伸び、空気を覆っていた水の匂いが乾いた土と草の匂いへと変わっていく。
正面の空が茜色に染まり始めたその先に、トラーマへと続く街道が緩やかに伸びていた。
「ふう、やっと湿原を抜けたか」
バルディンが革袋のぶどう酒を呷り、一つ息をつく。
「結局、東の小川以降ほとんど魔物と会わんかったな」
「そうですね。定期的に調査も行っていますし、商人の方々も護衛を付けてはいるので、魔物は基本的に討伐済みなんです」
「稼げると期待しておったが、当てが外れたわい」
バルディンがぼやく。アイウートは隣を歩くカイに振り向いて尋ねた。
「そういえばカイさんは、どうしてこの湿原に? 確か、資材を採りにと仰っていましたが」
「あー、オレ、今はトラーマで工房見習いをしててさ」
「へえ、そうなんですね」
アイウートが感心した横で、バルディンの眉がほんの少し上がった。
「ウモラ湿原で採れる青霞鉱って鉱石と太い水草が必要で、集めてたんだ」
そう言ってカイは大きく膨れ上がった腰の革袋を軽く叩いた。中で硬いものが触れ合う乾いた音が鳴る。
「旅をしていると言っていなかったか?」
ゼヴァルが尋ねると、カイはまたあーと言葉を探すように頭をかいた。
「旅はしてるんだけど、今はちょっと足止め中っていうか、修行中っていうか……とにかく旅をしてるのはホント。今はたまたまトラーマで工房見習いをしてるってだけ」
どこか歯切れが悪かった。
「そんな感じ。嘘じゃないよ」
それを誤魔化すかのように、カイはからりと笑ってみせた。
気がつけば空の色は藍色へと変わり、最初の星が瞬き始めていた。一行はその日も街道沿いにある手頃な窪地で野営をして夜を明かした。
カイは旅の話をせがまれるでもなく勝手に喋り出し、リエルがそれを興味深そうに聞き入る。
アイウートがたまに驚き、ゼヴァルとバルディンも時折相槌を打ってその話に耳を傾けた。
*
翌朝。日の出とともに街道を進んでいくと、道が次第に幅を増し、徐々にすれ違う荷車の数が増えて轍の跡が深く刻まれるようになっていった。
やがて道の先に、土埃と喧騒に包まれた大きな町が見え出した。アイウートがそれを指し示す。
「見えましたよ、トラーマです」
トラーマは、段丘の上に開けた陸運の要衝だった。町を囲うのは壁ではなく、幾重にも連なる隊商の小屋と荷積み場。
街道はそのまま町の大通りへと流れ込み、両脇には倉庫と馬小屋がびっしりと軒を連ねている。
荷物を積んだ馬車が砂塵を上げて行き交い、競りを行う商人の声と荷役の男たちの怒号がここまで聞こえてくるようだった。
黒馬を染め抜いた緋色の旗が、倉庫の軒先のあちこちで風にはためいている。
「ソーリアの町とは、随分様子が違いますね」
町の検問を通り抜けながら、リエルが物珍しそうに辺りを見回す。
通りには荷を解いたばかりの店が並び、見慣れぬ織物や香辛料、宝石や武具が所狭しと並べられていた。
アイウートが大通りの方へと向かいながら説明する。
「トラーマは陸運の中継地ですからね。東西南北の街道がここで交わり、あらゆる土地の荷物がここから運ばれていくんです」
「荷物はどこへ運ばれるのでしょうか?」
リエルが尋ねると、アイウートはうーんと首を捻った。
「色々なところへ、ですが、一番はやはりラクアリタですね」
「ラクアリタ?」
「トレミアの首都の名前です」
アイウートがくいと眼鏡を上げた。
「そろそろ水神祭という、この国を挙げた盛大なお祭りが開かれます。それもあってこの時期は特に荷物が多いんです」
「お祭り……それはどのようなものなのでしょうか?」
リエルが尋ねる。
「うーん、いざ聞かれると難しいですね。沢山の人が集まり、盛大に祝う催し、でしょうか。ラクアリタは街を水路が巡る美しい都市なので、トレミアにいらしたのなら是非足を運んでみてください」
アイウートの声は少し誇らしげだった。リエルはお祭り、とまた呟いてその言葉をそっと胸に仕舞った。
大通りの入り口近くまで来たところで、一行の足が止まった。
「僕は報告のために一度商会の詰所へ向かいますが、皆さんはどうされますか?」
「儂らも付いていこう。報酬を貰わんとな」
バルディンがにやりと笑った横で、カイが言った。
「オレは工房に戻るよ」
脇道の方を指し、一行を振り返る。
「ここまでありがとな。工房は北の鍛冶通りにあるから、何か困ったら来てくれよ。武器でも何でも作るからさ!」
「こちらこそ、楽しい時間をありがとうございました」
リエルが丁寧にお辞儀すると、アイウートも同じように深く頭を下げた。
「また困ったことがあれば、いつでもテレーノ商会をお頼りください」
「へへ、ありがと!」
カイは大きく手を振りながら道の先へ去っていった。
角を曲がる間際、振り向いた顔が一瞬だけ寂しそうにリエルには見えた。
しかし、すぐにいつもの明るい笑顔に戻って、カイは人波の向こうへ消えていった。




