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甦生のアストログマ  作者: ボリカツ
迷いの森編
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第3話 エルフの里

「待て!」


 ゼヴァルが叫んだ。

 少女は振り返らなかった。

 木の陰から木の陰へ、淡い緑の裾が現れては遠のく。


「全然追いつかんぞ!」


「もっと急ごう」


「少しは老体をいたわらんか」


「バルディンなら大丈夫だ」


 やがて、一際太い幹を回り込んだ先で、揺れる布が消えた。


 ゼヴァルは足を止めた。

 後ろでバルディンが膝に手を突いて肩で息をしている。


「はぁ、はぁ、見失ったか」


「……ああ。この辺りで急に姿が消えた」


 ゼヴァルは周囲を見回す。

 ふと、木々の間に目が留まった。

 奥の景色が僅かにずれている。


(何だこれは)


 手を伸ばすと、指の触れた空間が微かに揺らいだ。

 さらに押し込むと、空間に小さな波紋が立った。


「見えない壁のようなものがある」


 ほう、とバルディンも太い手を伸ばす。

 空間は揺らいでいない。


「儂には触れられんが」


「水面に指を入れたような感触がある。この揺らぎが見えるか」


 ゼヴァルが指を押し込む。


「どこだ。見えん」


「ここだ」


「……見えんな。アストログマを使った結界のようなものかもしれん」


「結界……」


 ゼヴァルが前に向き直る。

 指先をさらに押し込むと、手首まで沈んだ。

 揺らぐ壁の向こうに、手のひらがぼんやりと見える。


「通れるかもしれない」


「ほう」


「試してみる」


「待て」


 バルディンが鋭い目で背後を振り返る。


「誰かに見られている気がせんか」


「……俺は感じない」


 言いながら、ゼヴァルは背中の剣槍の柄に手を伸ばしていた。

 この男の感覚は、人よりも優れている。

 何度もそれで危険をやり過ごしてきた。


「……気のせいか」


 バルディンが片眉を上げながら髭を撫でる。

 ゼヴァルは前へと向き直った。


「続けるぞ」


 境界へ足を踏み入れる。

 波紋が大きくなり、空間が歪んだ。

 体に、薄い膜を押し通すような圧がかかる。


(水の底にもぐるような……)


 と、思った次の一歩で境界を抜けた。

 振り返ると、腰から下がぼやけたバルディンが目を見開いていた。


「消えたぞ!」


 髭と腕がじたばたしている。


「俺の声は」


「聞こえる」


「姿は」


「見えん」


 バルディンが、周囲の木の幹を手当たり次第に触る。


「おい、どこに行った!」


「ちょっと待ってろ」


 ゼヴァルが手を差し出す。

 急に木の間からにゅっと現れた手に、バルディンは飛び上がった。


「どわ! 驚かすな!!」


「悪い」


 恐る恐るその手を掴む。


「異様な光景じゃ……」


「行くぞ」


 ゼヴァルは手を強く引いた。

 空間に大きな波紋が立つ。


(重い……)


 ぐっと腕に力を込める。

――足をもつれさせたバルディンが転がり込んできた。


「蛇に丸呑みされた気分だ」


 片手で服を払い、顔を上げる。


「で、ここはどこだ」


――見上げた先には、一本の大樹が聳え立っていた。

 枝葉が森の木々を抱くように広がり、空を覆っている。

 周りの木々の幹はどれも白く、葉は淡い銀色。

 木漏れ日の中で、色とりどりの草花が地面に咲いている。


「秘境、とでも言うべきか……」


 バルディンが感嘆の息を漏らす。

 ゼヴァルは立ち尽くしていた。


「何故、森の奥にこんな場所が……」


「わからんが、人里なのは間違い無い」


 バルディンは、足元から奥へと続く白い石畳に目を落とした。

 革手袋から手を抜いて、しゃがみ込む。


「どれ」


 石畳の継ぎ目を指でなぞり、右の手の甲で地面を打つ。


「石灰か。見事な石組みだ。目地に隙が無い」


「奥に家も見える」


 遠くの木々の間に、ぽつぽつと銀の屋根の家が建っていた。

 ゼヴァルが腕を組む。


「行ってみるか」


「いや、やめておいた方がいい。この雰囲気からしてここは――」


 突如、鋭い足音が響いた。


「誰か来る」


 ゼヴァルが剣槍の柄を握る――と同時に、目の前の木々の間から人影が現れた。

 弓を構えた者が三人。槍が二人。

 白い肌、端正な顔立ち、尖った耳。


 バルディンがため息をついて立ち上がる。


「やはりエルフの地だったか」


「何者だ」


 苔緑色の革鎧を纏ったエルフが一人、前へ歩み出る。

 腰に細身の長剣を差し、首筋にかかる金髪を後ろへ雑にかき上げた若い男。


「何故ここにいる」


 金髪のエルフが腕を組む。

 周りのエルフは矢と槍の先を二人に向けた。

 バルディンが両手を上げ、ゼヴァルもそれに(なら)う。


「争うつもりは無い。儂らは迷い込んだだけだ」


「迷い込んだだと?」


 金髪のエルフが眉を寄せる。

 ゼヴァルは反射的に手で耳を隠した。

 男は二人を見回すと、顔を歪めた。


「嘘をつくな。汚らわしいハーフエルフとドワーフが」


 ゼヴァルの両手が、力無く下がっていく。


「――」


 男が何かを言った。

 バルディンが「エルフ語か」と呟く間に、弓を構えた三人が左右へ動いた。

 背後に回ろうとしていた左の一人が遅れた。

 ゼヴァルは剣槍に手をかける。


「やめておけ」


 バルディンが手で制した。


「儂らはエルフと争いに来たわけじゃない」


 一拍置いて、ゼヴァルは柄から手を離した。

 金髪のエルフがちっ、と舌打ちする。


「ドワーフにしては賢明な判断だ」


「ふん、褒め言葉として受け取っておく」


「褒めているわけが無いだろう」


 バルディンが眉をひそめる。

 金髪のエルフは鼻で笑い、二人を睨んだ。


「武器と荷物を下ろせ」


 ゼヴァルはバルディンに目をやる。

 不服そうだ。金髪のエルフをじっと見上げている。

 また舌打ちが鳴った。


「早くしろ。殺されたいか」


「バルディン」


「わかっとる」


 渋々とバルディンが片手斧と背嚢、革のポーチを石畳へ下ろしていく。

 ゼヴァルも革袋と剣槍を石畳に置いた。

 バルディンが腕を組む。


「これでいいか」


「いいだろう。持っていけ」


 二人のエルフが荷物を無言で取り上げていく。

 立ち上がる際に、ゼヴァルはエルフと目が合った。

 その目は、路傍の石を見るかのようだった。


 続いて、別のエルフが木製の枷を持って二人に近づいた。

 白い木を削り出したようで、表面に細かな模様が刻まれている。

 バルディンが訝しげにそれを覗く。


「これは何だ」


「枷だ」


「そんなもん見ればわかる。何故枷がいる」


「決まっているだろう」


 金髪のエルフが肩をすくめる。


「貴様らを牢に入れるためだ」


「牢だと……!」


 バルディンが目を見開いた。


「ふざけるな! 何故牢になぞ入れられねばならん!」


「おい、早くこのうるさいドワーフに枷をかけろ」


 ゼヴァルとバルディンに刃が突き立てられる。


「どうする」


「どうするも何も、こうするしかあるまい」


 二人は両手を差し出した。

 手首に木の枷がかけられる――魔力が感じられなくなった。


「これは……」


「貴様らのアストログマを封じる、エルフ特製の魔導具だ」


 金髪のエルフが得意そうに笑った。

 バルディンが顔の前に手首を持ち上げ、覗き込む。


「ほう。大したものだ。ドワーフには無い技術だ」


「貴様らと一緒にするな。連れて行け」


 二人は背中をどんと押された。



 *



 エルフに囲まれながら、二人は石畳の小道を歩かされた。


「見渡す限り木しか無いな。味気無い風景だ」


「向こうに石壁も見える」


「確かに。あれも中々の石組みだ。しかし、いつまで歩くんだ。牢とやらはまだか」


 金髪のエルフが腰の剣を抜いた。


「黙って歩け」


「やれやれ、血の気の多い奴だ」


 しばらく歩くと、水路が現れた。

 水路に架かる石橋を渡ると、家が立ち並んだ。

 バルディンが辺りを見回す。


「見たことの無い造りの家だ。壁が白いところを見るに、素材はこの石畳と同じ石灰か」


「人は見えないな」


「うむ。それより見ろゼヴァル。あの柱の模様」


「あの葉の模様がどうした」


「石に刻んだとは思えん緩やかな曲線だ。窓の枠にも彫られておる」


「そうだな――」


 ゼヴァルは、家の合間に見えた少年のエルフと目が合った。


 冷たい目。

 視線の先は、この耳だろう。


 母親らしき女性が、後ろから少年の手を引いた。

 扉が閉じる音。同じ音が、少し先でもう一度。


「……酷い場所だ」


「ん? 何か言ったか」


「……なんでもない」


「そうか。ところでゼヴァル、あの家を見てみろ。屋根に花が咲いておる」


 金髪のエルフがバルディンに剣を向けた。


「何度言われれば気が済む、ドワーフ」


「あと五回といったところだな」


 家並みを抜けた。

 噴水のある広場を横切る。

 その隅に、金色の髪の、あの少女が座り込んでいた。


(あれは……)


 ゼヴァルは足を止めた。

 少女も、こちらを見ていた。


 背中を押される。

 前を歩くエルフの背が視界を塞いだ。

 次に家の白い壁。


 少女はもう、見えなくなっていた。



 *



「入れ」


 二人は、里の外れにある石の小屋へ連れられた。

 背中を押されて中へ入り、木の扉が閉められる。

 かんぬきが外から落とされた。


 ゼヴァルとバルディンは、壁を背に向かい合って座った。


「やれやれ。ひとまず殺されはせんようだ」


「……初めてエルフに会った」


 ゼヴァルが小さな窓を見上げる。


「あの目は、同じ人を見る目じゃなかった。人間にもエルフにも、俺の居場所は……」


「……居場所は自分で作るものだ」


 バルディンの表情は、窓の光の影に沈んでいた。


 ゼヴァルは目を閉じた。

 人間の世界が、自分にとってどういう場所かは知っている。

 なら、エルフの世界は――漠然と、そう思っていた。


『汚らわしい』


 暗がりの中で、その声が耳に鳴り続けた。


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