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甦生のアストログマ  作者: ボリカツ
ウモラ湿原編
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第25話 ウモラ湿原

 ゼヴァルたちは夜明けとともに野営地を発った。朝の静けさに溶けるように、朝靄が残る街道を黙々と前へと進んでいく。


 やがて鳥の羽ばたいた音が聞こえたかと思うと、靄の向こうに背の高い葦と水面が広がる、美しい湿原が姿を現した。


「ここがウモラ湿原……」


 リエルが景色に見惚れて立ち止まる。東の段丘の縁から射し込み始めた陽光が、靄の粒を淡く照らした。


 その光が水面に反射して、湿原全体が柔らかな金のベールに包まれているかのようだった。


「美しい場所ですね……」


 葦の根元に佇んでいた白い水鳥が羽音を残して飛び立っていく。


 風が一吹きすると、葦の穂先が一斉に頭を垂れ、澄んだ水と若い緑の香りが鼻先をくすぐった。


「儂らも初めて訪れたが、正に手つかずの自然じゃな」


 バルディンが髭を撫でながら、感心したように湿原を見渡す。


「ええ。商会もこの湿原を通る街道の整備は、敢えて最小限にしています」


 アイウートの言葉にバルディンはふむと呟いた。


「景観を守るためか。結構なことだが、人の手が及ばんということはその分、魔物の住処にもなりやすい」


 アイウートは頷くと、背負っていた革袋から紐で綴じられた紙の束を取り出し、一枚ずつめくっていった。


「今回の僕の任務は、この湿原の定期調査になります。生態系や魔物の分布、湿原内の道の安全を確認するのが主な作業です」


 紙をめくる手を止め、アイウートが眼鏡のずれを直す。


「前回の報告書によると、東側の小川付近に魔物の群れが見られたようです。その場で討伐され、大きな被害は出ていないようですが、確認はしておいた方がよさそうです」


「よかろう。まずはそこに向かうとするか」


 アイウートを先頭に、一行は葦の間を抜ける街道をゆっくりと歩き始めた。


「森では見かけない植物が多いですね」


 足元に小さな黄色い花を見つけ、リエルが屈み込む。蕾のように閉じた花に、そっと指先を寄せる。


 指が触れると花弁がぱっと開き、透き通った水がぴゅっと飛び出して指先を濡らした。


「ふふ、可愛らしい」


「湿潤な土地特有の植生じゃろうな」


 バルディンも物珍しそうに周囲を眺める。水際に近づき、しゃがみ込んで水面を覗き込む。


「お、見ろ。サワガニがおる」


「本当ですか?」


 リエルが立ち上がり、軽い足取りで水際の方へと歩み寄った。バルディンの肩越しに水面を覗き込む。


「わあ、まだ小さい……」


 リエルが手を近づけると、水底にいたサワガニはささっと小石の陰に身を隠してしまった。


「逃げちゃいました」


「あっちに行くぞ。泥の中を掘れば何か見つかるかもしれん」


 バルディンが膝についた泥を拭いながら立ち上がる。水草の茂る浅瀬の方へと歩き出すと、リエルも楽しそうに後を追った。


 先を行くゼヴァルとアイウートは、そんな二人から少し離れた場所で周囲の様子を窺っていた。


「この辺りは異常無さそうですね」


 そう言ってアイウートが懐からメモ帳を取り出す。ゼヴァルはその傍らで茂みや水面に視線を走らせている。


「そのようだな」


 ゼヴァルが頷くと、アイウートはメモ帳に鉛筆を走らせていった。


「前回の報告から、目立った変化は無し、と……」


 書き終えると、アイウートはメモ帳から顔を上げた。足元の泥を踏み固めながら、ゼヴァルが尋ねる。


「小川まではあとどのくらいだ?」


「この調子なら一時間くらいかと思います」


 アイウートはメモ帳を閉じ、懐へ戻した。


「湿原全体を見て回るのは?」


「うーん。一日もあれば、というところかなと」


 ゼヴァルは街道の先を見つめる。どこまでも葦原と水面が静かに続いていた。


「先は長いな。次の場所に急ごう」


「はい!」


 アイウートが敬礼する。ゼヴァルは後ろを振り返った。


「おい、そろそろ行くぞ」


 ゼヴァルの声に、リエルとバルディンが慌てて駆け寄ってきた。


 バルディンの手には泥で汚れた小さな貝が、リエルの手には透明な石の破片が握られていた。


「あ、これはクォーツという鉱物らしくて、とても綺麗だったので……」


 リエルは目を泳がせる。その横でバルディンがほれ、と手のひらに貝を乗せてみせた。


「見ろゼヴァル、二枚貝だ」


「遊びにきたんじゃないぞ」


 ゼヴァルが呆れたようにため息をついた。


 リエルはしょんぼりと眉を下げると、破片を革の小袋へと仕舞った。バルディンが肩をすくめる。


「面白みの無い奴だ。お前さんはもう少し、肩の力を抜いた方がええぞ」


「大きなお世話だ」


 ゼヴァルは取り合わず、道の先へ歩き出した。バルディンはやれやれと貝を腰の革ポーチへ無造作に放り込んだ。


「お前さんからも何か言ってやってはくれんか」


 そう言ってバルディンはアイウートへ目をやった。アイウートは苦笑している。


「あ、あはは。真面目で熱心なのは良いことだと思いますよ」


「真面目で熱心、か。儂にはそうは見えんがな」


 髭の奥でぼやいて、バルディンはのしのしと歩いて行ってしまった。アイウートは首を傾げつつ、リエルと共に二人の背に続いた。



 *



 しばらく道なりに歩くと、せせらぎの音とともに小川が見えてきた。道を横切るように澄んだ水が流れ、葦が疎らに茂っている。


 アイウートは報告書を取り出すと、紙をめくりながら周囲を見回した。


「報告書にあったのは、この辺りのはずです」


 川辺は静かだった。葦が穏やかに風にそよぎ、水鳥が岸辺で羽を休めている。


 地面の泥には、いくつかの足跡らしき窪みが点々と残っていた。


「魔物の姿は見えんな。人の足跡もまだ新しい」


 バルディンが髭を撫でる。


「ここも異常無しか」


「ですね。西側の方に向かいましょうか」


 アイウートは頷いて報告書を革袋へと戻した。歩き出そうとして、バルディンに呼び止められる。


「待て」


 突如として水面が爆ぜた。小川の水が空中に弾け飛び、水面を割って水中から赤黒く粘ついた長い舌が飛び出してくる。


「うわあ!」


 アイウートが咄嗟に身を庇う。その前にすかさずゼヴァルが入り、剣槍を構えて迫りくる舌を柄で受け止めた。


「ゼ、ゼヴァルさん!」


「下がってろ」


 剣槍の柄に舌がみるみる巻きついていく。ゼヴァルは左手を舌へ押し当てた。


 刻印の発光とともに、触れた箇所から白い霜が走っていく。舌が凍りつくと同時にゼヴァルは踏み込み、凍りついた舌を蹴り砕いた。


「さ、さすが……」


「油断するな。まだ来るぞ」


 慌ててアイウートが剣を抜く。バルディンもずしりと斧を構えた。


「ちょうど退屈していたところだ」


 小川の水がぼこぼこと泡立ち、魔物が次々と岸へ這い上がってきた。


 体長は人間の背丈を超え、ぬめり気のある灰緑色の皮膚に、ぎょろりと突き出た目が一行を捉える。


「こいつは、昨日の蛙が化けて出たか」


「冗談はいい。囲まれてるぞ」


 軽口を叩くバルディンを余所に、ゼヴァルが鋭い視線で辺りを見回す。


 葦原の陰からも数体の魔物が姿を現し、じりじりとこちらに詰め寄ってきている。


「嬢ちゃんは儂の後ろに」


「はい……!」


 リエルがバルディンの後ろに身を寄せる。戦闘の口火を切るように、葦原の方から一匹の魔物が長い舌を伸ばした。


 更にもう一匹が地面を蹴って、空中で身を捻りながらバルディンとリエルの頭上から襲いかかる。


「ふん!」


 飛んできた舌をバルディンは太い前腕で受け止めた。粘ついた舌が腕に絡みつくが、バルディンの体はびくともしなかった。


 舌を引き寄せて魔物の体勢を崩すと、振り向きざまに斧を大きく振り上げ、一閃する。


岩砕斬(がんさいざん)!」


 空中から襲いかかっていた魔物を、斧が頭から真っ二つに叩き斬った。魔物の体は左右へ裂け、地面の上に重い音を立てて崩れ落ちた。


 ゼヴァルはバルディンの腕に絡まる舌を剣槍で切断すると、小川の方からこちらへ跳躍しようとしている二匹に目を向けた。


「バルディン、後ろは任せる」


 バルディンが頷くと、ゼヴァルは剣槍を低く構えて走り出した。


氷の刃(レコルギエス)


 左腕の刻印が光を放ち、剣槍の刃先に氷の刃が纏われていく。迎え撃つように、魔物の一匹が跳躍した。


 ゼヴァルは姿勢を低くして懐へと滑り込むと、下からその魔物の胴を薙いだ。


 勢いのままに切っ先を返し、続けて跳んだ二匹目の頭を空中で貫く。刃を伝って氷が走り、魔物の体は白く凍りついた。


 剣槍を振り抜くと、氷片とともに二匹の魔物の残骸と塵だけが後に残った。


「す、凄い……」


 二人の動きを目で追っていたアイウートが思わず呟いた。


 バルディンは腕に残った舌を引き千切ると、アイウートの隣で斧を構え直す。


「小川の方はゼヴァルに任せる。儂らはこっちだ、やれるか?」


 周囲の葦原にはまだ五体の魔物が影を潜めていた。ここまでの動きを見て学習したのか、警戒するように様子を窺っている。


「は、はい」


 アイウートが両手で剣を構える。体が少し身震いしているのを見て、バルディンが尋ねる。


「お前さん、魔物と戦ったことは?」


「む、昔一度だけ……」


「なら無理はせんでいい。一匹一匹は雑魚だ、なるべく儂が蹴散らす」


 そう言ってバルディンは前へと踏み込み、手近な一匹に斧を振るった。魔物の頭が砕け、塵となり消えていく。


 しかし、仕留めたその隙を突くように、別の二匹が左右からバルディンへ回り込んだ。


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