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甦生のアストログマ  作者: ボリカツ
ウモラ湿原編
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24/25

第24話 湿原前夜

「待ってください」


 立ち去りかけたアイウートの背に、リエルの声がかかった。口をついて出た言葉だった。アイウートが足を止めて振り返る。


「実は、私たちもウモラ湿原に向かうのですが……」


 言葉に詰まる。自分で言っておいて、リエルは何故アイウートを呼び止めたのかわからなかった。


「皆さんも、ウモラ湿原に?」


 アイウートはきょとんとしていた。


「あ、もしかして僕のことを心配されているのでしたら、お気になさらず」


「そういうわけではないのですが……」


 言ってすぐに、リエルは慌てたように首を振った。


「いえ、そういうわけでも、あるのですが……その、放っておけなくて」


 リエルは膝の上で指を組んだり解いたりして、落ち着かなげに目を伏せた。


 見かねたバルディンがやれやれと肩をすくめて口を挟んだ。


「まあ、案内役はいるに越したことは無いな。お前さん、ウモラ湿原には詳しいのか?」


「え……? まあ、テレーノ商会の傭兵ですので、一応は」


 アイウートが戸惑いながらも首を縦に振ると、バルディンはにやりと笑って討伐証票を懐から取り出してみせた。


「ならちょうど良い。儂らはウモラ湿原の魔物退治の依頼を受けておってな。嬢ちゃんもこう言っとるし、これも何かの縁じゃ。一緒に行こうじゃないか」


「え、えーっと?」


 アイウートが困惑したように眼鏡のずれを直す。


 リエルの方を振り向くと、先程までの落ち着かなさが嘘のように、にこやかな笑みを浮かべていた。


「一緒に行きましょう、アイウートさん」


「うーん?」


 アイウートがゼヴァルの方を見る。


「諦めろ」


 ゼヴァルはそれだけ言って、ぽんとアイウートの肩を叩いた。アイウートは茫然と三人を見つめ、やがて小さく笑った。


「ぼ、僕なんかで良ければ、是非……!」


 少しだけ、元気を取り戻したようだった。



 *



 アイウートと共にウモラ湿原へ向かうこととなった一行は、商店で旅支度を済ませた後、日が暮れる前に北門を発った。


 街道は段丘の縁に沿って緩やかに下り、低地へと続いていた。


 道の両脇には背の低い草地と疎らな低木が広がり、森から流れ出した小川が段丘の裾を刻み、街道の脇を細く伴走していた。


 荷車を引く商人や籠を背負った行商人とすれ違ったが、街道を進むうちに人の数は少しずつ減っていった。


「結局今日も野宿か」


 バルディンが不服そうに呟く。


 陽が沈む頃には街道に人影は絶えていた。街道の脇の低木が生い茂る一画で、一行は身を寄せる。


「すいません、任務とはいえ急かしてしまって」


 荷物を下ろしながらアイウートが申し訳無さそうにする。バルディンは背嚢の中を漁りながら構わん、と短く答えた。


「飯にするぞ」


 リエルが近くで集めてきた枯れ枝を受け取ると、バルディンは手早く石を組んで簡素な竈を用意した。


 火打ち石で火花を散らすと、細い枝の先がじりじりと焦げ、やがて橙色の炎が弱々しく立ち昇った。


 しばらくして、森から戻ってきたゼヴァルの手には蛙がぶら下がっていた。


「それ、食べるんですか……?」


 アイウートの顔は少し引きつっていた。ゼヴァルは蛙を持ち上げて見せる。


「意外と美味い」


「は、はあ。旅をされている方は逞しいですね……」


 アイウートが曖昧な笑みを浮かべて相槌を打つ。ふと、リエルと目が合い、つられるようにゼヴァルもリエルの方に視線を向けた。


「私は遠慮します」


 流れを断ち切るように、バルディンが背嚢から鍋と布に包まれた干し肉を引っ張り出した。


「今日は干し肉にするか」


 鍋を火にかけ、バルディンは取り出した干し肉を放り込んで水筒から水を注ぐ。


 リエルはそそくさと鍋の方へ向かうと、枝と一緒に集めてきた薬草を丁寧に鍋へと入れ始めた。


 アイウートはゼヴァルと目が合った。


「あ、僕も遠慮しておきます」


 鍋から湯気が立ち上る頃には、辺りに良い香りが漂い始めていた。


 バルディンが鍋の中身を匙でかき混ぜながら、時折味見をして瓶に詰めた塩と胡椒で味を整えていく。


 ゼヴァルはその傍らに腰を下ろし、蛙を刺した木の枝を地面に突き立てて焚き火の端で炙っていた。


 飴色に縮れた皮から滴り落ちた脂が、炎の上でじゅうと音を立てて爆ぜる。


 枝を引き上げて火に蛙をかざしながら焼け具合を確かめると、ゼヴァルはリエルの方をちらっと見た。


「要りません」


「あ、念のためですが、僕も要らないです」


 鍋を囲み、湯気の向こうでアイウートの強張りが少しずつ解けていく。ぽつぽつと、四人の間で言葉が交わされていく。


「——皆さんは、どうして旅を?」


「成り行きだ。北を目指している」


「目下は学術都市が目的地じゃ」


 バルディンが無言で手を出すと、ゼヴァルは焼けた蛙の枝を一つ手渡した。二人で美味しそうに蛙の肉を頬張る。


「お前さんこそ、何故傭兵に?」


「僕は……町でも少しお話しましたが、子供の頃からトレミアの平和を守る傭兵に憧れていたんです。ただ、誰かの役に立てることが嬉しくて」


「ほう、見上げた心意気じゃな」


「失敗ばかりですけどね」


 アイウートはそう言って笑うと、スープをすくう匙の手を止めた。手元の器に目を落とす。


「本当は、こんなダメな自分が嫌で……傭兵という肩書に縋りついただけなのかもしれません」


「私は、そうは思いません」


 リエルの声は穏やかだった。


「傭兵であるかどうかに関係無く、アイウートさんは誰かのために動ける人だと思います」


「そ、そうでしょうか……?」


 アイウートが眼鏡に指をやる。火の明かりのせいか、その頬が微かに赤らんで見えた。


 ふと、リエルはゼヴァルと目が合った。しかし、ゼヴァルはすぐに目を逸らしてしまった。


 ——どうして目を逸らすのですか?


 無関心だったり、見過ごせないと言って誰かのために動いたり——リエルにはゼヴァルがわからなかった。


「え、えーっと……」


 急に黙り込んだリエルに、アイウートはおろおろと助けを求めるようにゼヴァルとバルディンに視線を送った。


 ゼヴァルもまた黙っている。バルディンは肩をすくめた。


「湿気が多いな。湿原はもうすぐか?」


「え? あ、そ、そうですね。あと半日も歩けば着くかと思います」


「ふむ。夜明け前には出発するか。片付けもあるからさっさと食うぞ」


 それきり、誰も多くを語らなくなった。


 器が空になる頃には辺りはすっかり暗くなり、焚き火の炎は落ち着いて四人の周りをぼんやりと照らしていた。


 食事の片付けを終えると、三人はそれぞれ(とこ)へと就いた。見張りの役はゼヴァルが買って出た。


 使い古した麻布にくるまってバルディンが早々にいびきをかき始める。


 アイウートは外套を几帳面に体へ巻きつけ、野宿に慣れていないのか何度も寝返りを打っていた。


 リエルは焚き火から少し離れた場所で、肩まで毛布に包まれながらぼんやりとゼヴァルの背中を眺めていた。


 じっと闇の中に佇むその背中はどこか悲しげで、すぐ近くにあるのにとても遠くにあるように見えた。


 ゼヴァルが焚き火に細い枝を一本くべる。火の粉がふわりと舞い上がり、夜の闇へと吸い込まれていく。


 やがて瞼が重くなり、リエルはゆっくりと目を閉じた。



 *



 同じ頃、夜の底に沈んだソーリアの町。


 人々が行き交っていた街路はひっそりと静まり返り、白い石造りの家々が月明かりを鈍く照り返していた。


「ちっ、何が頭を冷やせだ」


 酒瓶を片手に、ブッロが夜の町をふらついている。昼間のことがまだ腹の底で燻り、思い出す度に苛立ちが込み上げる。


「どいつもこいつも、舐めやがって」


 誰へともなく呟き、酒を呷る。


 空になった瓶を石段の脇へ放り捨てると、瓶は乾いた音を立てて地面を転がり、闇の中へと消えていった。


 その先で、暗がりの中からちりん、と澄んだ鈴の音が鳴った。音のした方へブッロは目を凝らす。


「誰だ?」


「こんばんは。ずいぶんと機嫌が悪そうですね」


 闇の中から、ゆらりとネロが現れた。穏やかな笑みを浮かべている。


「何だてめぇは?」


「誰だっていいじゃないですか。それより、昼間は災難でしたね、ブッロさん」


 ネロはブッロの周りをゆっくりと、巡るように歩き出した。


「あんな連中に大きな顔をされて、天下のブッロさんがこのまま黙っている訳無いですよね」


「……当たり前だろうが」


「ふふ、そうです、あなたは強い。この町であなたの名を知らぬ者はいない。ですが、彼らはあなたよりも強い……かもしれない」


「何が言いてぇ?」


 ブッロの声が低く沈む。神経を逆撫でするような物言いに、ブッロの眉間に皺が寄った。


 ネロは足を止め、ブッロの顔を覗き込むように小首を傾げた。


「彼らを見返せるだけの力が欲しくありませんか? 僕と組めばそれが手に入る、と言ったら?」


「はっ、馬鹿馬鹿しい。てめぇみたいな得体の知れない奴の話に耳を貸す程、この俺は馬鹿じゃねぇ。失せろ」


 ブッロが吐き捨てると、ネロは落胆したように肩を落とした。


「そうですか。それは残念です」


 そう言ってブッロへと歩み寄る。鈴の音が、やけに大きく響いた。


「とても、ね」


 ブッロが口を開きかけた瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。月明かりが急に遠ざかり、体から力が抜けていく。


「お……ぃ……」


 最後に見えたのは、目の前で穏やかに微笑むネロの顔と、その奥でゆっくりと広がっていく底の知れない暗がりだった。


 ブッロの意識は、そのまま夜の闇に呑み込まれていった。


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