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甦生のアストログマ  作者: ボリカツ
ウモラ湿原編
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23/25

第23話 アイウートの信念②

 モルトはまた一つため息をつくと、俯いたままのアイウートの肩から手を放した。


 視線がアイウートの腫れた頬と、唇の端から滲んだ血へと向かう。


「傷の手当てが要りそうだな。私は一度詰所に戻る。一緒に来るか?」


「いえ……」


 アイウートは首を振った。


「これから任務でウモラ湿原に向かう必要がありまして」


「張り切るのはいいが、怪我をしたまま行くわけにもいかんだろう?」


「僕なら、大丈夫です」


 アイウートが袖口で唇の端を拭う。


 モルトは口を開きかけたが言葉を飲み込み、アイウートの強張った顔をしばらく眺めた。


 やがて諦めたように、モルトの肩から力が抜けた。


「とにかく、手当てはしておくように。私はもう行くぞ」


「はい……」


 モルトは最後にゼヴァルたちへ一礼すると、石段の方へと立ち去っていった。


 アイウートはその背中をぼんやりと見送る——急に我に返ったように、三人の方へと向き直って深く頭を下げた。


「すいません、助けて頂いてありがとうございました。僕はアイウート、テレーノ商会の傭兵です」


「いえいえ、お怪我の方は大丈夫ですか?」


 三人がそれぞれ名を名乗った後、リエルが心配そうにアイウートの顔を見つめた。


 アイウートは頭の後ろをかきながら苦笑する。


「はい、何とか」


 そう答えたものの、アイウートの表情からすぐに笑みが消えた。手が下がり、行き場を探すように力無く垂れる。


「かっこ悪いですよね。止めに入っておきながら結局殴られ、皆さんの手までお借りして。助けてもらえなかったら、今頃どうなっていたか……」


「そんなことはありません。私は、とても立派だと思いました」


 リエルが胸の前で軽く両手を組み、柔らかく微笑む。


「よければ傷の手当てをさせて頂けませんか」


 アイウートは戸惑いながら両手を横に振った。


「え、いえ、そんな……これ以上ご迷惑をおかけしては——」


「迷惑ではありません」


 きっぱりと言うと、リエルは一歩アイウートの方へ歩み寄った。まるで自分のことのように心配しているようだった。


「私のアストログマには治癒の力があるんです」


「は、はあ」


 アイウートが困った顔でちらりとゼヴァルとバルディンの方を振り向く。


 ゼヴァルは黙っており、バルディンは髭を撫でながら少し考えるようにして口を開いた。


「嬢ちゃん、治癒の力は……」


「大丈夫です、バルディンさん。これくらいの傷なら祝福の力は必要無いと思います」


 リエルがそう言うと、バルディンは髭を撫でる手を止めた。


 ——危ういな。


 そう思いながらしばらくリエルの顔を見つめ、やがて納得したように頷く。


「そうか、なら任せるとしよう。しかし場所は移した方がよかろう」


 バルディンが辺りをぐるりと見回す。喧騒は戻りつつあるが、まだちらほらとこちらに目を向ける者がいるようだった。


「では、あちらの角に」


 リエルが街路の端を指し示し、四人はそこへ移ることにした。



 *



 建物の切れ目に入り、細い路地の奥を抜けると、駆ける馬を(かたど)った小さな銅像が建つ、少し開けた場所に出た。


 アイウートが路地の壁を背に腰を下ろし、リエルがその正面に膝をつく。


 バルディンとゼヴァルは少し離れた場所で、銅像の方へ目を向けていた。子供たちが甲高い笑い声を上げながら、ボールで遊んでいる。


「少しだけ目を閉じていてください」


「は、はい」


 アイウートは頷いて、きゅっと目を瞑った。


 リエルは肩掛けの鞄から布を取り出すと、右手をアイウートの腫れた頬にそっとかざした。


 淡い金色の光が穏やかに広がっていき、頬の腫れがゆっくりと引いていく。


 それから左手に持った布で、まだ薄く血が滲む唇の端を優しく拭った。


「これで、大丈夫だと思います」


 アイウートがおずおずと目を開けて、頬を片手で撫でる。痛みも腫れもすっかり消えていた。


「す、凄い! 傷が一瞬で!」


 アイウートが目を輝かせてまじまじとリエルを見つめる。


「ありがとうございます! これが光のアストログマ……本で読んだことはありましたが、正に女神様のような力ですね」


「いえ、そんな大層なことは……」


 リエルが胸の前で手を何度も振る。頬がほんのりと色づいている。


「お役に立てたようでよかったです」


 はにかんだリエルに、アイウートは照れたように居住まいを正した。


 落ち着かない視線を、相変わらず辺りを眺めているゼヴァルとバルディンへと流す。


「ゼ、ゼヴァルさんも、助けて頂いてありがとうございました」


 ゼヴァルは横目でアイウートを見た後、短く答えた。


「別に、俺は何もしていない」


「いえいえ、あのブッロの腕を止めるなんて、凄いですよ!」


 言葉とは裏腹に、アイウートの膝の上に置かれた手は強く握り込まれていた。


「それに比べて僕は……西海岸の一件以降、しっかりしようと決めたのに……」


「西海岸?」


 ゼヴァルがバルディンの方へと目を向ける。バルディンは首を横に振った。


「そうか、皆さんは旅人だからご存知無いのですね」


 アイウートがくいっと眼鏡のずれを直す。


「今、トレミアの情勢はあまり良くないんです。まあ、原因は僕らテレーノ商会にあるんですけどね……」


「どういうことだ?」


 力無く笑ったアイウートに、ゼヴァルが僅かに眉を寄せる。子供らの様子を眺めていたバルディンも視線をこちらに戻した。


「皆さんは、トレミアの商会についてご存知でしょうか?」


「多少はな」


「バルディンさんが仰っていた、三つの商会のことでしょうか?」


 ゼヴァルが短く答え、リエルが記憶を辿るように言葉を挟んだ。アイウートは頷いて話を続ける。


「はい、建国以来トレミアは、三つの商会が交易網を分担することで成り立ってきました」


 そう言ってアイウートは人差し指を立てた。


「西岸沿い一帯を管轄とし、他国との交易を海路で一手に担う、海運のマーレ商会」


 続けて中指を立てる。


「トレミア南域を主体に、各都市や拠点を結ぶ街道のほとんどを管理する、陸運の僕らテレーノ商会」


 最後に薬指を立てる。


「トレミア北域を主体に、大河フルージアの分流を整備して作り上げた運河網でトレミアの経済基盤を成す、水運のヴェルデ商会」


 アイウートは立てた指をゆっくりと握り込み、声の調子を少し落とした。


「助け合うことはあっても、各商会の交易網は不可侵が暗黙の了解でした。どこかがルールを破れば、他の二つに後ろ指を指される。そういう力の均衡が、関係性を守っていました」


 重いため息をつき、アイウートはぼんやりと銅像の方へと目を向ける。


 塗装が少し剝げ落ち、台座の隅には吹き溜まった落ち葉がそのままになっていた。


「でも数年前、テレーノ商会の一部の商人が海運に手を出したことで、ルールが破られてしまったんです。それ以来商会の関係は悪化し、通行証の細分化や各地で小競り合いが起きるようになりました」


「なるほど、合点がいったわい」


 門の番兵とのやり取りを思い出し、バルディンがふんと鼻を鳴らす。


「ルールを破ったテレーノ商会は、どうなってしまったのですか?」


 リエルが案じるように尋ねると、アイウートは伏し目がちに答えた。


「現在テレーノ商会はヴェルデ商会主導の(もと)、罰として取引や行商、仕事の一部を制限されています。海運を行っている商人の活動は、今も続いているらしいので……」


「らしい、とはまるで他人事のようだな」


 ゼヴァルが言った。咎める響きは無く、ただ事実を確かめるような声だった。


 アイウートは弱々しく笑い、握っていた拳から力を抜いた。


「海岸線は遥か西なので、ソーリアに住む者にとっては噂程度の話なんです。それに、僕のような末端の傭兵に回ってくる情報はたかが知れているので……」


 アイウートの言葉はそこで途切れた。ぼんやりと、銅像の周りで遊んでいる子供たちの姿へ目を向ける。


「でも、僕はこの町で生まれ育ちました」


 笑い声が弾け、子供たちが転がるボールを追って石畳の上を駆けていく。


 その明るい声を、アイウートはどこか遠いものを見るような目で追っていた。


「僕にとってテレーノ商会は町を豊かにしてくれる憧れであり、傭兵はこの町の……トレミアの平和を守る誇りでした」


 子供たちがボールを追って路地の奥の方へと走っていった。


 笑い声が路地の壁に反響しながら、細く尾を引いて遠ざかっていく。


「だから、こんな僕でもできることがあれば、と頑張っているのですが……どうも上手くいかなくて——」


 アイウートの口元にふっと小さな笑みが浮かんだ。張りの無い、乾いた笑みだった。


「——なんて、すいません。何を語っているんでしょうか僕は。そろそろ行きますね」


 アイウートは眼鏡を直しながらそそくさと立ち上がった。服についた土埃を払い、それから三人に向き直って深く頭を下げる。


「手当てまでして頂いて、本当にありがとうございました。皆さんの旅の安全を祈っています」


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