第21話 魔物退治の依頼
段丘の中程まで上ると、石段の途中に黒い馬の紋章が縫われた緋色の旗を掲げる、石造りの建物が見えた。
「着きましたよ」
ネロが建物を指差す。入口の脇では腰に剣を下げた傭兵が二人、退屈そうに建物に寄りかかっている。
「こんにちは」
ネロが片手を軽く上げて声をかけると、男性たちは訝しげな表情を浮かべた。
「見ない顔だな」
「あまり真面目に働いていないもので」
そう言ってネロが棍から布を解いてテレーノの紋章を傭兵たちに見せる。
傭兵たちは顔を見合わせた後、顎をしゃくって入口を示した。
「ありがとうございます」
ネロが先に立って三人を中へと促した。
詰所の中は薄暗く、石壁に囲まれた広間に羊皮紙の束と燭台の匂いがこもっていた。
奥の長机では緋色の上衣を着た若い女性が、帳面に何か書きつけている。
「あら、旅の方かしら?」
女性が筆を置き、机の向こうから顔を上げた。後ろで一つに束ねた栗色の髪がふわりと揺れ、髪と同じ色の瞳で三人を見渡す。
ネロは長机の脇に肘を預け、口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「僕は商会の傭兵ですが、こちらの方々はそうです。北へ向かう旅の途中らしく、通行証を発行しては頂けませんか」
「うーん、そう言われても通行証は規則に則って発行するもので……」
「そこを何とか」
「……うーん、わかりました。一応確認してみるので、少々お待ちくださいね」
女性は帳面を閉じると、書類棚の奥の扉の向こうへ姿を消した。ネロが机から肘を上げて一行へと振り返る。
「さて。それでは皆さん、僕はこれで」
「どこへ行かれるんですか?」
リエルが小首を傾げて尋ねると、ネロもそれを真似るように小首を傾げた。
「別の仕事が入ってまして。こう見えて僕、人気者なんです」
そう言ってネロは入口の方へ歩き去っていく。扉の手前で三人へ振り返り、片手を軽く上げる。
「またどこかでお会いしましょう」
ネロの瞳がリエルを一瞬だけ追い、すぐに穏やかな笑みの奥へと戻った。扉が閉まり、鈴の音が遠ざかっていく。
「……何だか面白い方でしたね」
リエルが扉を見つめながら呟くと、バルディンがふんと鼻を鳴らした。
「あまり関わらん方がいい。ああいう輩は信用ならん」
「ゼヴァルさんも言っていました」
「ほう」
バルディンが興味深そうにゼヴァルを見上げた。ゼヴァルはそっぽを向くように扉の方を見つめている。
リエルがひそひそと笑う。
「バルディンさんの受け売りだそうです」
「くく、こいつはそういうところ律儀なんじゃ」
バルディンが肩を揺らして笑っていると、女性が奥の扉から戻ってきた。
「すいません、お待たせしました……あら、さっきの傭兵さんは?」
「仕事があると言って出て行った」
ゼヴァルが短く答えると、女性は首を傾げた。
「はあ、そうですか。見たことの無い顔だったけれど、仕事なんて頼んでたかしら……」
眉をひそめ、思い出そうとするように宙へ目をやる。
やがて諦めたのか、息をついて手元の紙へ視線を落とした。
「まあいいわ。それで、通行証の件だけど、やっぱり発行は難しそうなの。ごめんなさいね」
ゼヴァルが腕を組む。
「どうすれば通行証が手に入れられる?」
「銀貨五枚で正式な通行証を発行するか、商会の依頼を受けて仮の通行証を受け取るか、ね」
女性の言葉にバルディンが渋い顔で髭を撫でた。
「銀貨五枚。ちと高すぎるな」
「じゃあ、依頼の方ね。素性の知れない方に重要な依頼は任せられないから、簡単なものになるけどいいかしら?」
「構わんが、学術都市の方向に向かえるものが良いな」
「学術都市、コルタのことね。それならトラーマを抜けて北へ上がるのが街道筋よ」
女性はそう言って書類棚から紙束を抜くと、指先で繰っていった。
「トラーマはここから北西にある町で、その途中にウモラ湿原っていう湿地帯があるのだけれど……」
女性が紙束をめくる手を止め、紙の端を指で押さえながら三人の方へと向ける。
「そこには魔物が棲みついていて、湿原沿いの道を行く商人が困っているの。数を間引いてくれれば商会としても助かるのだけれど、どうかしら?」
「ふむ、魔物退治か」
バルディンがゼヴァルに目を向ける。
「お前さんのことだ。聞くまでも無いだろうが、引き受けるで良いな」
「ああ。どうせ道中の魔物は倒すつもりだった」
ゼヴァルが頷いてみせると、女性は満足げに口元を綻ばせた。
「では、手続きしますね」
女性は机の脇の紙を引き寄せて筆を走らせた。羊皮紙の隅に黒馬の蝋印を押し、三人へ差し出す。
「これが仮の通行証よ。ソーリアとトラーマならこの通行証で通れるわ」
「助かる」
バルディンが受け取り、懐へ仕舞う。続けて女性は机の上に並んでいた革袋から、小さな合金の板を取り出して机に置いた。
「あとこれも」
「何じゃこれは?」
「トレミア製の討伐証票という物よ。魔物を倒すと、塵になる時に魔力が発散するのは知っているかしら?」
そう言って女性は板の表面を指差す。
「この板はそれを吸うと表面に紋様が浮くの。数も倒した魔物の強さも、その紋様で分かるわ。持ち帰ってくれればそれが魔物退治の証になるのよ」
「ほう、面白い代物だ」
バルディンが板を手に取り、物珍しそうに確かめる。女性はその様子を微笑みながら眺め、やがてふうと息をついた。
「これで手続きは終わり。ウモラ湿原には町の北門から向かえるわ。強力な魔物はいないと聞いているけれど、日が落ちると魔物も増えるから道中気を付けてね」
「肝に銘じておく。助かった」
ゼヴァルは短く返して踵を返した。バルディンが証票を懐に収め、女性に礼を告げてそれに続く。
リエルは女性に向き直り、ぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました」
「いってらっしゃい。無事を祈ってるわ」
女性が机の向こうから見送るように手を振る。
その笑顔にリエルは翡翠色の瞳を和らげ、もう一度頭を下げてから二人の後を追った。
*
詰所の扉を押すと、午後の光が一斉に流れ込んできた。
石段の街路は来た時よりも人が増えており、人や荷物が絶え間なく行き交っている。
三人は先程上ってきた石段の方へと向かった。
白壁に照り返した日差しが眩しく、リエルは目を細めて手をかざす。ふと、先程の女性の言葉と笑顔を思い出した。
「親切な方でしたね」
石段を下りながらリエルが呟いた。
「見ず知らずの私たちに、無事を祈ってくださって」
それから、何かを思うように二人へ目を向ける。
「お二人も、そうですよね。困っている人を進んで助けられるのには、何か理由があるのでしょうか?」
「人助けをしているつもりは無い」
先を行くゼヴァルが短く返す。
「でも、この前の村も今回も、魔物退治をすぐに引き受けられました」
リエルは食い下がった。里の牢でゼヴァルが、ただ見過ごせない、と言ったことを思い出す。
——無理やり付いてきたけれど、そういえば私は、この人たちのことを何も知らない。
リエルは立ち止まり、言葉を選ぶように視線を落とした。
「私の里でもそうでした。どうしてお二人は——」
「どこに目をつけてやがる!」
リエルの言葉が途切れた。石段の下にできた人混みから、騒めきと言い争うような声が聞こえてくる。
「何の騒ぎだ?」
バルディンが人だかりの方へ目を向ける。輪のの中心で、大柄な男が荷車を引いた商人の胸倉を掴み上げているのが見えた。
「関わらない方がいい」
「行ってみましょう!」
ゼヴァルが冷たく放った声に被さるように、リエルが言うとともに石段を駆け下りていく。
「おい、待たんか」
バルディンが慌てて後を追う。ゼヴァルはやれやれとため息をついた。
——進んで人助けしているのはどっちだ。
心の中でそう零しつつ、ゼヴァルは二人の背を追って足を早めた。




