第20話 宿場町ソーリア
数日後の昼下がり、一行はルペス地方の西端を街道沿いに進んでいた。
「お、見えてきたな」
バルディンが額に手を添えて遠くを眺める。街道の先に段丘の終わりが見え、大河フルージアの分流が網目状に走る低地が霞んで見える。
「トレミア領の宿場町、ソーリアだ」
緩やかな下り坂の先には、白壁と陶瓦の家々が階段状に連なっていた。家々の間を上下に走る石段が街路を兼ね、段丘の麓では街道沿いに馬舎や倉庫が並んでいる。
「まずは、宿でしょうか……」
リエルが小さく息をつく。髪をそっと指先ですきながら、バルディンが眺めている方向を見つめる。
「ベッドが恋しいです……」
「そうじゃな、補給もこの町で済ませたい。だが学術都市のことを聞くためにも、まずは商会の詰所に向かうぞ」
バルディンが坂の方へと歩き出した横で、リエルが首を傾げる。
「商会?」
「商人たちが寄り集まって作った組織じゃ。荷の運送や街道の管理、要人の護衛に魔物退治まで、トレミアの仕事の大半はこいつらが管理しとる」
「へえ、村長様が管理されているわけではないのですね」
「人間の共同体は色々ある。村であれば村長、お前さんの里のように長や王が治める地もあるが、トレミアは三つの商会が協力して国を治めて成り立っとるんじゃ」
「何だか、人間の世界は面白いですね」
リエルは感心したように頷いて、麓の街区へと視線を巡らせた。初めて訪れる人間の国、そして町に自然と気分が高揚する。
「ほれ行くぞ」
先を行くバルディンに呼ばれ、リエルは軽い足取りで二人の後を追った。坂を下り、麓の街区が近くなるにつれて、少しずつ街道を行き交う人の数が増えていく。
リエルはふとゼヴァルに目を向ける。そういえばフードを被らないのだろうか、とリエルが不思議に思っていると、不意にバルディンが言った。
「トレミアはこの大陸でも指折りの商業国家でな。人の往来も多いが故に、人間以外の種族にも開放的じゃ」
言われて街道を見渡せば、確かに人々は誰一人としてこちらに目を留めてはいなかった。
荷車を引く馬を急かす商人も、大きな布を背負った行商人も、皆それぞれの用事に追われているようだった。
「では、とても良い国なのですね」
「うむ。目立つ儂らにはちょうど良い」
「余計なお世話だ」
そうして坂を下り切ると、町の入口となる石門の前へと辿り着いた。
行き交う人々は門の前で槍を掲げた番兵に止められ、検問を受けているようだった。三人は人の流れに沿って前へと進んでいく。
「止まれ、旅人か」
番兵に呼び止められ、三人は門の前で足を止めた。
番兵の左肩には、緋色の布地を巻いた腕章が締められていた。布の中央には、横向きに駆ける姿の一頭の馬が黒糸で縫い取られている。
「通行証はあるか?」
「ここに」
バルディンが懐から一枚の薄い羊皮紙を取り出して番兵に手渡す。紙の隅には新緑色の蝋印が押されており、菱形格子の中に小さく鮭の意匠があしらわれていた。
「ヴェルデ商会の通行証か」
番兵は蝋印に一瞬だけ目を留めたが、無言で通行証を一瞥すると首を横に振った。
「これでは通れんな」
「何だと?」
バルディンが耳を疑うも、番兵は突き放すように続けた。
「ソーリアはテレーノ商会の管轄だ。テレーノ商会の通行証が無ければこの門は通せん」
「前にトレミアを訪れた時は、そんな話は無かったぞ」
「いつの話かわからんが、今は勝手が違う」
バルディンが低く唸ると、後ろで聞いていたゼヴァルがバルディンの肩越しに番兵へと声をかけた。
「それならテレーノ商会の通行証は発行できないのか」
「お前たち、金は?」
番兵が冷ややかな目で三人を見つめる。
ゼヴァルは懐から取り出した革袋の口を解き、手のひらの上にひっくり返した。銀貨と銅貨が幾つか零れ落ち、それっきり袋の中からは何も出てこなかった。
「金が無いなら諦めろ。後ろが支えている」
通行証をバルディンの胸元へと押し戻し、番兵が顎で道の脇を示す。バルディンは舌打ち混じりに通行証を受け取ると、ゼヴァルを見上げた。
「いったん出直すしかなさそうじゃな」
「ああ」
ゼヴァルがバルディンの肩に手を置き、軽く引いた瞬間、後ろから軽やかな声がかかった。
「まあまあ、番兵さん」
振り返ると、人混みの中から一人の若い黒髪の男性が歩み出てきた。袖口を絞った薄手の上衣に黒い革帯と脚半、汚れの目立たない暗色の装いをしている。
「通行証の不備なんてよくあることじゃないですか」
黒髪の男性が片目にかかった前髪の奥で、薄紫の瞳を細めて柔らかな笑顔を浮かべる。それからわざとらしく頭を傾げると、背中の長棍に結わえられた鈴が微かに鳴った。
「何だお前は?」
番兵が怪訝そうに尋ねると、黒髪の男性は背中の棍の先端に巻いていた緋色の布を解いて掲げてみせた。
「番兵さんと同じ、テレーノ商会の傭兵です」
「……確かに、テレーノの紋章だ」
番兵が眉を寄せる。
黒髪の男性は小さく笑うと、ゼヴァル、そしてリエルへと目を向けた。視線がリエルの長い耳の上で僅かに留まり、すぐに穏やかな笑みへと戻る。
「彼らは旅の途中。ちょっと珍しいお連れの方もご一緒ですが、僕の知り合いなんです」
黒髪の男性が番兵へと向き直り、軽く頭を下げる。
「ここは僕の顔を立てては頂けませんか」
番兵は不審そうに黒髪の男性を睨み、すぐには頷かなかった。
ゼヴァルたちの後ろでは足止めを食っている人の列が伸び、焦れた声や不満が漏れ始めている。
番兵はその雰囲気を察すると、黒髪の男性と三人を交互に見比べ、やがて煩わしそうに息を吐いた。
「ちっ、今回だけだぞ」
番兵が顎で門の奥を示すと、黒髪の男性はゼヴァルたちに振り向いて恭しく手のひらで進路を示した。
「よかった。通れるようになりましたよ」
黒髪の男性が番兵の脇を抜けていき、促されるままに三人も戸惑いながら後に続いた。
石門を潜り抜けながら、ゼヴァルが口を開く。
「悪い、助かった」
「いえいえ。僕はネロと言います。皆さんは?」
ネロと名乗った黒髪の男性が、布を棍に結び直しながら穏やかに微笑む。三人はそれぞれ名を名乗り、最後にバルディンが重ねるように尋ねた。
「何で儂らを助けた?」
「お困りのようだったので。それに、トレミアでもエルフやハーフエルフの方を目にするのは珍しくて」
笑顔を浮かべたまま、ネロの瞳がリエル、それからゼヴァルの順にゆっくりと滑っていった。
「お近づきになりたい、という半分下心ありでお声がけしました。皆さんは、どうしてこの町に?」
「北を目指す旅の途中だ」
ゼヴァルが前を向いたまま淡々と答えた。バルディンは片方の眉を上げ、ゼヴァルより幾分か砕けた調子で口を開いた。
「トレミアに来たついでに、学術都市にも寄るつもりでな。お前さん、テレーノ商会の傭兵なら儂らに通行証を計らってくれんか?」
「もちろん! 詰所までご案内しますね」
「悪いな」
門を抜けると、白い石壁の街並みと多くの人々が行き交う街路が目の前に開けた。ネロが軽やかに先頭に立ち、三人を街路の傍の石段へと導いていく。
「親切な方に助けて頂けましたね」
段丘面を緩やかに上る石段を踏みながらリエルが呟いた。道の両側には塩漬けの魚を吊るす屋台や、香辛料の小袋を並べる露店が連なっている。
「どうだかな」
先を行くネロの背中を視線で追いながらゼヴァルが短く返す。
日に焼けた肌の漁師が網袋を背負いながら、籠一杯の干し魚を肩に担いで段丘を下っていく。すれ違いざまに、毛皮を山積みにした荷車を押す商人が石段を上っていった。
「ああいう、笑顔を振り撒く奴は信用ならない」
リエルは目をぱちりと瞬き、不思議そうにゼヴァルの顔を見上げた。
「そうなのですか?」
「ああ。昔、バルディンが言っていた」
ゼヴァルが前を向いたまま、ぼそりと答える。リエルは口元に手を当てながら思わずくすりと笑った。
「それは、間違い無いですね」
「……何がおかしい」
「何でもありません」
リエルはふふ、と口元を押さえたまま首を横に振った。
ゆっくりと街並みが通り過ぎていく。頭巾姿の主婦が塩漬け肉の値を露天商と競り合い、その傍らでは子供たちが籠の貝殻を覗き込んで歓声を上げている。
そんな賑わいを横目に、二人の少し前でバルディンとネロが和やかに会話を交わしていた。
「通行証の当てはあるのか?」
「うーん、発行するのは僕じゃなくて商会の役人なので、何とも言えませんが」
ネロが顎に軽く指を添え、何か思案するように石段の先へと視線を投げた。
「皆さんは見たところ腕が立ちそうなので、口利きはできそうです。商会からの依頼をこなせば、通行証なんてすぐ手に入りますよ」
ネロの提案に、バルディンは興味ありげに身を乗り出す。
「依頼か。ちょうど金にも困っていたところだ」
「商団の護衛なんて良さそうですね。最近トレミアでも魔物の出現が増えていて、街道も安全とは言い切れなくて」
「ほう、それは金になりそうだな」
「まあ、素性の知れない旅人に頼むことは無いと思いますが」
眉をひそめたバルディンを横目に、ネロは片目にかかる前髪を指先で軽く払った。それから数段先へ軽やかに駆け上がると、くるりと身を翻した。
「まずは無難に魔物退治。皆さんならすぐに実績を作れますよ」
後ろ歩きのまま、バルディンを見下ろしておどけたように笑ってみせる。バルディンは呆れたようにため息をついた。
「口の減らん奴だ……」




