第19話 星の降る夜
見張り台の周りには、少しずつ村人たちが集まり出していた。坂の下に揺れる松明の光も先程より数が増えている。
リエルとバルディンは村人たちの輪の手前でそっと足を止めた。村長が集まってきた村人たちに事の経緯を説明しているところのようだった。
「本当に……?」
「ええ。もう、夜に怯える必要は無いのです」
「一体誰が……?」
「全て、この方たちのおかげです」
村長がゼヴァル、そしてバルディンとリエルを指し示す。村人たちは塵となり消えかけた魔物の名残と、ゼヴァルたちの姿を交互に見比べた。
やがて、戸惑いと驚きは少しずつ歓喜の声へと変わっていった。
「ありがとう……!」
「村の恩人だ!」
村人たちが口々に礼を述べながら、ゼヴァルたちの方へ歩み寄ってくる。差し出された手の数に、ゼヴァルは僅かに身を引いた。その背中をバルディンがぽんと軽く叩く。
「村の恩人がそんなんでどうする」
ゼヴァルが振り返ると、バルディンはにやにやしながら髭を撫でていた。その後ろで、リエルも小さく笑っている。
ゼヴァルは何も言わずに村人たちの方へ向き直ると、差し出された手を一つ、また一つと握り返していった。
熱りが少し冷めると、村人たちは四方に散って見張り台の周りで語らい始めた。
空を見上げる者、子供を抱き上げる者、ただ笑い合う者——この村に着いた時に感じた重い空気は、もうどこにも見当たらなかった。
その輪から離れて、村長がゆっくりと歩み寄ってきた。
「改めて、村を代表してお礼を申し上げます」
三人に向けて深々と頭を下げた村長に、バルディンが手を振ってみせた。
「よしてくれ、もう充分に感謝されたわい」
「いえ、感謝してもしきれません。この村に平穏が訪れたのは、皆さんのおかげです」
「気にするな。お前さんこそ、見事じゃったぞ」
バルディンがそう言うと、村長は頭を上げて少し照れたように頭をかいた。
「私は、ただ夢中で……」
村長はそこで言葉を切り、ふと空を見上げた。重い雲が空を覆い、陰った月だけがぼんやりと浮かんでいる。
「あの星空をもう一度、と思っていたのですが……あいにくの曇り空とは。皆さんに村を救って頂くのに、運を使い果たしてしまったようです」
村長はそう言って寂しげに笑ったが、それでも空を見上げ続けていた。三人も言葉を失い、ただ空を見上げる。
「——あ」
ふと、リエルが何か思いついたように声を漏らした。
「少し、待っていてくださいませんか」
リエルはそう言うなり、どこかへと駆け出した。
「おい、どこへ行く」
バルディンの声も聞こえていないのか、その背中はあっという間に家並みの陰へ消えていってしまった。
「行ってしもうた……」
ゼヴァルとバルディンは首を傾げて、リエルが去っていった方を見つめる。
ふと、ゼヴァルは誰かに見られている気がして物陰に目を凝らした。松明の光も届かない暗がりで、ティカがこちらをじっと見つめている。
「おお、ティカ。そんなところに立っていないで、こっちに来てはどうかね」
村長が優しく声をかける。ティカは重い足取りでゆっくりとこちらへと歩み出た。
「……魔物、本当に倒したんだ」
「ああ」
ゼヴァルが短く答えると、ティカは足を止めた。俯いたまま視線を足元に落としている。
「正直、無理だと思ってた」
少しだけ声が震えていた。
「どうせなら、倒せない方がよかった」
「ティカ、何を……」
村長が戸惑いの目を向けると、ティカは両手をぎゅっと握り締めて吐き捨てるように言った。
「……魔物を倒しても、あたしのお父さんは帰ってこないのに」
ゼヴァルたちは言葉を失った。村人たちの話し声が、とても遠くの方から聞こえるように感じられる。
「ティカ、君のお父さんも私と同じで、この見張り台から見る星空がとても好きな人だった」
村長が徐に口を開いた。
「とても腕のいい大工だった。この見張り台も、半分は彼が建てたようなものでね」
傷だらけの横木をそっと撫で、村長は見張り台を見上げた。ティカは黙って村長の話に耳を傾けている。
「魔物が村を襲ったあの夜も、彼は最後までこの見張り台を守ろうとしていた。逃げ出した私に代わって、最後まで……」
こつ、こつ、と櫓に吊るされた木の板が風に鳴った。村長は一度言葉を切り、ティカへと向き直る。
「それから私は、この見張り台だけは守ると決めた。君のお父さんも大好きだった、あの景色を守るために」
村長は膝を折り、ティカと目の高さを合わせた。そして優しく微笑みかける。
「亡くなった者の命はもう戻らないが、思い出が消えることは無いはずだよ、ティカ」
ティカは何も言わず、ただ下を向いていた。顔は陰に沈み、その表情は窺えなかった。
村長もそれ以上は言葉を続けず、ただティカの頭にそっと手を置いた。
『思い出が消えることは無い』
村長の言葉が、ゼヴァルの胸の奥に沈んでいく。記憶の泥の底に何かが沈んでいる。
自分にとっての思い出、それは——家並みの陰から近づいてくる軽い足音で、ゼヴァルは我に返った。
「お待たせしました……!」
リエルが肩で息をしながら駆け寄ってくる。しかし、その場の沈んだ空気に気づいて足を緩めた。俯いたティカと、その傍らに膝をつく村長を順に見つめる。
「どうかされたのですか……?」
「まあ、ちょっとな」
バルディンはティカをちらりと見て、それとなく話を逸らした。
「それより、どこに行っておったんだ」
「あ、宿へ鞄を取りに戻っていました。これを、皆さんに見て頂きたくて」
リエルは肩掛けの鞄から細い筒と革の小袋を取り出した。
筒の端の小さな蓋を外し、小袋の中から色とりどりの小石やガラスの欠片を摘み上げ、筒の中へと入れていく。
「これは星見の筒と言って……」
そう言ってリエルが指先に魔力を込めると、筒の内側から仄かな光が滲み出た。蓋を閉め、筒の向きを整えてそっと村長へと差し出す。
「覗いてみてください」
村長は戸惑いながらも筒を受け取ると、片目を閉じて空に向けて筒を覗き込んだ。
「これは……」
筒の奥に広がっていたのは、無数の小さな光の粒だった。ガラス片と色石が組み合わさり、仄かな光が幾重にも反射して星空のような煌めきを描き出していく。
「まるで、星空を見ているような……」
「嫌なことがあったり、悩んだ時は、いつも里でこれを覗いていました」
リエルは村長の隣にしゃがむと、ティカへと優しく微笑みかけた。
「ティカさんも、覗いてみませんか」
下を向いていたティカの顔が僅かに上がる。村長がそっと筒を差し出すと、ティカは小さな手でそれを受け取った。筒の端に片目を当て、恐る恐る空へと向ける。
「綺麗……」
小さな声が漏れた。向きを変える度に筒の中の光の粒が静かに位置を変え、新しい星々の配置を描き出す。
思わず見惚れているティカの様子に、リエルはほっと息をついた。
「ふふ、よかった」
「上で……あそこで、見てみたい」
ティカが見上げた先には、傷だらけの見張り台がひっそりと佇んでいた。村長が立ち上がり、目尻に皺を寄せる。
「ああ、もちろん。あそこからの眺めは、格別だからね」
村長がティカの手を取り、見張り台の梯子へと歩み出す。ティカは筒を大事そうに抱えてその後に続いた。
村長とティカが梯子を上っていくのを、ゼヴァルたちは下から見上げていた。
見張り台の上に立ったティカが筒を空へと向ける。その隣で、村長が同じ空を見上げている。
「いい夜になったな」
バルディンが髭を撫でながら呟く。リエルは胸の前で手を組んだまま、二人の姿を見守っていた。ゼヴァルは何も言わず、見張り台の上の二つの影を見上げている。
ティカの目の前には、溢れんばかりの星空がまるで降り注ぐかのように広がっていた。
*
翌朝、空は美しく晴れ渡っていた。三人は村人たちに惜しまれながら見送られ、村を後にした。
「よかったのか?」
坂を下る道すがら、バルディンがリエルに尋ねる。
「はい。あの筒は、まだ他にもありますから」
そう言ってリエルは振り返る。
見張り台の下では、村長とティカが手を振り続けていた。ティカのもう一方の手には、星見の筒がぎゅっと握られている。
やがて村は段丘の稜線の向こうへ隠れ、手を振る影も見えなくなった。リエルは少し名残惜しそうにしながらも、前へと向き直る。
「次はどこに向かうのですか?」
「このまま街道を西に進めば、トレミア共和国領に入る。確か、アストログマの研究をしている学術都市があったはずじゃ」
「学術都市……」
リエルは小さく繰り返す。バルディンはリエル、そしてゼヴァルを横目に見やった。
「まずは情報収集だ。魔人のことも、祝福のことも、そこで何かわかるかもしれん」
リエルは立ち止まり、遠い西の空へ目をやる。青い空の下で、街道は段丘の合間を縫ってどこまでも続いていた。
「何してる、行くぞ」
先を行くゼヴァルが振り返らずに言った。リエルは慌ててその背を追いかける。
「あ、待ってください!」
三人の背中を朝の光が押し出すように照らす。段丘を吹き抜けた風が、三人の進む先へとそっと流れていった。
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