第16話 段丘沿いの村
その日の夕方、リエルの案内で迷いの森を無事抜けたゼヴァルとバルディンは、見覚えのある小さな村へと辿り着いた。
「ここは?」
リエルが立ち止まって村を眺める。二人も立ち止まり、バルディンが髭を撫でながらリエルの方へ振り返る。
「人間の村だ。ちょいと用があってな」
「人間の村。これが……」
ぽつりと呟いて、リエルは胸に手を当てた。緊張しているようだった。
「すいません、ちょっと心の準備を……」
手を握り込み、ゆっくりと深呼吸をする。
——私は、外の世界に来たんだ。
大丈夫、と呟く。竦んだ足に自分から力を込めて歩き出し、リエルは二人の隣に並んだ。
村へと入ると、入口の畑で鍬を振るっていた老人が手を止めて三人を見上げた。
「おお、あの時の旅の方々……!」
老人の目がゼヴァルとバルディンに止まると、皺の寄った顔がふっと綻んだ。
「よくぞ戻られました。食堂の店主が首を長くして待っていましたよ」
ゼヴァルとバルディンは頷いて村の奥へと歩いていく。その隣を歩く見慣れない少女に気づき、老人は少し眉を上げた。
「おや、そちらの方は……」
「あっ……」
言葉に詰まったリエルを、老人は少しの間見つめていた。しかし、その視線は二人が初めて村を訪れた時のようなものではなかった。
「ようこそ、この村へ。歓迎致します、エルフのお嬢さん」
笑顔を向けた老人の姿に、リエルの表情から少し緊張の色が消えた。
——大丈夫。
リエルは老人に向かって丁寧に頭を下げると、先を行く二人の後を追った。
村の食堂へ着くと、香ばしい香りが三人を出迎えた。看板は綺麗にかけ直され、扉の隙間から人々の話し声が漏れ出ている。
「いらっしゃ——」
三人の姿を見るなり、店主は声を詰まらせた。店主の家族は、すっかり元の暮らしを取り戻していた。
目の下の隈が消えた店主と、水桶を抱えて店内を元気良く歩く少年を見て、バルディンは満足そうに笑う。
「席は空いとるか。飯とぶどう酒をくれ」
「ええ、ええ、もちろんです……!」
三人は店の真ん中の丸テーブルへと通された。
席に着いて間も無く、エプロン姿の女性が運んできた木の杯と料理の皿は、テーブルに乗り切らない程の量だった。
女性の瞳には薄っすらと涙が滲んでいた。
「お二人は、この村で一体何を……?」
リエルが困惑した表情で二人に目を向ける。バルディンは木の杯を掲げ、からからと笑った。
「細かいことは気にするな」
それから村の住民たち、店主の家族も交えた宴会が始まった。
早々に酒樽を空けたバルディンは、村人と肩を組んで何やら歌い出した。ゼヴァルはその様子を横目に、店主夫婦と静かに話をしている。
沢山の料理を囲み、酒を酌み交わす。食堂には明るい声と笑顔が溢れていた。
リエルにとって、その何もかもが初めてのことだった。その景色の中心にいる二人を、リエルは傍らでそっと微笑みながら見守っていた。
*
数日後の朝。三人は迷いの森から西に位置する段丘地帯を進んでいた。
岩場を抜け、丘の中腹を緩やかに横切る街道へと入る。
膝丈程の野草が生い茂っているが一部は踏みならされ、固い土と石がずっと先まで続いている。
「この辺りは、森と違って、とても、険しいですね……」
ゼヴァルとバルディンから数歩遅れていたリエルが、息を切らす。
「迷いの森も含めて、この辺りはルペス地方と呼ばれておる」
そう言ってバルディンはリエルに手を差し出した。
細い手が節くれだった褐色の手にそっと預けられ、小さな段差の上からバルディンがリエルを引き上げる。
「北から流れる大河フルージアが長い年月をかけて削った幾段もの崖と、それを覆うように群生する古木の森が成す、剥き出しの自然地帯だ」
リエルが段差を越えたのを確認すると、バルディンは手を離して再び歩き出し、付け加えた。
「もう少し歩けば村の一つもあるじゃろう」
「……はい、ありがとうございます」
リエルは頷き、膝に手をついて息を整える。ふと、足元に半透明の乳白色をした爪程の大きさの石が落ちているのに気づいた。
「これは……」
リエルは少し屈んで、指先でそれを摘み上げる。石にそっと魔力を込めると、石の中心が仄かに水色の光を宿し、淡く脈打つように瞬いた。
「どうした?」
バルディンが振り返る。
「あ、すいません。微炯石を見つけたので、つい……」
リエルは石を肩掛けの鞄から出した革の小袋へと収め、目を細めた。
「魔力を込めると微かに光る石で、迷いの森にも落ちていました。実は私、こういった物を集めてまして……」
「ほう、何のために」
バルディンが髭を撫でながら、興味深そうにリエルの手元を覗き込む。リエルは立ち上がり、小袋の口を結びながらはにかんだ。
「ただの趣味です」
バルディンが首を傾げていると、二人の先を行っていたゼヴァルが不意に立ち止まった。
「見えてきたぞ」
ゼヴァルが前方を示す。街道の先の斜面が一際大きくせり出した場所に、石垣に囲まれた小さな村が見えた。
低い段には畑と果樹が並び、そこから上へ向かって家々が積み重なり、煙突から薄く煙が立ち上っている。
段の一番上には、木組みの見張り台が一本だけ立っていた。
「今日は野営をせずに済みそうだな」
「ちょうど良い。この前の礼で貰ったぶどう酒も切れたところだ」
バルディンがゼヴァルの横に並び、腰の革袋を軽く叩いてみせる。遅れてリエルもゼヴァルの隣に立ち、背伸びをして村を見上げた。
「あの煙は、何のために上げているのでしょうか?」
「決まっとるじゃろう」
バルディンがにやりと笑う。
「美味い飯が儂らを待っとる合図だ」
軽快に歩き出し、三人は村へと伸びる坂を上っていった。
しばらく歩くと、道の先に村の入口らしき石垣の切れ目が見えた。リエルが歩きながらふうと息を吐く。
「着いたのでしょうか」
「そのようじゃな」
バルディンが額に手を添えて道の先を眺める。石垣の傍らに、腰に剣をぶら下げた男性が一人立っているのが見えた。
「誰かおるな。見張りか何かか」
ゼヴァルが無言でフードを被る。その隣でリエルが不思議そうに首を傾げた。
「どうされたのですか?」
「別に」
考えるような間を置いて、ゼヴァルは続けた。
「村に入る前の準備だ」
「準備? フードを被ることがですか?」
リエルが更に首を傾げる。そういえばこいつは知らないのか、とゼヴァルはため息をついた。
「人間の社会ではエルフは珍しい。場所によっては差別を受けることもある。混血はなおさらだ」
「でも、この前の村の方々は友好的でした」
「……」
ゼヴァルはフードの奥で黙ってしまった。見かねたバルディンが横から口を挟む。
「あれが全てというわけではない。他種族に対する態度は、人間もエルフもさほど変わらんということだ」
リエルの脳裏に里のエルフたちの顔が一瞬浮かんだ。他種族、という言葉が胸に引っかかった。
「そう、ですか……」
納得したような、納得していないような表情を浮かべつつ、リエルは頷いた。
村の入口が近くなると、徐々にゼヴァルの歩みが遅くなっていった。
自然とバルディンが先頭になってそのまま進んでいると、足音に気づいて男性が顔を上げた。立ち止まった三人を、ぼんやりと見回す。
「珍しいな、旅人かい?」
「ああ。少し寄っていっても構わんか」
窺うようにバルディンが髭を撫でる。男性の声には覇気が無かった。
「……もちろんだ。何も無い村だけど歓迎するよ」
男性はそれっきり三人への興味を失った。
バルディンが礼を言って歩き出し、ゼヴァルとリエルが後に続く。くたびれた様子で、うなだれている男性の隣を通り過ぎる。
「ありがとうございました」
リエルは頭を下げたが、男性は目もくれなかった。違和感を覚えつつ、石垣の切れ目を抜けて村の中へ入っていく。
街道から見えた通り、畑と果樹の段が下から広がり、その上へ向かって家々が積み重なるように連なっていた。
畑には収穫されずに萎れた野菜が残され、果樹の根元には熟して落ちた実が拾われずに転がっている。
まだ午前中だというのに、畑に出ている者は疎らだった。
「……何だか様子がおかしいですね。この前の村とは、全然雰囲気が違うように感じます」
リエルが辺りを見回しながら心配そうに呟く。
「ふむ。村で何かあったのかもしれんな」
バルディンも横目で人々の様子を追う。皆一様に俯きがちで、こちらに対する関心は無いようだった。
「宿と食堂があるといいが。とりあえず、建物のある上の方へ向かうぞ」
バルディンはあまり気にしていないようだった。ずんずんと前を歩いて坂の方へと向かっていく。
リエルは隣を歩くゼヴァルへと視線を移した。
「ゼヴァルさんはどう思われますか……?」
ゼヴァルは答えず、黙ったままどこかを見つめていた。
リエルはゼヴァルの顔が向いている方へ視線を流す——果樹の幹が一本、何かに引き裂かれたように折れていた。リエルの表情に陰が落ちる。
「魔物、でしょうか」
「かもしれない。魔物はどこにでもいる」
ゼヴァルの声は落ち着いていた。
「もしそうなら倒すまでだ」
フードの奥の表情は見えなかったが、リエルはゼヴァルの言葉にこくりと頷いた。




