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甦生のアストログマ  作者: ボリカツ
迷いの森編
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第14話 痛みを抱えて③

 茫然と立ち尽くすリエルを、エスラドールは淡々と見下ろしていた。頭の中で、ガラルセンとの会話を思い返す。


『ファイリリエネスを魔人の手に渡すことだけは、避けねばならない』


 ガラルセンはエスラドールに対して、しきりにそう言った。理由を尋ねることをエスラドールはしなかった。


 ガラルセンがそう言うのであれば、ただ従うのみ。それがこの里を守る兵士たる者の掟であり、下された決断に疑いの余地は無かった。


 リエルは塞ぎ込んだまま口を開く様子は無い。ふと、エスラドールは初めてリエルと出会った時のことを思い出した。



 *



 エスラドールが兵士になってしばらく経ったある日、この里には恐ろしい力を持つ存在がいると聞かされた。


 それを監視することが任務だと告げられ、先輩の兵士に連れられて小さな木の家へと案内された。


「こ、こんにちは」


 怯えた目で、弱々しく自分を見上げた少女に、エスラドールは嫌悪感を覚えた。少女の姿はエスラドールが思い描く、誇り高きエルフの像とかけ離れていた。


 ——こんな奴が恐ろしい力を?


 エスラドールは半信半疑だったが、命じられた任に全力で当たることにした。


 結局その日はずっと、家の中に引きこもる少女が外に出てこないかを見張るだけで終わった。


 それから何度か同じ任務につくことがあった。やることは変わらず、少女に対する嫌悪感が薄れることは無かった。


「この里の外は、どのような世界だと思いますか」


 ある日、唐突に少女はそう言った。窓辺からそっと顔を覗かせ、聞こえるか聞こえないか程の小さな声で。


 こいつは何を言っているんだ、とエスラドールは相手にしなかった。ただ、何事かを答えた記憶がぼんやりとある。


「あなたは、他の方とは少し違うのですね」


 少女はそう言って少し笑った。


 それから少女はエスラドールに色々なことを話すようになった。家から見える木々の違い、鳥の名前、月の満ち欠けの様子、風の音——どれもエスラドールの興味を惹く内容ではなかった。


 だが、少女と話す時間は不思議と心が少し落ち着き、会話自体に嫌気が差すことは無かった。これも任務の一環か、とエスラドールは黙って少女の話に耳を傾けた。


「本当ですか!」


 ある晴れた日、エスラドールは長老の許可を得て少女を家の外へと連れ出した。監視の任務につく度に少女に懇願され続け、遂にエスラドールが根負けしたからだ。


 その日、石畳の道を跳ねるように歩く少女の姿が本当に嬉しそうだったこと、少女が初めて満面の笑みを見せたことを、エスラドールは覚えている。


 少女への嫌悪感が消えることは無かった。それは今も変わっていない。変わったのは——。



 *



「——明日の朝」


 エスラドールの口から不意に言葉が発せられた。


「ハーフエルフとドワーフがこの里を発つ」


「……?」


 リエルの顔がゆっくりと持ち上がり、エスラドールを頼りなく見上げた。訴えかけるように、何かを探すように瞳が揺れている。


「何故、私にそれを……?」


 エスラドールは沈黙した。夜風が二人の間を通り抜け、大樹の葉が微かに揺れる。


 しばらくして、エスラドールは組んでいた腕を解き、静かに口を開いた。


「私はお前のことが嫌いだ」


 リエルが力無く俯く。エスラドールはただ言葉をそこに置いていくように続けた。


「この里の者は皆この里のために生き、この里で一生を終える。外界のことなど何の関心も無い。それがこの里の在り方であり、千年の時を生きるエルフの在り方だ」


 エスラドールの瞳に映るリエルの姿が、自信無さげにいつも下を向いていた少女の面影と重なる。


「常日頃お前のことを異端と呼んでいるな。私は、一度たりともお前をこの里の民だと思ったことは無い」


 リエルの肩が小刻みに震え、右腕を隠すように左手がそれを抱き寄せた。エスラドールはそれを目で追う。


「生まれ持った力は関係無い」


 リエルの右腕から左手が滑り落ち、少し顔が上がった。固唾を飲んでエスラドールの次の言葉を待っている。


 エスラドールは壁に預けていた体を前へと離すと、リエルの方へと歩き出した。


「外の話を聞きたがり、人間の噂に耳を澄ませ、森の中へと一人出かける。その身は常にこの場所に在りながら、お前の心は常にこの里ではないどこかに在るようだった」


 夜風が再び一筋流れ、梢の彼方で葉擦れの音が低く鳴った。


「だからお前は異端なのだ」


 ——私は何故こんな話をしている。


 心の中でエスラドールは自分に問いかけたが、答えは返ってこなかった。エスラドールは立ち止まり、目の前でこちらをただ見つめるリエルを見返す。


 ——あの時のお前の瞳には、確かに光が宿っていた。


 保管庫の前でリエルから向けられた眼差しは、エスラドールが初めて見るものだった。こちらの顔色を窺うだけの弱々しい少女の面影は、どこにも無いように思えた。


「夜明け前には兵たちがここへ訪れるだろう。そうなれば、お前は本当の意味で孤独となる。お前の言う外の世界を見たいという願いが叶うことは、二度と無くなるだろう」


 そう言ってエスラドールは再び歩き出した。言葉を探しているリエルの隣を黙って通り過ぎていく。


 リエルはその背中をただ見送ることしかできずにいた。何かを言おうとして、上手く言葉にならず、声にできない。


「——待って!」


 リエルが絞り出すように叫んだ。エスラドールは振り返らず、立ち止まる。


 ——私は。


 リエルは縋るようにエスラドールの背中を見つめた。


「私は……どうすれば……」


 リエルのか細い声は、夜の闇の中に溶けていった。沈黙が落ちる。


 しばらくして、エスラドールは徐に口を開いた。


「自分で考えろ」


 ——この檻を出るには、お前自身が変わるしかない。


「お前が決めることだ」


 そう言って、エスラドールは振り返ること無く再び歩き出した。リエルは息を呑み、その背中を見つめる。


『この里の外は、どのような世界だと思いますか』


 いつだったろうか、リエルはエスラドールにそう尋ねたことがある。


『考えたことも無い。だが、美しいと想像する方が健全だ』


 エスラドールは淡々とした表情でそう答えた。その言葉は、リエルに深い意味を与えた。あの日以来、リエルにとってエスラドールは特別な存在になった。


「エスラドール……」


 落ち葉を踏む足音が徐々に夜の闇へと遠ざかっていく。月明かりがリエルを優しく照らし、翡翠色の瞳の縁に薄い光の粒が宿る。


「ありがとう……」


 リエルが呟いたその言葉を、風がそっとどこかへと運んでいった。


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