第13話 痛みを抱えて②
ゼヴァルとヴォルンドルの間に、見かねたバルディンが割って入った。
斧を頭上に掲げ、ゼヴァルへと振り下ろされる剣の刀身を斧の刃で受け止める。金属のぶつかり合う冷たい音が、夜の静寂に鋭く響き渡った。
「どけ。用があるのはハーフエルフの方だ」
ヴォルンドルの翠緑色の瞳が冷ややかにバルディンを見下ろす。バルディンは斧を支えながら、ヴォルンドルを見上げ返す。
「お前さんのやっていることは、ただの八つ当たりだ。こやつを殺して、それで仲間が浮かばれると本気で思っとるのか」
「貴様らが魔人を封印すれば、仲間たちは浮かばれるのか?」
ヴォルンドルが低い声で尋ね返した。剣が斧の刃の上でぎりぎりと軋みを上げる。吐き捨てるように、ヴォルンドルは続ける。
「俺のこの怒りはどうなる? 家族を失った者たちの悲しみは? そもそも、貴様らが約束を守る保証がどこにある?!」
剣を握るヴォルンドルの手に力がこもり、斧が僅かに退いた。
バルディンが唸る。両足を踏ん張り、全身に力を込める。
「ぬうん!」
鋭い金属音とともに、バルディンの斧がヴォルンドルの剣を弾き上げた。ヴォルンドルの体が衝撃に押されて、一歩後ろへと下がる。
「ほう……」
弾かれた剣、そしてバルディンへと視線を向けると、ヴォルンドルは感心したように少しだけ眉を上げた。
「ドワーフの割にやるな」
ヴォルンドルが剣を構え直す。バルディンは口を結んだまま、応じるように斧を構え直した。その広い背中の後ろから、ゼヴァルがバルディンを呼んだ。
「バルディン」
「何だ」
「俺がやる」
剣槍を構えながら、ゼヴァルがバルディンの前へと歩み出た。バルディンはゼヴァルの横顔を見上げる。
——迷っている。
顔を見てすぐにバルディンはそう思った。
ゼヴァルの剣槍の切っ先はヴォルンドルへ向けられてはいるが、敵を探すように揺れている。それがヴォルンドルの神経を逆撫でした。
「貴様を見ていると虫唾が走る」
ヴォルンドルの右腕の刻印が白緑色の光を放った。逆巻く風が落ち葉を吹き上げながら渦となり、剣の刃に纏われていく。
「ガラルセン様の方針に不満は無い。だが、納得はしていない。俺は俺のやり方で、この里を守る!」
ヴォルンドルはそう言い放つと、剣を握る右手を勢い良く横へ薙いだ。刃に纏われていた風が横一文字の真空波となり、放たれる。
——速い。
迫りくる風の刃を見据えながら、剣槍を握るゼヴァルの両手に力がこもった。避けられないのなら防ぐしかない、とゼヴァルは考えると同時に左腕の刻印を発光させた。
「氷の——」
冷気がゼヴァルの周囲から立ち込めたその時、突如として突風が吹いた。
ゼヴァルの眼前で空気が引き絞られるように集い、空間の一部がガラス越しのように歪む。真空波がそれに衝突すると、音も無く霧散した。
「——ここで何をしているのですか」
ヴォルンドルの背後から人影がゆっくりと歩いてくる。
見覚えのある顔——大樹の奥の部屋で、壇の脇に控えていた銀髪のエルフだった。右腕に刻まれた疎らな円と気流のような紋様の刻印が、灰白色の光を放っている。
「……邪魔をするな、タラスィル」
ヴォルンドルが振り返り、タラスィルと呼んだ銀髪のエルフを睨みつける。タラスィルは凛としてヴォルンドルを見返す。
「ガラルセン様は彼らを不問とされました。貴方のしていることは、里の意志ではない」
ヴォルンドルを諭すように、タラスィルの声は落ち着いていた。
「誇り高きエルフの名に泥を塗るつもりですか」
「……貴様も、こいつらを庇うというのか」
「庇っているわけではありません。ただ、今彼らに剣を向けるべきではないと言っているだけです」
タラスィルの右腕の刻印から灰白色の光が消えるとともに、ゼヴァルの前の空気の歪みもふっと消えた。ゼヴァルは武器を下ろし、バルディンと共に二人の様子を窺う。
ヴォルンドルは剣を構えたまま黙り込んでいる。やり切れない表情で、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた後、ヴォルンドルは剣を明後日の方向へ薙いだ。
風の刃が飛び、木々を切り裂く。刻印から放たれていた白緑色の光が収まっていくとともに、剣を握っていたヴォルンドルの手から力が抜けた。
「……この里の風景も、人々の笑顔も、俺が生まれてから一度たりとも損なわれたことは無かった」
そう言ってヴォルンドルは剣を鞘へと収めた。ゼヴァルとバルディンへ、鋭い視線だけを送る。
「貴様らさえ、現れなければ……!」
ゼヴァルとバルディンは口をつぐんだ。大樹の前でエスラドールが言っていた言葉が思い返される。
『お前たちを責めているのではない』
あの時のエスラドールは淡々としていたが、表情にはどこか陰りがあった。
やり場の無い怒りと、やるせなさ。
エスラドールが見せた表情と、ヴォルンドルの眼差しが重なる。
『この里の痛みを思い知るがいい!』
ヴォルンドルの言葉が頭の中でこだまする。故郷を失ったあの日の風景が、一瞬ゼヴァルの頭の中をよぎり、記憶の海の中にすぐに溶けていった。
タラスィルがこちらを見つめている。美しい翠緑色の瞳の奥に、ほんの僅かだがヴォルンドルの瞳に浮かぶ感情と同じものが滲んでいるように、ゼヴァルは思えた。
「貴方たちはもう行きなさい。この愚か者は私が諭しておきます」
ゼヴァルとバルディンは武器を収め、何も言わずに踵を返した。少しして、二人の背後からヴォルンドルの言葉が投げられた。
「必ず、役目を果たせ……必ずだ」
二人は立ち止まらず、言葉だけを受け取った。月明かりの中で、二人の足元に伸びる影が尾を引くように長くなっていった。
木の影で息を潜めていたリエルが、緊張を解くように長い息を吐く。
ゼヴァルとバルディンが広場の方へと歩いていくのを見つめる。気づかれてはいないようだ。
前の方に振り向くと、ヴォルンドルとタラスィルの姿も無くなっていた。リエルは木の陰から出て、一つ息をついた。
「ゼヴァルさんたちが、あの魔人を封印する役目を……」
呟いて、アポスタティアのことを思い出し、リエルは身震いした。
——あの魔人は私のことを知っているようだった。何故、何のために私を。
わからない、考えても仕方がない、とリエルは首を横に振り、歩き出す。
大樹の前を曲がり、疎らな苔と落ち葉が無造作に散った獣道のような通路へと向かう。里の灯りからも遠く、道の先は夜の闇に沈んでいる。
月明かりを頼りにしばらく歩くと、ひっそりと道の先に佇む小さな木造りの家が見えてきた。
リエルは里の中心から離れたこの家に一人で住んでいる——はずだったが、樹皮を編んだ素朴な扉の前に誰かいるようだった。
——誰だろう。
非常事態なこともあり、今のリエルに監視の兵はついていなかった。この家に訪れる者は誰もいないはずだった。警戒しながら家へと近づく。
「エスラドール……?」
リエルは家の手前まで来てようやく、扉に背を預けて腕を組んでいるエスラドールの顔を認めた。
リエルが立ち止まると、伏せられていたエスラドールの顔がゆっくりと持ち上がった。
「遅かったな」
「……何か御用でしょうか」
「今日も怪我人の治療をしていたのか」
会話が噛み合っていない。リエルはエスラドールの質問に答えることにした。
「はい。そのせいで遅くなってしまいました」
「重傷者はこの数日で全員回復、怪我人も残り僅かと聞いている。だが、その力を使っていいとガラルセン様に言われたか」
「それは……」
リエルが言葉に詰まる。エスラドールはため息をつくと、やれやれと言うように首を横に振った。
「私はもうお前の監視役になることは無いだろう」
「え……?」
リエルが思わず目を丸くする。エスラドールはその様子に目もくれず、冷ややかに言い放った。
「監視無しでこの里を出歩き、無断でその力を使った罪は重い。魔人の件もあって、ガラルセン様はお前を大樹の地下に幽閉すると決められた」
リエルは思わず言葉を失った。胸が苦しい。薄っすらと、こうなることはわかっていたような気もする。
でも、そうせずにはいられなかった。この里を勝手に出歩いたこと、禁を破り力を使ったこと、自分で考えて行動したこと。
ただ夢中で、考えることを先送りにしていたリエルは、エスラドールの言葉で現実へと連れ戻された。




