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聖者の献身  作者: 囹圄
2/5

 星宇(シンユー)は院で最年長の子どもだ。

 体が大きく腕っぷしが強く、頭の回転も速い。

 面倒見もいいので、留守を任せるのには適任だ。

 (いささ)か不安なことといえば、大人に対して強い敵愾心(てきがいしん)を抱いている点だ。

 かつて浮浪児だった彼は、おそらく過去に、大人から手酷い裏切りを受けたのだろうと子墨(ズームォ)は推察している。

 院に拾われてからも、他の子どもたちが子墨を先生と呼び(した)う中、星宇だけは〝おっさん〟と呼び、たびたび反発した。

 とはいえ、院の子どもたちからは、子墨の次に頼りにされている。

 だから、渋面(じゅうめん)を浮かべながらも、星宇は頷いた。


「さすがに皇帝からの呼び出しじゃ逆らうわけにもいかねえもんな。わかったよ引き受けてやる。そんかわり、オレらが大人になるまで飢えないで済むぐれえ、治療費ふんだくってこいよ」

「ああ、そうだね。それじゃあ任せたよ」


 背を向け歩きだそうとすると、星宇がその背に声をかけた。


「よお、おっさん」

「え?」


 子墨がふり返ると、星宇はめずらしく不安そうな表情を浮かべていた。


「ちゃんと帰って来るよな?」

「もちろんだとも……なんだ、寂しいのか?」


 子墨は笑みを浮かべ、星宇に歩み寄る。

 手を伸ばして頭を撫でようとすると、星宇は顔を(しか)めて避けた。


「ばっ、やめろ! 他のガキどもはともかく、オレが寂しがるわけねえだろ!」

「そうか。私はおまえと離れるのは寂しいよ」

「ああウゼえ! もういいからさっさと行っちまえ!」


 星宇は悪態をつくと、廊下の奥へと走って消えた。

 子墨は少しの間苦笑すると、ふたたび玄関へ向かいながら顔を引き締めた。


「お待たせしました。行きましょう」


 兵士は小さく首肯(しゅこう)すると、子墨を挟むようにして院を出た。

 外ではさらにふたりの兵士が待機しており、四人は子墨の前後左右を囲うようにして移動した。

 皇帝の客人を護衛するというより、逃がさぬようにしているみたいだと子墨は思った。



 皇宮は、西慶(ざいあん)の街の中心に位置する。

 その敷地は、街の四分の一以上だと言われており、周囲には堀が張り巡らせてあるうえ、内側を高い城郭で囲んでいる。

 それゆえ、民のほとんどは皇宮の中を見たことさえない。


 水堀に沿ってしばらく歩くと、巨大な門が見えてきた。

 朱塗りの南門の前に立ち、兵のひとりが門番に駆け寄りなにか伝えると、(きし)みをたてながらゆっくりと扉が開いた。

 兵士に続いて門を潜ると、案内の兵たちよりも身形(みなり)の良い武官が、重装備の部下をふたり連れて待っていた。

 上官らしき男の前に子墨を連れて行くと、案内の兵士たちは深々と頭を下げてから立ち去った。


「〝下町の聖者〟というのはおまえか」

「はい。子墨と申します」

「ふん。大層な綽名(あだな)だな」


 武官は不快げに鼻で笑うと、子墨に背を向けた。


「来い。皇帝陛下がお会いになるそうだ」


 返事も待たずに歩きだした武官の後を追って、子墨はふたたび歩きはじめた。


 皇宮内は、どこか異様な様子だった。

 まず、人気(ひとけ)がなく、閑散(かんさん)としている。

 それに、管理する者がいないのか、庭には雑草が生えるままに放置されていた。

 国の最高権力者が住まう施設の敷地であるとは到底思えない。

 そしてそれ以上に奇妙なのが、庭のそこここに、土を盛った小山があることだ。

 それは、なにかを埋めた跡のようでもあった。

 小山とはいえそれなりに大きく、数も少なくはない。

 もしなにかを埋めたのだとすれば、それはいったいなんなのか。


 不穏な考えを巡らせていると、遠くの建物から複数の人間の笑い声が聞こえてきた。

 外の荒れ果てた様子とは不釣り合いな、楽しげだが、どこか下卑(げび)た笑いだ。

 やがて、行く手にひと際大きな宮殿が現れ、武官は入り口の守衛ふたりに小さく手を挙げ、中へと入っていった。

 後に続きながら、守衛をちらと窺うが、兜が顔全体を隠し、表情を確認することはできなかった。

 建物の中は、外から見た印象よりも、さらに広かった。

 何処までも続く廊下は広く暗く、こんな場所に本当に皇帝がいるのか子墨が疑い始めた頃、ようやく前方に扉が見えた。

 武官は一度立ち止まると、首を捻り子墨に鋭い視線を向けた。


「中へ入り少し進んだところで私が(ひざまず)くから、貴様も同じようにせよ」


 そう言うと、また返事を待たずに進んだ。

 先行した兵士が扉を開け、武官に続いて中へ入る。

 そこは開けた空間で、壁は漆喰(しっくい)の白、柱は朱塗りで、金具はすべて黄金だった。

 豪奢(ごうしゃ)な調度品や武具が壁際に並べられ、暗く飾り気のない石造りの廊下を進んできた子墨は眩暈(めまい)を覚えそうになる。

 広間は緩い雛段(ひなだん)となっており、奥まった最も高い段が、天蓋(てんがい)から広がる薄布で仕切られている。

 その向こう側、椅子に腰かけていると思しき人物こそが、皇帝なのだろうと子墨は察し、緊張に手足が微かに震えた。

 事前に説明されていた通り、武官は少し進むと、最初の段の前で片膝をつき、深々と(こうべ)を垂れた。

 すぐさま子墨が(なら)うと、武官が声を張る。


「〝下町の聖者〟殿をお連れいたしました」

「ご苦労。さがって良い」

「は? い、いえそれは――」

()()()()()()


 皇帝が繰り返すと、武官は「はっ!」と応じて立ち上がり、今入って来たばかりの入口へと向かった。

 すれ違いざま、武官が己にしか聞こえぬ程度の大きさで舌打ちしたのに子墨は気付いた。

 武官が退出しても、皇帝はなかなか口を開かなかった。

 緊張のあまり、子墨の顎先から脂汗がしたたり落ちた。

 これは、自分から話を切り出すべきなのかと、子墨が迷いはじめたところ、ようやく壇上から声をかけられた。


「よくここまで足を運んでくれた。(おもて)を上げよ」


 子墨はゆっくりと顔を上げる。

 薄布の向こうから、己に視線が向けられているのをたしかに感じた。


「名はなんという?」

「子墨と申します」


 本日三度目の名乗りだ。

 皇帝と思しき人物は、薄布の向こうで鷹揚(おうよう)に頷いた。


「ああ、事前に調べた通りだな……たしか、まわりの人間からは〝先生〟と呼ばれているとか……余もそう呼んでかまわぬか?」


 一瞬答えに詰まるが、子墨はどうにか応じる。


「お、おそれ多いことにございます」

「かまわぬ……貴公はたくさんの人を助け、孤児たちを保護しているのであろう? 尊敬に値する人物なのだから、敬称で呼ぶのは当然ではないか」


 今度こそ答えに迷っていると、皇帝はかまわず続けた。


「余は二十九代皇帝……名は――」


 その言葉に、子墨ははっとする。

 現皇帝は、たしか二十八代だったはず。

 しかも、即位してから四十年は経っていると聞いていたが、今自分に語りかけている声からは、若々しい張りを感じる。

 ということは、皇帝が代替わりしたという噂は本当だったのか。


 子墨が思考を巡らせる一方、皇帝は一度言葉を区切ると、なにゆえか「ふっ」と小さく笑った。


「……先帝からは、朱亞(シュア)と呼ばれていた」


 「えっ?」と声が漏れそうになるのを、子墨はどうにか(こら)えた。

 声の主は男のようだが、名乗られたのは女性名だ。

 しかも、子どもの愛称のような響きではないか。

 仮に以前そう呼ばれていたとしても、皇帝に即位したのなら、名を変えるものものではないのか。

 短時間で大量の情報を摂取したため混乱していると、不意に皇帝が立ち上がり、薄布を掻き分け姿を現した。

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