憧れの食べ歩き
提督は撞球室で、特にルールを設けず、頭を空っぽにして、玉を突いていた。
何か考え事があるとき、提督はこういう突き方をするのだが、このときも少々真面目に考えることがあったのだ。
「フレデリク。我々は平和を享受して生きているなぁ」
「はい。旦那さま」
「いずれテラリアが何か仕掛けてくると思うが、それまではこの平和を楽しまなければいけない」
「突然、いかがされたのです。旦那さま?」
「いずれ話すことなのだが、わたしは向こうの世界で戦死したのだよ」
「……存じ上げております」
「うん?」
「ツンツクツンでグロッグを二杯お召し上がりになったとき、旦那さまは酩酊されて、そのときに――」
「ふむ。そうか」
「そうなのだ。ドイツ海軍の通商破壊艦隊と戦って破れ、1916年7月6日、チリのコロネル沖で沈んだ。では、そのときわたしが乗っていた旗艦の名前も知っているわけだ」
「はい」
「参ったものだ。カレイジャスもきいたのだろうなあ。話を戻そう。カレイジャスはブリッジに直撃弾を食らい、艦長以下が戦死した。先任士官のアシュバートン大尉は戦艦をどうさばいたらいいのか分からなかったので、わたしがかわりに指揮した。ただ、戦力差は覆せなかった。相手の装甲巡洋艦を一隻道連れに、我々は轟沈した。死ぬのだろうなと思っていたが、気がつくとこの世界にいた。天国でも地獄でもヴァルハラでもなく、ただ永遠の無が訪れるわけでもなく、わたしはここにいる。何かこの世界でやるべきことがあるに違いない。このように平和に過ごしているとそんな想いに駆られるのだ。別にわたしは神を信じていないわけではないが、神はわたしにこのような穏やかな生活を与えるためにわたしの消滅を保留しているわけではないと思っている。神にあったことはないが、きっとその方は性悪であろう。と、まあ、いずれはわたしにも激動の活躍の機会があると思う。それまではやはりこの平和を享受しよう。それで今日はボーターとボーラー、どちらの帽子がいいかな?」
「非常によいお天気ですので、ボーターがよろしいかと。ただ、オプティモのパナマ・ハットもきっとお似合いになりますよ」
「ふむ。なかなか大胆な提案だが、決めた。それにしよう。では、帽子に合わせた服を見繕ってほしい」
「かしこまりました。旦那さま」
白いリネンのスリーピース・スーツにパナマ帽、お気に入りのスネークウッドのステッキで、フレデリクを連れて、大きな装飾門のある街を歩く。
大盛況のツンツクツンでベーグルを買って食べ、表通りに戻って進む。
軽い食事をとった後、提督はフレデリクに告白した。
「こんなことは紳士のすることではないし、恥ずかしいのだが――前から食べ歩きというのをしてみたいと思っていたのだ」
腕が一本と念力触手が二本あるディネガが二枚の銅の札を宙に浮かせてカスタネットみたいに鳴らしていた。
「ようよう! スープ飲んでけよ!」
培養肉と切った葱のスープを飲み、それから石垣の奥に引っ込んだ涼しい屋台で種無しスイカにガブッと噛みつき、今ではすっかり使い方が上手くなった箸でホットペッパー・ソイビーン・ケーキを食べた。
近くの工場の制服を着た様々な形態のディネガたちが平らなクレープみたいなパンに焼いたサバを丸ごと一匹置いて、マスタードをちょっと塗ると、ぐるっとまわして包んでしまった。そこから骨も頭も関係なく、食べるのだが、なるほどディネガたちの歯は魚の頭くらいでは動じない強靭で鋭利なステーキナイフみたいだった。
そのうち楼門のそばでヒトだかりが見えたので、ちょっと覗いてみようと思って、ヒト混みに割って入ると、
「やあ。パトリオパッツィの喜劇が始まるよ~」
コンピューターを内臓した人形劇をやっていた。
題名は『僕はただよかれと思って』
普通ならこの題名で喜劇なら、おっちょこちょいの主人公がよかれと思ってやったことがうまく行かずドタバタが起きてしまう内容だが、パトリオパッツィの喜劇は生真面目で優しいがその優しさを表現することができない主人公が相手のためを思った行動でさらなる破滅を呼び込み、孤立し、人格が破壊され、最後は登場人物を皆殺しにした後、自らの首を刎ねて終わる。
ただ客の側も『この劇はいつもよりコロシが足りねえ』というような連中なので、需要と供給のバランスはとれている。
「これはこれは、提督閣下。我が青空劇場に何の御用でしょうか?」
「たまたま歩いていたのだよ。シェイクスピア」
「そうかい。あっちの劇場にはもっと大きなオートマタを使う予定なんだけど、いくつかの劇を組み合わせて、より多くの裏切りと失望と絶望と、そしてほんの少しの希望をアレンジするつもりなんだよ」
「よい仕上がりになることを願っているよ」
「もちろん最高の喜劇になるさ」
と、パトリオパッツィがお辞儀する。
――†――†――†――
食べ歩きもお腹がいっぱいになり、二階にテラスがある茶店で、青茶という珍しいお茶を飲んだのだが、グリーン・ティーと紅茶の微妙な塩梅の面白い味をしたお茶だった。
テラスから見る街は活発で、道は絶えず混み合い、いくつもの騒々しくも楽しそうな音楽が流れ、通行人を引きつける一芸を披露する行商人たちが丸い具入りパンや多目的ペンシルを売っていたが、その多機能のなかのひとつにはペンシルをロケット弾にすることも含まれていた。
提督たちの座るテーブルには三つのカップが置いてあった。
三つ目のカップの主は狼のような頭と人間の手、下半身は馬であり、椅子に座るのも苦労しているようだった。
「こんにちは」
「こんにちは」
難儀なディネガが言った。
「ヒト型トニックに興味があるのは、どちらですか?」
提督が手を挙げた。
「テュプセム嬢にきいたのだが」
「はい。あちらの家に出入りさせてもらっていますので。ですが、あなたたちにはこのトニックは無縁のようですが」
「わたしたちが使うのではない。劇場のお客が飲むのだ。そんなわけで一番味のいいトニックが欲しい」
「となると、バイオミント味とミラクルオレンジ味とステーキ・ハウス・ステーキ味がありますね」
「では、その三種類を三千ずついただこう」
「そんなに?」
「こっちの都合を押しつけるのだから、味だけは好きなものを選べるようにしておきたい」
「しかし、そんなにたくさんのトニックをご用意できるか――」
「製造設備なら、わたしが提供しよう」
「それは、えーと……こんなこと言うと、頭がおかしくなったのかと思われるでしょうが……どうしてご自分で作らず、わたしから買うのですか?」
「他人の狩場を荒らすことはしたくないのでね」
「はあ」
「まあ、とにかく、ひとつ三千、三つで九千。お願いするよ。劇が開演するまでにね」




