地獄の一丁目
「サレンダーするのか! しないのか!」
焼けただれた岩山から、逃げるように下りてきた敵兵士達に向かって大尉は吼えた。戦車の上で怒鳴り散らす大尉の獅子のような眼光は、土埃で煤けて痩せこけた三人の敵兵を震え上がらせるには十分すぎる程の迫力があった。
そのうちの一人、鉄兜を被っていない坊主頭の男が懐からボロ布を取り出して両手を揚げた。投降するという意思表示である事を確認し、大尉が「OK」と言った瞬間から彼らは捕虜となった。
捕虜に銃口を向け、取り囲んでいた兵士達の顔には嘲笑が浮かぶ。手を頭の後ろにまわしている三人の顔が自嘲に歪んでいた。
「軍曹、水を飲ませろ。食い物も欲しがるだけくれてやれ」
戦争が嫌になるほどな、という最後の一言を彼は飲み込んだ。随伴歩兵達が周囲を警戒し、軍曹は自分の水筒を三人に一口づつ飲ませた。
そのとき、山の方角から銃声。複数であった。
弾丸は三人の急所を的確に貫き、血祭りに上げた。軍曹も太股を斜めに撃ち抜かれ悲鳴をあげる。紅い体液がポンプで押し出させるように傷口から迸っている。その場に崩れ落ちながら彼は叫ぶ。
「くそッ! くそッ! ジャップの奴ら、味方を撃ちやがった!」
「担架だ! 戦車の後ろに退避させろ! 山の中腹の穴だ! 撃て撃て!」
大尉が双眼鏡を片手に山を指差した。その坑道の入り口に小銃弾が集中し、放たれた戦車の砲弾が土柱を立てた頃には、既に敵兵は穴の奥に消えていた。
「もぐらどもめ……! 軍曹はどうだ」
「出血が多すぎます! とても……」
応急処置に当たっていた兵士が半身血みどろになっていた。軍曹は意識を失い、顔も白い。捕虜達は即死だった。大尉はわずかに頷く。
「撤退する。四本の丸太をどけろ」
「しかし……! 軍曹だけは連れて帰りましょう!」
「名案だな伍長。どうしてもというならお前が背中におぶってキャンプまで歩いて行くこった。死体のせいで死にたくなかったら捨ててけ! いいな!」
「……了解」
すぐに兵士達の死体は撤去される。撃ち抜かれ転がっていた捕虜の鉄兜を伍長が何気なく拾う。その内側には一葉の写真が挟まっていた。白黒で染められ、切り取られた家族のぬくもり。女性がいて、腕に抱かれている赤ん坊、あそこで転がっている男性が隣に座る。
「見るな!」
大尉が大声を上げるときには、既に写真は伍長の指から抜け落ちていた。
「錯乱者を出すのは、もうたくさんだ。帰るぞ。伍長、ここに来い」
伍長は言われるがまま戦車の背にのぼる。部隊は拠点に撤退を開始した。伍長は自動小銃を握りしめ敵の奇襲に備える。しかしその顔はどこか虚ろにも見える。大尉は煙草の紙箱を取り出す。空であることを確認したあと握りつぶして、それを捨てた。
「弾薬欠乏だ。伍長、悪いが一発くれないか」
「……はっ」
砲塔によじ登り、煙草一本を手渡してライターの火をかす。大尉は青い煙を吹き出してしばらく黙っていた。伍長には、けたたましい原動機の駆動音と鉄が砂利を踏み砕く戦車の足音を聞いているしかなかったが、大尉はやがて口を開いた。
「伍長は子供が産まれたそうだな」
「はい。まだ会っていませんけど」
「そうか」
「大尉のお子さんは何人いらっしゃるんで?」
「はは、なに。まだ一人だ」
「そうでしたか」
大尉はまた紫煙を吸い込む。煙りとともに言葉を吐き出した。
「うちのチビがもう少しでかくなったら、きっと俺にこう聞くんだ『お父さんは正義のために戦ったんだよね』てな」
「大尉は、どうお答えになりますか?」
「そうだな。この島に来るまでは『そうだよ。父さんは正義の味方さ』なんて言えたかもしれないが」
「今は、どうなんで?」
「……分からなくなった。このクソみたいで最低、敵と味方の丸太だらけな戦場のおかげで、正義の味方になり損ねた」
「……」
「とっとと終わらせて、故郷に帰りたいもんだな」
「……同感です」
「そうさ。帰りたいだけなんだ。俺たちも、……あいつらもな」
大尉の独り言のような最後の言葉は、さきほどの家族写真を伍長の脳裏によみがえらせる。そして、大尉の言葉を脳内でなぞる。そうだ、帰りたいだけだったんだと。そのとき、彼の目から熱い滴がこぼれ落ちた。
ここは、戦略的な価値も失われつつある激戦の島。
勝者敗者を問わず、この戦場を生き残った者達は口を揃えて過去を語る。
そうだ。
たしかにあの時、あの島は地獄の一丁目だったと。




