声
相馬がカッターを突き出すと、人影は肩を沈めた。
「――こいつっ!」
相馬が左腕を引いた時には、もう白布が手首を一周していた。
「ちぃっ!」
腕を引くも、布の方が速い。
白地が一気に締まり、そのまま左腕を上へ引き上げた。カッターの刃が天井を向く。
別のたるみが人影からほどけ、相馬の左脇を抜けて肘へ回った。
その布が、左腕を壁へ押しつけた。
「離せ!」
刃を返そうとしても手首が動かない。
相馬は右手で布を掴んだ。
そこにも白布が回ってきた。
反射的に手を引いたが遅い。手首を掠めた布が、そのまま胴へ巻きつく。
相馬は足を上げて踏みつけた。
白布が靴底の下から抜け、今度は足首を取った。
「~~~っ!」
腰が壁へぶつかった。
左手首がもう一段締まった。
カッターの柄が掌の中でずれる。
「ま……また裂かれるのがずいぶんと嫌みたいだな」
相馬は動く右手を腰へ落とし、指先だけで腰袋を探った。
袋の中へ手を突っ込んだ。
刷毛。
その下に硬い容器がある。
引き抜いた。
清掃用の薬剤スプレーだった。
「これは……」
左腕がさらに引かれた。
「がっ!」
カッターの柄が掌から滑りかける。
他に選択肢はない。
相馬はスプレーを人影へ向け、引き金を握った。
噴出した霧が人影の胸へ散った。
濡れた白地が重みで垂れ、人影の肩が崩れた。
「え」
胴の締めつけが緩んだのを見て、相馬は左腕の布へもう一度吹きつけた。
綿が水分を含み、張っていた白地がたわんだ。
この隙に相馬は左腕を引いた。
――抜けた。
そのままカッターを振り下ろした。
ざりっ。
濡れた綿へ刃が入った。
人影が大きく傾いた。
相馬はスプレーをもう一度浴びせる。
顔の位置に飛沫が散り、黒褐色の染みをまだらに濡らした。
頭の膨らみが横へ落ちた。
肩が潰れる。
相馬は踏み込んだ。
張った白布へカッターを差し込む。
ぐっと力を込め、引いた。
織り糸が続けて切れる。
裂け目が縦へ走った。
シーツ全体が跳ね上がった。
相馬は後ろへ下がる。
床へ崩れた白布が激しく波打った。
裂け目の周囲へ皺が押し寄せる。片側が持ち上がれば、もう片側が床を打ち、折れ筋が次々ほどけては別の方向へ走る。
乾いた布同士が擦れる音が、小部屋いっぱいに鳴った。
頭の位置に膨らみができたかと思うとすぐに潰れ、今度は肩だけが持ち上がった。それも形を保てず、床へ崩れる。
相馬はカッターを握ったまま、その動きを見た。
苦しんでる……!
いける。もう少し切れば――
一歩踏み込んだ。
同時に、白布が弾けた。
「うわっ!」
裂けた端が顔へ飛んできた。
相馬は首を反らした。
鼻先を綿が擦り抜ける。
続けて別の部分が足首へ走った。
相馬は飛び退いた。
白布は床へ落ちると、裂け目を庇うように折り重なった。
どうする……?
仕留めようとすれば捕まる。
相馬はドアを見た。
数歩の距離。
スプレーを人影へ向けたまま、一歩下がる。
吹きつけるたび濡れた肩が崩れ、その隙に相馬は一歩ずつドアへ向かった。
あと少し。
人影が一気に立ち上がった。
「っ!」
相馬は引き金を握った。
シュッ。
霧が短い。
もう一度。
シュッ。
薬液がほとんど出ない。
「あぁっ……!!」
人影の右側が細く絞られ始めた。
ドアは目と鼻の先。
だが背中を向ければ追いつかれる。
人影が沈んだ。
もう……ダメか……
その直前、顔の位置が歪んだ。
相馬はカッターを上げたまま止まった。
黒褐色の染みとは別の場所で、布が内側から押されている。
まず額のあたりが丸く持ち上がった。その下へ細い隆起が伸び、頬の位置で左右の白布が張る。口のあたりだけが浅く窪んだ。
布の隆起が、わずかに傾いた。
顔の形だけが、もう少し前へ押し出される。
口の位置が動いた。
布が擦れる。
さっきまでとは違う。
もう一度、窪みが開いた。
「こ……」
「……?」
輪郭が崩れかける。
「殺……して……」
相馬の手から力が抜けた。
人影全体が大きく引きつった。
顔の輪郭が潰れ、黒褐色の染みがそこへ滑り込んでくる。
白布が相馬へ伸びた。
相馬はカッターを構えた。
だが途中で形が乱れた。細く絞られかけた布が床へ落ち、裂け目の周囲から走った皺が、互いに引っ張り合うように別々の方向へ崩れていく。
「……高橋か?」
人影がまた持ち上がった。
「う……」
――この機を逃してはならない。
相馬は半ば無意識に廊下へ飛び出した。
直後、背後で壁が鳴った。




