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しみ  作者: 大窟凱人


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6/9

声

 相馬がカッターを突き出すと、人影は肩を沈めた。


「――こいつっ!」


 相馬が左腕を引いた時には、もう白布が手首を一周していた。


「ちぃっ!」


 腕を引くも、布の方が速い。

 白地が一気に締まり、そのまま左腕を上へ引き上げた。カッターの刃が天井を向く。

 別のたるみが人影からほどけ、相馬の左脇を抜けて肘へ回った。

 その布が、左腕を壁へ押しつけた。


「離せ!」


 刃を返そうとしても手首が動かない。

 相馬は右手で布を掴んだ。

 そこにも白布が回ってきた。

 反射的に手を引いたが遅い。手首を掠めた布が、そのまま胴へ巻きつく。

 相馬は足を上げて踏みつけた。

 白布が靴底の下から抜け、今度は足首を取った。


「~~~っ!」


 腰が壁へぶつかった。

 左手首がもう一段締まった。

 カッターの柄が掌の中でずれる。


「ま……また裂かれるのがずいぶんと嫌みたいだな」


 相馬は動く右手を腰へ落とし、指先だけで腰袋を探った。

 袋の中へ手を突っ込んだ。

 刷毛。

 その下に硬い容器がある。

 引き抜いた。

 清掃用の薬剤スプレーだった。


「これは……」


 左腕がさらに引かれた。


「がっ!」


 カッターの柄が掌から滑りかける。

 他に選択肢はない。

 相馬はスプレーを人影へ向け、引き金を握った。


 噴出した霧が人影の胸へ散った。

 濡れた白地が重みで垂れ、人影の肩が崩れた。


「え」


 胴の締めつけが緩んだのを見て、相馬は左腕の布へもう一度吹きつけた。

 綿が水分を含み、張っていた白地がたわんだ。

 この隙に相馬は左腕を引いた。


 ――抜けた。


 そのままカッターを振り下ろした。

 ざりっ。

 濡れた綿へ刃が入った。

 人影が大きく傾いた。

 相馬はスプレーをもう一度浴びせる。


 顔の位置に飛沫が散り、黒褐色の染みをまだらに濡らした。

 頭の膨らみが横へ落ちた。

 肩が潰れる。

 相馬は踏み込んだ。

 張った白布へカッターを差し込む。

 ぐっと力を込め、引いた。

 織り糸が続けて切れる。

 裂け目が縦へ走った。

 シーツ全体が跳ね上がった。

 相馬は後ろへ下がる。

 床へ崩れた白布が激しく波打った。


 裂け目の周囲へ皺が押し寄せる。片側が持ち上がれば、もう片側が床を打ち、折れ筋が次々ほどけては別の方向へ走る。

 乾いた布同士が擦れる音が、小部屋いっぱいに鳴った。


 頭の位置に膨らみができたかと思うとすぐに潰れ、今度は肩だけが持ち上がった。それも形を保てず、床へ崩れる。

 相馬はカッターを握ったまま、その動きを見た。


 苦しんでる……!


 いける。もう少し切れば――


 一歩踏み込んだ。

 同時に、白布が弾けた。


「うわっ!」


 裂けた端が顔へ飛んできた。

 相馬は首を反らした。

 鼻先を綿が擦り抜ける。

 続けて別の部分が足首へ走った。

 相馬は飛び退いた。

 白布は床へ落ちると、裂け目を庇うように折り重なった。


 どうする……?


 仕留めようとすれば捕まる。

 相馬はドアを見た。


 数歩の距離。


 スプレーを人影へ向けたまま、一歩下がる。

 吹きつけるたび濡れた肩が崩れ、その隙に相馬は一歩ずつドアへ向かった。


 あと少し。


 人影が一気に立ち上がった。


「っ!」


 相馬は引き金を握った。


 シュッ。


 霧が短い。


 もう一度。


 シュッ。


 薬液がほとんど出ない。


「あぁっ……!!」


 人影の右側が細く絞られ始めた。

 ドアは目と鼻の先。

 だが背中を向ければ追いつかれる。

 人影が沈んだ。


 もう……ダメか……


 その直前、顔の位置が歪んだ。

 相馬はカッターを上げたまま止まった。

 黒褐色の染みとは別の場所で、布が内側から押されている。


 まず額のあたりが丸く持ち上がった。その下へ細い隆起が伸び、頬の位置で左右の白布が張る。口のあたりだけが浅く窪んだ。

 布の隆起が、わずかに傾いた。

 顔の形だけが、もう少し前へ押し出される。

 口の位置が動いた。

 布が擦れる。

 さっきまでとは違う。

 もう一度、窪みが開いた。


「こ……」


「……?」


 輪郭が崩れかける。


「殺……して……」


 相馬の手から力が抜けた。

 人影全体が大きく引きつった。

 顔の輪郭が潰れ、黒褐色の染みがそこへ滑り込んでくる。

 白布が相馬へ伸びた。

 相馬はカッターを構えた。


 だが途中で形が乱れた。細く絞られかけた布が床へ落ち、裂け目の周囲から走った皺が、互いに引っ張り合うように別々の方向へ崩れていく。


「……高橋か?」


 人影がまた持ち上がった。


「う……」


 ――この機を逃してはならない。


 相馬は半ば無意識に廊下へ飛び出した。

 直後、背後で壁が鳴った。


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