伝えたい
ある日の午後。
ルシアは、久しぶりに以前一緒に働いていた侍女たちと話していた。
婚約してから、城の中で以前より自由に話せるようになったこともあり、懐かしい時間だった。
「そういえばね」
一人の侍女が、ふと思い出したように言った。
「ルシア様がいなくなったあと……カイル殿下、本当に大変だったのよ」
ルシアの表情が止まる。
「……カイル様が?」
侍女たちは顔を見合わせた。
「知らなかったの?」
「はい……」
「殿下、最初の頃はずっとルシア様を探していたの」
ルシアは黙って聞いていた。
「城の中を探して、町へ行って……何度も何度も」
「夜も、ほとんど眠っていなかったと思う」
「部屋の明かりが消えないことも多かったもの」
ルシアの胸が、ゆっくり締めつけられていく。
「それから、いろんな場所へ人を送っていたわ」
「ルシアを見かけなかったかって」
「殿下があんなに必死になっているの、私たちも初めて見たのよ」
ルシアは、何も言えなかった。
自分がいなくなったことで。
カイルは自由になれたのだと思っていた。
自分がそばにいるよりも。
自分が消えたほうが、きっとカイルのためになると。
けれど。
「……見ているだけで、痛々しかった」
その言葉に、ルシアの指先が震えた。
「いつも穏やかな殿下だったでしょう?」
「でも、あの頃は全然違った」
「無理をしているのが、誰にでも分かった」
侍女の一人が、静かに続ける。
「それなのにね。ある時から急に変わったの」
ルシアが顔を上げる。
「変わった……?」
「うん」
「探すことをやめたわけじゃないと思う」
「でも、それまで以上に仕事に没頭するようになったの」
「地方へ視察に行って、会議にも出て」
「本当に、休んでいるのを見なくなったくらい」
ルシアは静かに聞いていた。
「きっと……何かを失ったままじゃいられなかったのよね」
「だから前に進もうとしたんだと思う」
「今のカイル殿下があるのも、あの数年間があったからかもしれない」
そこまで聞いて。
ルシアの目から、一筋の涙がこぼれた。
「……ルシア様?」
侍女たちが心配そうに声をかける。
けれどルシアは、慌てて涙を拭おうとした。
「大丈夫です」
そう言ったものの。
次の涙が止まらなかった。
――私のために。
あの人は、そんなふうに。
ずっと。
一人で。
「……知らなかった」
小さな声が漏れる。
そのとき。
「ルシア?」
聞き慣れた声がした。
ルシアが振り返る。
廊下の向こうに、カイルが立っていた。
「どうしたの?」
ルシアの涙に気づいた瞬間、カイルの表情が変わる。
すぐに近づいてくる。
「泣いてる?」
「……」
「誰かに何か言われた?」
心配そうに、ルシアの顔を覗き込む。
「何かあったの?」
その優しい声を聞いて。
ルシアは、さらに涙が溢れそうになった。
けれど。
――聞いたことは言わない。
カイルが一人で過ごした、あの数年間。
自分を探して。
眠れないほど苦しんで。
それでも前を向いて。
必死に積み重ねてきた時間。
それは、カイルが今さら話さなかった過去だ。
だから。
ルシアは、そのすべてを自分の心の中にしまっておこうと思った。
「……何でもありません」
カイルは、まだ心配そうだった。
「でも、泣いてるよ」
ルシアは涙を拭う。
そして。
泣きながら、少しだけ笑った。
「カイル様」
「うん?」
「……大好きです」
カイルが目を瞬かせる。
「……急にどうしたの?」
ルシアは首を振った。
「ただ、言いたくなったんです」
「……」
カイルはしばらく黙っていた。
そして、困ったように笑う。
「そういうの、急に言うんだ」
「すみません」
「謝らなくていいけど」
カイルは、ルシアの頭をそっと撫でた。
「……泣かないで」
ルシアは目を閉じる。
「はい」
本当は。
ずっと伝えたかった。
ありがとう、と。
ごめんなさい、と。
あの数年間、一人で頑張ってくれてありがとう、と。
けれど今は、まだ言わない。
ただ。
カイルの過去も。
カイルが積み重ねてきた時間も。
その痛みさえも。
全部、大切に心の中へしまって。
ルシアはもう一度、泣きながら笑った。
「大好きです」
今度は、さっきよりも少しだけはっきりと。
カイルは一瞬黙ってから、穏やかに笑った。
「……うん」
そして。
「僕も、ルシアが大切だよ」
その言葉を聞いて。
ルシアは、また少し泣いてしまった。




