扉の向こう
カイルは、中庭の外で立ち止まったまま動けなかった。
扉一枚を隔てた向こうに、ルシアがいる。
そして――。
自分のことを話している。
『また、カイルさんって呼びたい』
その言葉が、何度も胸の中で繰り返された。
カイルは目を閉じる。
ずっと聞きたかった言葉だった。
けれど、同時に胸が痛んだ。
ルシアが自分との距離を、どれほど寂しく感じていたのか。
それを初めて知った気がした。
しばらくすると、中庭の中から猫が歩いてきた。
「にゃあ」
カイルの足元を通り過ぎる。
「……君は、変わらないね」
カイルが小さく笑う。
猫は振り返ることなく、そのまま廊下の向こうへ消えていった。
中庭の中が静かになる。
ルシアも、そろそろ戻るつもりなのだろうか。
カイルは扉の前から離れることができなかった。
やがて、扉がゆっくり開いた。
「……」
ルシアが出てくる。
そして――。
目が合った。
「……っ」
ルシアの足が止まる。
カイルも、言葉を失った。
視察へ出る前に見たときとは違う。
ルシアは驚きと戸惑いが入り混じった表情で、カイルを見つめている。
「……第二王子殿下」
小さな声。
いつもの呼び方だった。
けれどカイルには、その声がひどく遠く聞こえた。
「……ルシア」
名前を呼ぶ。
それだけで、ルシアの瞳が揺れた。
「視察……もうお戻りだったのですか?」
「うん。予定より早く終わってね」
「そう……ですか」
また沈黙が落ちる。
ルシアは何かを言おうとして、口を閉じた。
さっきまで猫に話していた言葉が、頭の中を駆け巡る。
聞かれていたのだろうか。
どこまで。
「……」
カイルは、ルシアの表情を見つめていた。
そして、静かに尋ねる。
「ここに来ていたんだね」
「……はい」
「ずっと?」
「……今日、初めてです」
カイルは少しだけ目を細めた。
その答えだけで、十分だった。
「そっか」
優しい声だった。
責める様子はない。
だからこそ、ルシアの胸が苦しくなる。
「……申し訳ありません」
「どうして?」
「勝手に中庭へ……」
「ここは、誰かのものじゃないよ」
カイルが穏やかに言う。
「ルシアが来たかったなら、来ていい場所だよ」
その言葉に、ルシアは顔を上げた。
「……でも」
言葉が続かない。
本当は言いたかった。
ずっと来たかった。
カイルと親しくしてはいけないと思い、行けなかった。
会ってしまったら、以前のように話したくなってしまうから。
「……私」
声が震える。
「本当は、ずっと中庭に来たかったんです」
カイルは黙って聞いている。
「でも……第二王子殿下がいらっしゃると思うと……」
そこで、ルシアは言葉を止めた。
『カイルさん』とは言えない。
それが、何より苦しかった。
カイルも、その沈黙の意味を分かっていた。
「……ルシア」
「はい」
「さっき……猫に話してたこと」
ルシアの顔が一気に赤くなる。
「……!」
やっぱり。
聞かれていた。
「ど、どこから……」
「最初からじゃないよ」
カイルは少し困ったように笑った。
「でも、最後のところは聞いた」
「……」
ルシアは俯いた。
恥ずかしさと、どうしていいか分からない気持ちで胸がいっぱいになる。
そんなルシアを見ながら、カイルは静かに言った。
「……僕も」
一度、言葉を止める。
「また、前みたいに話せたらいいと思ってた」
ルシアがゆっくり顔を上げる。
二人の視線が、もう一度重なった。




