呼び方
中庭には、朝の静かな空気が流れていた。
ルシアはいつもの木の下に立っていた。
けれど、いつもとは違う。
どこを見ているのか分からないまま、ただじっと地面を見つめている。
そこへ、後ろから足音が近づいてきた。
カイルは少し離れたところで足を止める。
「……ルシア」
「……っ」
ルシアの肩が大きく跳ねた。
ゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは、さっき食事の間で見た姿のままのカイルだった。
王族としての礼服。
第二王子殿下としての姿。
二人の間に、沈黙が落ちる。
カイルも、何から話せばいいのか分からなかった。
ルシアも同じだった。
今まで何度も話してきたはずなのに。
今日は、たった一言を口にすることさえ難しい。
カイルが口を開く。
「ルシア、あの――」
その瞬間。
「申し訳ありませんでした!」
ルシアが深々と頭を下げた。
「……え?」
カイルが驚いて言葉を止める。
「今まで……私、何も知らなくて……」
ルシアは頭を下げたまま続ける。
「第二王子殿下のことを、ずっと庭師の方だと思っていました」
「……うん」
「それなのに、友達みたいに話してしまって……」
声が少し震える。
「本当に申し訳ありませんでした」
カイルはしばらく黙っていた。
ルシアは顔を上げられない。
今まで自分は、王子殿下に対してあまりにも失礼な態度を取っていた。
気軽に名前を呼んで。
一緒に笑って。
庭の手入れをして。
交換日記までして。
そんなことを思い出すほど、申し訳なさが込み上げてくる。
「……ルシア」
カイルが静かに呼ぶ。
ルシアが恐る恐る顔を上げる。
カイルは困ったように、けれど優しい表情をしていた。
「そんなに謝らなくていいよ」
「でも……」
「僕も、ちゃんと話していなかったから」
「……」
「だから、ルシアだけが謝ることじゃないよ」
ルシアは黙ったままカイルを見る。
カイルは少しだけ息を吐いてから、穏やかに続けた。
「それに……」
ほんの少し、寂しそうに笑う。
「今までみたいに話してくれていたこと、僕は嫌じゃなかったよ」
ルシアの目が揺れる。
けれどカイルは、それ以上は言わなかった。
ただ、今のルシアとの距離をどうすればいいのか、自分自身も迷っていた。
「……これからは」
ルシアが小さな声で言う。
「第二王子殿下と、お呼びします」
カイルは少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
「はい」
「……分かった」
二人の間に、また静かな沈黙が落ちる。
いつもなら、ここで何気ない話が始まる。
けれど今日は――
中庭が、いつもよりずっと広く感じられた。




