第68話「かごめかごめ」
夜の公園は、昼間とはまるで別の場所のようだった。
街灯の光が滑り台やブランコの影を、地面に長く伸ばしている。風は止み、住宅街の家々の明かりも、いつの間にか遠く小さくなっていた。颯太と澪は公園の隅、茂みの陰に身を潜め、じっとその時を待っていた。
張り込みを始めて、もう二時間近くが経つ。湿った夜気が、じわじわと体温を奪っていく。澪が手渡してくれた缶コーヒーも、とうに冷め切っていた。
澪のフードから、影行がひょこりと顔を出す。小さな耳が、ぴくぴくと動いていた。
「――影行も、落ち着かないみたいですね」
「気配に敏感だからな。何か来るぞ」
澪が声を潜めて言った。その視線は、砂場から離れない。
時計の針が、午前零時を回った頃だった。
――かーごめ、かごめ。
微かな歌声が、夜の静寂を細く裂いた。
颯太は息を止めた。歌声は公園のどこからともなく聞こえてくる。子供の声。それも、一人ではなく、数人が、輪になって歌っているような、重なり合う声だった。あまりにも澄んでいて、あまりにも無垢で、それゆえに、この深夜の闇の中では、ひどく不釣り合いに響いた。
背筋を、冷たい汗が伝う。隣で澪が、無言のまま、指先を静かに構えているのが分かった。影行も、フードの中で、小さく体を縮めている。
――かーごの中の、とりいは。
右目の奥が痛みに近い熱を帯びる。颯太は目を凝らした。何も見えない。それなのに、砂場の周囲の空気だけが確かに歪んでいるのが分かった。
「――いる」
澪が小さく呟いた。
「輪だ。四人、五人、いや、もっと」
澪の声が、僅かに強張っている。颯太の右目にも、輪郭の曖昧な影がぼんやりと映り始めていた。手をつないで、ぐるぐると回る、小さな子供たちの姿。だが、その顔はどれも、霞がかかったように判別できない。
「数が、合いませんね」
「ああ。失踪した子供は、四人のはずだ」
つまり、輪の中には、既に神隠しに遭った子供たち以外にも何者かが混じっている。その事実が、颯太の背筋をぞくりと撫でた。
歌声は次第に大きくなっていく。子供たちの笑い声が歌の合間に混じり始めた。楽しげで、無邪気で、それでいてどこか、この世のものではない響きを帯びていた。
――いついつ、でやる。
その時だった。
公園の入り口、街灯の下に、小さな人影が現れた。
パジャマ姿の幼い男の子だった。裸足のまま、ふらふらと公園の中へと歩いてくる。
「――あの子」
颯太が息を呑んだ。
「近所の子だろう。夢遊病みたいなもんかもしれない。あの歌に、引き寄せられてる」
澪が低く言った。その目は鋭く、男の子の動きを追っている。
この深夜に、幼い子供が、たった一人で寝間着のまま歩いている。その光景そのものが既に異常だった。周囲の家々は、皆静まり返っている。親は、我が子がいなくなっていることに、まだ気づいていないのだろう。
男の子は虚ろな目で、砂場の方へと真っ直ぐに歩いていく。その先には、目に見えない輪が待ち構えていた。
「止めます」
「待て。まだ、正体が掴めてない」
「でも」
「あの子を、危険に晒すわけじゃない。俺たちが、すぐ後ろにいる」
澪の声は冷静だったが、その指先はいつでも印を組めるよう、静かに構えられていた。
男の子が、砂場の縁に立った。
その瞬間、歌声が、ぴたりと止んだ。
空気が、凍りつく。
――うしろの、しょうめん、だあれ。
歌の最後の一節が静かに響いた。
男の子が、ゆっくりと振り返る。
その顔が、ぱっと明るくなった。
「――お母さん!」
男の子は叫んだ。その視線の先に、颯太たちには何も見えない。それなのに男の子は確かに誰かを見て、駆け寄ろうとしていた。
「今だ、颯太!」
澪の声と同時に、二人は茂みから飛び出した。
「神鳴!」
颯太の影から、狼が跳ね出す。青白い光が、夜の公園を一瞬、白く照らした。
神鳴が男の子の前に割り込み、その進路を遮る。同時に颯太は、男の子の小さな体を後ろから抱きとめた。
「お母さん! お母さんだ!」
男の子は颯太の腕の中で必死に暴れる。その目には涙が浮かんでいた。
「違う、違うんだ。そこには、誰もいない」
「いるもん! お母さん、いるもん!」
男の子の小さな拳が、颯太の腕を何度も叩く。その力は、幼い子供とは思えないほど強かった。まるで、何かに後押しされているかのように。
その叫びが、颯太の胸に深く突き刺さった。この子には確かに、見えているのだ。一番会いたい人が、そこにいるように。
砂場の上、目に見えない輪がぐにゃりと歪んだ。
そして――。
ふふ、と笑い声が夜の闇に響いた。
子供のような、女のような、老婆のような、それでいてそのどれでもない、不思議な笑い声だった。
「あら、見つかっちゃった」
声が、颯太たちのすぐ耳元で囁いた。
颯太は、振り返ろうとして動きを止めた。首筋に、氷のような冷気が絡みついている。すぐ後ろに、何かがいる。それも、息がかかるほどの至近距離に。
「――澪さん」
「動くな」
澪の声が、これまでにないほど鋭かった。影行が、フードの奥で小さく震えている。腕の中の男の子は、いつの間にかぐったりと力を失い、颯太の胸に、その小さな頭を預けていた。
そして、その声は再び、楽しげに歌い始めた。




