第63話「査問の刻」
「ですが、私が聞きたかったのは、決意の話ではありません」
その一言に、颯太は僅かに戸惑った。
「――どういう、意味でしょうか」
「あなたが、"最悪を選択する"側になった時。その時、あなた自身は、抗えると思いますか」
部屋の空気が、一段と、重くなった。
「抗える、というのは」
「暴走した場合、あなた自身の意志は、そこにどれだけ残っていると思いますか、という問いです」
颯太は答えられなかった。考えたことすら、なかった。
「――分かりません」
「正直で結構です。ただ、私たちは、"分からない"では済まされない立場にいます」
天海はそう言うと、手元の書類を静かにめくった。
「颯太くん。あなたの状況を、改めて整理させてください」
「はい」
「一つ。あなたは、常盤の血を引いている。九尾封印に関わった一族の末裔であり、その血が、九尾の呪いと関係している可能性がある」
颯太は静かに頷いた。天狗寺で聞いた、あの話が脳裏を過ぎる。住職の重い声、そして、自分の中に流れる血の意味を、改めて突きつけられる感覚だった。
「二つ。今、現在進行形で、関東各地で、不可解な事件が起きています」
その一言に、颯太は思わず顔を上げた。
「不可解な、事件」
「乳幼児の失踪。目撃情報が一切ない、複数の失踪事件。橋の上での不審死。どれも通常の捜査では、説明のつかない共通点があります」
颯太の脳裏に、以前、ニュースで見た、あの見出しが蘇った。目撃情報なし――その一文が、妙に不気味に、記憶に焼きついていた。
天海は書類の一枚を、颯太の前に静かに滑らせた。日付と、地図が、整然と並んでいる。
「これらの事件、あなたの周辺で起きた案件と、地理的に重なる部分が多い」
颯太の背筋に冷たいものが走った。あの記事の内容と、今の言葉が、静かに重なっていく。
「三つ。殺生石は既に割れており、九尾は現在も、野に放たれたままです」
天海の声には、感情の色が、一切、感じられなかった。だからこそ、その言葉の重みが、余計に際立った。淡々と告げられる事実ほど、時に、恐ろしいものはない。
「この三つを繋げて考えた時、何が見えてくるか。颯太くん、分かりますか」
颯太はしばらく言葉を失っていた。頭の中で、三つの事実が静かに、しかし確実に繋がっていく。
「――俺の血が九尾を、引き寄せているかもしれない、ってことですか」
「その可能性を否定できません」
天海は静かに頷いた。
「だからこそ、あなたの存在は彼岸にとって、希望でもあり、同時に最大の懸念事項でもあります」
三条が静かに口を挟んだ。
「即時、捕縛。監禁。本部で、最初にそういう声が上がったのは、これが理由だ」
颯太は深く息を呑んだ。これまで漠然としか感じていなかった危うさが、今、初めて具体的な輪郭を持って突きつけられた気がした。
「颯太くん」
天海が改めて、颯太をまっすぐ見据えた。
「あなたが暴走した時、私たちは迷わず、あなたを討伐します。それが、既に決められた条件です」
「――知って、います」
「ですが、それ以上に、私が恐れているのは」
天海は、一度、言葉を切った。
「あなた自身の血が意図せず、九尾を、この世界へと招き寄せ続けているかもしれない、という可能性です」
その一言が、颯太の胸に、深く、突き刺さった。
自分がただ存在しているだけで、誰かを危険に晒しているかもしれない。その恐怖は、これまで感じてきた、どんな恐怖とも違う、静かで、逃げ場のないものだった。
「小僧、そう硬くなんなや」
黒川が、場の空気を和らげるように、口を開いた。
「姉さ、、、天海さんは、脅しとるわけやないんや。ただ、事実を、ちゃんと共有しときたいだけや」
「その通りです」
天海が、静かに続けた。
「あなたを追い詰めたいわけではありません。ただ、正確な情報を持った上で、今後の対応を共に考えたいのです」
颯太は深く頷いた。恐怖は、まだ消えない。それでも、隠されるより、知った上で向き合う方が、遥かにましだった。
「――俺は、どうすればいいですか」
その問いに、天海は、初めて、僅かに、表情を和らげた。
「まずは、九尾の足取りを追うこと。それが、あなたにとっても、彼岸にとっても、最優先の課題になります」
その言葉に、颯太は、はっきりと、頷いた。曖昧だった目的が、今、初めて、明確な形を取り始めていた。
颯太は静かに拳を握りしめた。美咲を救うための道と、彼岸としての使命――その二つが、今、はっきりと、一本の線で繋がった瞬間だった。もう、迷っている時間はない。
窓のない会議室、間接照明の淡い光が、颯太の決意を、静かに照らしていた。もう、後戻りはできない。だが、それでいい。自分の足で、この道を歩いていく。その覚悟だけは、確かに、胸の中で根を張っていた。




