第51話「聞く耳」
「青年、悪いが、ここから先は少し外してくれるか」
陣内の声には、これまでの気安さとは違う、はっきりとした線引きがあった。
「――分かりました」
颯太は素直に頷いた。彼岸と伊勢、二つの組織の間で、これから交わされる話に自分が立ち入る資格がないことは既に理解していた。悔しさよりも、むしろ納得の方が大きかった。
境内の隅、澪が待っていた。颯太はそちらへ歩み寄る。木漏れ日が二人の足元に、揺れる影を落としていた。
「――お疲れ」
澪の声には労いが滲んでいた。
「あの二人、しばらくかかりそうだな」
「はい……多分」
二人は石段に並んで腰を下ろした。本殿の方から、玄一と陣内の低い話し声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「颯太、聞いていいか」
「はい」
「くだんと対峙した時、実際どんな感じだったんだ」
澪の目には隠しきれない興味と、それ以上の心配の色があった。
「最初は全然歯が立たなくて。神鳴の攻撃も水鏡の一撃すら通用しなくて」
「――それで」
「神鳴の声が聞こえたんです。初めて」
その一言に、澪が大きく目を見開いた。
「――解魂、したのか」
「多分……凪がくれた力なんだと思います」
澪はしばらく言葉を失っていた。それから静かに息を吐く。
「そうか……お前、また一つ先に進んだんだな」
その声には羨望とも誇らしさとも取れる複雑な響きがあった。澪自身、まだ影行とは解魂に至っていない。その事実を颯太は思い出していた。
「どんな感じだったんだ。その声が聞こえた瞬間は」
「――きっと神鳴は前から俺に話しかけてくれてたんだと思います。凪に力をもらうまで、俺は聞く耳を持っていなかったんだと」
澪は颯太の言葉を静かに噛み締めるように聞いていた。その横顔には複雑な感情が幾重にも重なっているようだった。
「――聞く耳か」
澪はどこか遠くを見るような目だった。まるで自分自身にも問いかけているかのように。
「それより、予言のこと。もう少し詳しく聞かせろ」
颯太はくだんが最後に残した言葉を改めて伝えた。澪の表情が次第に険しくなっていく。
「――最悪を、選択する、か」
「玄一さんも、かなり動揺してました」
「そうだろうな。くだんの予言は特に忌み嫌われてる。必中の予言なんて、まさに厄災の起源だ」
その言葉に、颯太の胸に再び重い不安が広がった。
「颯太」
澪は颯太の目をまっすぐ見た。
「その予言に振り回されるなよ。予言は道しるべじゃない。これからお前がどう動くかは、お前自身が決めることだ」
その言葉に、颯太は静かに頷いた。玄一の言葉と重なる部分があった。二人とも違う立場でありながら、同じことを伝えようとしている気がした。
「――ありがとうございます。少し楽になります」
「気休めじゃないぞ。本気でそう思ってる」
澪の声には確かな熱がこもっていた。その真剣さに颯太の胸の奥が、じんわりと温かくなった。
しばらくして、本殿の方から陣内が姿を現した。話し合いが一区切りついたらしい。その表情は来た時よりも幾分か和らいでいた。
「――終わったんですか」
「ああ、大体な。詳しいことは、また今度話す」
陣内は颯太の方をじっと見た。それから軽く片手を上げる。
「なあ、青年。この後、暇か」
「――え?」
「飲みに、行くぞ」
あまりに唐突な誘いに、颯太は思わず目を丸くした。
「俺、まだ二十歳になったばかりで」
「なら、ちょうどいいじゃねえか、付き合いなさいや」
陣内は悪びれもせずそう言った。澪が呆れたようにため息をつく。
「――陣内さん、こんな時まで飲みに誘うのかよ」
「こんな時だからこそ、だろ。頑張った奴には労いが必要だ」
陣内はそう言うと颯太の肩を軽く叩いた。
「それに、色々聞いておきたいこともあるしな。堅苦しい場所より酒の席の方が話しやすいこともある」
その言葉に、颯太は思わず小さく笑った。緊張していた体から少しずつ力が抜けていく。
「澪も、来るか」
「俺は、まだ仕事がある」
澪はそう言うと静かに背を向けた。だが、その足取りにはどこか安堵したような柔らかさがあった。
「――澪さんも忙しいですね、色々」
颯太は遠ざかっていく澪の背中に向けて、小さくそう呟いた。
「あいつは、クソ真面目だからなぁ。見た目は不良娘なのにな」
陣内が隣でそう言った。その口調には長年の付き合いを感じさせる確かな信頼が滲んでいた。
「さて、行くか。奢ってやるから、しっかり食え」
陣内はそう言うと境内の出口へ歩き出した。颯太はその背中を追いかけるように歩き始めた。




