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因果のカレント  作者: BNG
因果の深淵

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第47話「水鏡」

本殿の床が軋みながら大きく割れた。


その裂け目からゆっくりと"それ"が姿を現す。


牛のような顔。だが、体は人に近い。長い年月、地下に封じられていたはずなのに、その体表には瑞々しい湿り気すら感じられた。赤く光る目が颯太をまっすぐ捉える。


異様な臭気が辺りに立ち込めていた。血と土と、それから言葉にできない腐臭にも似た何か。颯太は思わず息を止めた。


「――くだん」


颯太は無意識にそう呟いていた。


その瞬間、くだんが低く唸った。空気そのものが震えるような重い音だった。


颯太は神鳴に視線だけを送った。それだけで十分だった。


影から狼が遠吠えと共に勢いよく飛び出す。青白い雷光を纏い、地を蹴った。言葉は要らなかった。凪から刻まれたあの力が、颯太と神鳴の間に確かな回路を繋いでいた。まるで自分自身の手足が動くのと同じ感覚だった。


神鳴の牙がくだんの腕に深く食い込む。同時に全身から雷撃が迸った。バチバチと青白い光がくだんの体を駆け巡る。


くだんが苦悶の声を上げた。だが――。


颯太は目を疑った。


雷撃で焼け爛れたはずの皮膚が見る間に再生していく。まるで時間が巻き戻されるように。傷口の縁から新しい肉が泡立つように盛り上がり、瞬く間に元通りの姿を取り戻していった。


「――そんな」


これまで颯太が見てきた、どんな傷とも治癒とも違っていた。まるで傷という概念そのものが、この存在には通用しないかのようだった。


神鳴が再び跳んだ。今度はくだんの右腕に鋭く噛みついた。骨まで届く深い一撃。肉を引き千切るような鈍い音が響く。


千切れた腕が鈍い音を立てて床に落ちた。だが、その光景に安堵する暇はなかった。


だが、それすらも無意味だった。千切れたはずの腕が、傷口から瑞々しい肉が盛り上がるように瞬く間に再生していく。切断面から新しい骨が白く覗き、瞬時に皮膚に覆われていく様は、まるで悪夢のような光景だった。


「再生する……何度も」


颯太の背筋に冷たいものが走った。これまで対峙してきた、どの妖とも根本的に違う。産女も橋姫も痛みを感じ、傷を負った。だが、この存在には"傷つく"という概念自体が通用しないように見えた。


神鳴が更に猛攻を仕掛ける。前脚で、後ろ脚で、牙で。だが、その全てがくだんの異常な回復力の前に無力だった。


くだんが颯太の方へ視線を移した。その口が僅かに開く。


「――お前、は」


初めて聞こえた声だった。低く掠れた、それでいてどこか人間らしい響きを残す声。まるでその体の奥深くに、まだ理性の欠片が残っているかのような。


颯太は息を呑んだ。だが、それ以上言葉は続かなかった。くだんは再び獣のような咆哮を上げ、颯太に向かって突進してきた。


「――ッ!」


咄嗟に身をかわす。だが、くだんの爪が腕を僅かに掠めた。皮膚が裂ける感触。熱い痛みが遅れて襲ってくる。血がぽたりと地面に落ちた。


神鳴が颯太を庇うように間に割って入った。だが、体力の消耗は既に明らかだった。呼吸が荒く乱れている。


「このままじゃ……埒が明かない。神鳴下がれ」


颯太は拳を強く握りしめた。通常の攻撃では再生を上回れない。ならば――。


神鳴の攻撃を、これ以上続けても消耗するのはこちらだけだ。頭の奥で冷静な部分がそう告げていた。残された手段は、もう一つしかない。


颯太は静かに神鳴の影に手を伸ばした。


冷たい、確かな感触。水鏡の柄がそこにあった。指先に触れた瞬間、微かな振動が伝わってくる。まるで刀自体が颯太の覚悟を待っていたかのように。


ゆっくりとそれを引き抜く。月明かりに似た淡い光を放つ刃が姿を現した。柄に刻まれた水紋の模様が、まるで生きているかのように静かに脈打っている。


「――行くぞ」


颯太は水鏡を構えた。まだ、この刀の力をどう扱えばいいのか正確には分からない。それでも体の奥から確かな予感が込み上げてきていた。


これが凪から託された、本当の意味を試す最初の一撃になる。


くだんが颯太の構えに僅かに反応した。赤い目が初めて警戒の色を帯びる。これまで神鳴の攻撃には動じなかったその瞳が、今確かに揺れていた。


颯太は地を蹴った。くだんとの距離が一気に縮まっていく。


風を切る音が耳元で鋭く鳴った。刃を握る手のひらに水鏡の重みがじんわりと伝わってくる。



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