第46話「呼応する試練」
地面が揺れた。
最初はほんの僅かな振動だった。だが、それは次第にはっきりとした揺れへと変わっていく。石畳がミシミシと軋み、鳥居の上部からパラパラと細かい砂埃が落ちてきた。
「――地震?」
颯太は思わず足元を見た。灯籠がカタカタと小さな音を立てて震えている。
「違う」
玄一の声が鋭く飛んだ。
「これは……地震なんかじゃない」
その顔から完全に血の気が引いていた。これまで颯太が見てきたどんな表情とも違っていた。恐怖、というより、もっと根源的な何か。
「玄一さん、これって」
「本殿の……下だ」
玄一は震える声でそう呟いた。額にじわりと脂汗が滲んでいる。
「まさか、そんな……早すぎる」
「早すぎる、って、どういうことですか」
「妻が人柱になってまだ半世紀だ、数百年は起こるはずがない。それが……」
玄一は言葉を途中で飲み込んだ。まるでその先を口にすることさえ恐ろしいかのように。
揺れは次第に収まっていった。だが、境内の空気は明らかに変わっていた。重く粘つくような異様な気配が、辺り一帯に満ち始めている。
颯太の右目の奥で、熱がこれまでにない強さで脈打ち始めた。
「――ッ」
思わず顔を歪める。視界の端が白く滲んだ。
「颯太くん、大丈夫かい」
「はい……これは一体…」
だが、"大丈夫"という言葉とは裏腹に、体の奥から抑えきれない緊張が湧き上がってくる。この感覚には覚えがあった。危険がすぐそこまで迫っている時の、あの感覚。
これまで対峙してきた産女や橋姫の時とも、また違う。もっと根源的で、もっと大きな何かが目を覚まそうとしている。そんな予感が全身を包み込んでいた。
本殿の方角、床下の暗がりから低い唸り声が再び聞こえてきた。今度ははっきりと。まるで獣が目を覚ます直前の、あの唸り。空気そのものが、その音に反応するように微かに振動している。
「玄一さん、これって、まさか」
「――くだん、だ」
玄一の声が震えていた。
「封印が……綻び始めている」
颯太は息を呑んだ。
「そんな、まだ早いって……」
「そうだ。まだ早いはずだった。これほど早く限界を迎えるなんて、ありえない」
玄一はそう言うと、本殿の方角をじっと見つめた。その横顔には、長年抱え続けてきた恐れが今、確かな形を持って浮かび上がっているようだった。
玄一は青白い顔のまま本殿の方へ一歩、足を踏み出した。だが、その足が僅かによろめく。
「玄一さん!」
颯太は慌ててその体を支えた。手のひらに、玄一の体が思いのほか軽く感じられた。年齢を改めて思い知らされる感覚だった。
「大丈夫だ……ただ、少し」
玄一の息がだんだんと荒くなっていた。異質で重い空気が張り詰めたこの状況に、体力をひどく奪われているような状態だ。
「颯太くん、聞いてくれ」
玄一の目がまっすぐ颯太を見据えた。
「私は、もうあれと直接渡り合う力を持っていない。だが、君なら」
「俺、なら?」
「常盤の血と、凪から受け継いだ力。それがくだんに対抗できる、数少ない鍵になるかもしれない」
「澪さんや、財前さんたちを呼んだ方が」
「時間がない。それに」
玄一は颯太をまっすぐ見つめた。その目には迷いのない確かな覚悟が宿っていた。
「これは君自身が、自分の力で乗り越えるべき試練のような気がするんだ。理屈じゃない。ただの勘だが」
颯太は拳を強く握りしめた。水鏡の柄の感触が影の中から確かに伝わってくる。
「玄一さんは」
「私はここで結界を維持する。それが今の私にできる精一杯のことだ」
「無理は、しないでください」
「君こそ無茶はしないように 生きてこそだ」
玄一はそう言うと微かに笑った。この状況でも、その笑みには確かな強さがあった。頬に浮かんだその皺の一つ一つが、長年この場所を守り続けてきた証のように見えた。
その言葉に、颯太は覚悟を決めた。
「――分かりました」
本殿の奥、床下の暗がりから赤い光が一つ灯り始めていた。まるで巨大な眼がゆっくりと開かれていくように。
颯太は静かに息を吸い込んだ。冷たい空気が肺の奥まで満ちていく。
これは誰かと一緒に立ち向かう戦いではない。凪から受け取った力を自分自身の意志で、初めて試す時が来たのだと、颯太ははっきりと感じ取っていた。
これまで澪や、財前や、もも、そして陣内――多くの人に支えられてここまで来た。だが、今この瞬間だけは自分一人の足で立たなければならない。
颯太は静かに本殿へと足を向けた。




