第44話「椎葉の聖域」
「――椎葉家には、代々一つの因習がある」
玄一の声が静かに境内に響いた。どこか遠くを見るような、そんな声だった。
「巫女の家系だということは、知っているかい」
「なんとなく、は。でも、正直よく分かってません」
「――そうか。うん、それなら順を追って話そうか」
玄一はそう言って、少し困ったように微笑んだ。何から話せばいいのか、自分でもまだ整理がついていないような、そんな表情だった。
「普通、神社の巫女というのは、一時的に奉仕してくれる人がほとんどだ。だが、一部には……代々その神社、その神様との縁を世襲で担う家系もある。椎葉も、その一つでね」
「代々、ってことは……その役目は生まれた人が、ずっと引き継いでいくってことですか」
「ああ。表向きはそれは誇るべきことだとされている。由緒正しい、とね」
玄一の声に僅かな翳りが差した。言葉を選ぶように一度、間を置く。
「だが、椎葉には、もう一つ……誰にも語られてこなかった役目がある」
玄一はそこで言葉を止めた。まるでその先を口にすることに、大きな覚悟が要るかのように。指先が僅かに震えているのが見えた。
「――人柱だ」
その一言が颯太の胸に鈍く突き刺さった。
「人柱……常盤の、あの話と同じですか」
「似ているようでいて……根っこの部分は違うんだ」
玄一は紙と筆を取り、ゆっくりと簡単な図を描いた。何かを確かめるような、そんな仕草だった。
「常盤の人柱は、荒ぶる神……水龍を鎮めるためのものだった。その人柱自身が、やがて神に近い存在へと昇華していく。"凪"というのは、いわば、その成れの果てなんだと思う」
「じゃあ、椎葉は」
「椎葉は……逆なんだ。私たちが鎮めているのは神様じゃない。妖なんだよ」
颯太は息を呑んだ。
「妖、って」
「前に少し話したことがあったかな。椎葉の血は……妖に憑依されやすい。それがこの因習の根っこにある」
颯太の背筋に冷たいものが走った。
「まさか……」
「ああ。椎葉の人柱は……自らの体を、妖を閉じ込めるための生きた封印として差し出す。そういう役目なんだ」
玄一の声は震えるほど静かだった。だが、その奥に深い痛みが確かに滲んでいた。
「常盤の人柱は神へと昇華していく。だが、椎葉の人柱は――自分の体の中に忌まわしいものを、一生閉じ込め続けることになる」
颯太は言葉を失った。想像していたよりも遥かに陰惨な現実だった。
「私の……妻も、その一人だった」
「奥さんが……」
「椎葉の血には一つ決まりがあってね。生まれてくるのは必ず女なんだ」
「――女しか、生まれないんですか」
「そう。だから椎葉の男というのは、本来存在しない。婿として外から入った者だけが、椎葉の"男"を名乗ることを許される」
颯太は思わず玄一の顔をまじまじと見た。
「じゃあ、玄一さんも……」
「ああ。私も婿なんだ。あの人が……椎葉の生まれだった」
玄一は静かに頷いた。その目が遠い記憶を辿るように僅かに揺れていた。
「あの人は……正真正銘、椎葉の血を引く巫女だった。だから……その役目からは逃れられなかった」
「止められなかった。私には……何もできなかったんだ」
その声に滲む後悔は、長年抱え続けてきた重みそのものだった。
「なぜ、止められなかったんですか」
「一族の因習だからだよ。私のような外から来た者には……口を挟む資格なんてなかった」
玄一は一度、目を伏せた。
「あの人は……笑って逝ったよ。"これが私の役目だから"と、そう言って」
颯太の胸が締め付けられた。その光景を直接見たわけではない。それでも玄一の声だけで、その重さが痛いほど伝わってきた。まるでその場に、自分自身が立ち会っているかのような錯覚さえあった。
玄一の拳が僅かに震えていた。膝の上で握られたその拳は、長い年月を経ても、まだ癒えていない傷の存在を静かに物語っていた。
「――それで、美咲も」
颯太の声が震えた。言いたくない言葉を無理やり絞り出すように。喉の奥がからからに乾いていく。
「玄一さん。この神社に……何か封じられているものがあるんですか」
「――ああ。代々、椎葉が封じ続けてきたものが、ね」
玄一は静かに頷いた。隠そうとする様子はなかった。ただ、口にすることが辛そうだった。
「本殿の……地下に。"くだん"と呼ばれる妖が眠っている。予言をして死ぬと言われる妖だよ」
「それは……まだ封印は解けてない、ですよね」
「ああ、今のところはね」
玄一の声には、それでも拭いきれない緊張が滲んでいた。
「美咲が……その封印に関わっていたんですか」
「――分からないんだ」
玄一は静かに首を振った。その仕草には無力感が色濃く滲んでいた。
「あの子の死因すら……私には、はっきりしたことが分からない。くだんの封印に関わっていたのか、それとも……何か別の妖と、因果を結んでしまったのか」
「別の妖、って」
「憶測に過ぎないんだが……あの子は多くを私に語らなかった。ただ、時折様子がおかしい時があってね」
「様子が、おかしいって、どんな風に」
「――目が違うんだよ。ふとした瞬間……まるで何か別の重荷を、一人で背負っているような、そんな目をしていた」
玄一の目に深い苦悩の色が浮かんだ。
「もしかしたら……あの子も私と、同じ後悔を背負わせてしまったのかもしれない」
その言葉の重さに、颯太は何も返せなかった。美咲が何かを一人で抱え込んでいたとしたら。それに気づけなかった自分自身への静かな怒りが、胸の奥でじわじわと広がっていく。
境内の風が少しずつ強くなっていた。木々の枝が微かにざわめいている。




