第42話「春雷」
河原の道を戻ると、そこに二つの気配が待っていた。
澪と神鳴。
「――颯太!」
澪が駆け寄ってくる。その顔には、隠しきれない安堵と、同じくらいの緊張が浮かんでいた。
「大丈夫か。何時間、経ったと思ってる」
「すみません。色々あって……」
答えようとした瞬間、体から急速に力が抜けていくのを感じた。膝が笑う。視界の端が僅かに揺れた。
「――颯太!」
澪が慌てて体を支えてくれた。
「無理するな。顔、真っ青だぞ」
「大丈夫、です」
「大丈夫な奴は、そんな顔しねえよ」
澪の視線が、颯太の腰に佩いた見慣れない刀に、一瞬止まった。
だが、何も聞かなかった。
「――今は、いい。とにかく休め」
「でも」
「話は、明日でいい。お前、今にも倒れそうだぞ」
その一言に、抗う気力すら残っていなかった。神鳴が颯太の体を支えるように傍らに寄り添う。その温かい毛並みに、少しだけ安堵した。
澪に支えられながら、颯太はその夜、家まで送り届けられた。
翌日。
カーテンの隙間から差し込む光に、颯太は目を覚ました。
布団の脇、水鏡が静かに横たわっている。柄に刻まれた水紋の模様が、朝の光を受けて微かに輝いていた。
夢ではなかった。昨夜のことも、この刀も、全てが現実だった。
全身がまだ鉛のように重い。だが、昨夜よりは幾分か意識がはっきりしている。
スマートフォンが鳴った。澪からのメッセージだった。
「――体調、どうだ。今日、話せそうか」
「大丈夫です」
「なら、いつもの公園に来い。もも も、呼んである」
「――もも さんも、ですか」
「客観的な意見も、必要だと思ってな」
その返信に、颯太は思わず小さく笑った。
児童公園に着くと、澪と、もも が既に待っていた。
「颯太くん、おはようさん! 澪さんから色々聞いて、ほんま、びっくりしましたわぁ」
もも が開口一番そう言った。表情には、普段の明るさに加えて、確かな心配の色も滲んでいる。
「――すみません、心配かけて」
「謝らんでええよ。それより、大丈夫なん? 顔色、まだちょっと悪いで」
「もう、平気です」
颯太は水鏡をそっと二人に見せた。
「これが、凪から貰った刀です」
もも の目が大きく見開かれた。
「――ほんまに、"柱神"本人から?」
「柱神? 凪のことですかね。直接、話しました」
「彼岸の中でも、"柱神"の存在は伝説の域だ。直接言葉を交わした人間がいるなんて、聞いたことがない」
澪が静かに補足した。
「本部の連中が知ったら、大騒ぎになるぞ。下手すりゃ、お前を"研究対象"扱いする奴も出てくる」
「――怖いこと言わないでください」
「事実だ。だから今は、俺たちの胸の中だけにしまっておく」
「それがええですね、やくざ……財前さんもそう言わはるとおもいます」
もも が力強く頷いた。
颯太はゆっくりと話し始めた。凪という存在の正体。颯太の右目に宿る力の由来。そして、"入れ替わり"という、これから先いつか訪れるかもしれない未来。
二人は黙って聞いていた。時折、顔を見合わせながら。
「――なるほどな」
全てを聞き終えた後、澪が静かにそう呟いた。
「それで、お前は、それを受け入れたのか」
「美咲を救いたい、っていう気持ちは変わってません」
「リスクは」
「分かってます。それでも」
颯太は水鏡の柄をそっと握った。
「俺は、俺のまま進みたいです」
澪と、もも はしばらく顔を見合わせていた。
「――颯太くん、ええ顔にならはったわぁ」
もも がしみじみとそう言った。目を細めて颯太をまじまじと見つめる。
「初めて会った時より、ずっと腹括った顔しとるもん」
「そう、ですか」
「うん。うちが保証したる!」
澪も小さく頷いた。
「お前がそう決めたなら、俺はそれを支える」
「――ありがとうございます」
「礼はいい。ただし」
澪の声が少し鋭くなる。
「無茶な真似は、絶対に許さない。分かったな」
「――はい」
颯太は深く頭を下げた。二人の存在が今、確かに颯太の支えになっていた。
「でも、やっぱり常盤の血筋ってすごいねんなぁ〜」
「そうなんですか? 凪も、常盤と龍は強い結びがあるって」
「そうやねぇ、常盤は晴明系譜の家系でも別格やったって伝承は残ってるんよ。ただ、ある時代から消えてしもて、彼岸でも把握が出来てないのが実状やね」
「晴明って、あの……晴明ですか?」
「そやで! うちは賀茂の系譜やし。彼岸はある意味、親戚のおっちゃんたちの集まりみたいな感じなんよね」
「もも、こいつは部外者だ。ぺらぺらと機密事項を喋るな」
「あ、そやった。あかん、あまちゃんに怒られるわ、絶対。こわい〜」
もも からの予期せぬレクチャーも終わり、澪が尋ねた。
「颯太、これからどうする」
「今日は、玄一さんに報告に行こうと思います」
「一人で、か」
「はい。今回だけは、自分の言葉で伝えたいんです」
澪は少し意外そうな顔をしたが、それ以上止めなかった。
「――分かった。無茶は、するな」
「はい」
もも から、武器は持ち歩くと警察に捕まるからと、式の影に預けておくのがいいと勧められ、やり方を指導してもらった。
「これでよし、と。颯太くん、器用やなぁ」
「もも さんの教え方が上手いんだと思います」
「あら、お世辞、上手なってきたなぁ」
もも が悪戯っぽく笑った。
窓の外、三月の空は澄み渡っている。
多摩川で聞いた、あの言葉の数々が頭の中で何度も繰り返されていた。
――どうか、君のままで、いてほしい。
その言葉の意味を、まだ正確には掴みきれていない。それでも颯太は、確かに前へ進む足を止めなかった。
今日、玄一に全てを話す。そう決めていた。それが颯太にとって、美咲へ近づくための次の一歩だった。
部屋を出る前、もう一度鏡の前で自分の姿を確かめた。昨日までと外見は何も変わらない。それでも内側の何かが、確かに変わってしまった気がした。
玄関で靴を履きながら深く息を吸い込んだ。扉を開けると、三月の朝の空気が頬を撫でた。




