↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
因果のカレント  作者: BNG
第2章 因果の起源

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
38/76

第37話「凪の刻」

「――やっと、会えたね」


 その声は、水面を渡る風のように、静かに颯太の耳へ届いた。


 颯太は、動けないまま、目の前の存在を見つめていた。喉が、からからに渇いている。瞬きすら、忘れていた。


 白い着物。水のように艶やかな、長い白髪。整いすぎた顔立ちは、人のものとは思えないほど、静謐だった。だが、その瞳の奥だけは、深い川の色を湛えている。


 夜風が、二人の間を、静かに通り抜けていく。それなのに、凪の白髪だけは、微動だにしなかった。まるで、この場所の時間の流れから、一人だけ切り離されているかのように。


「――あなたが」


 声が、掠れた。喉の奥から、無理やり絞り出したような、頼りない響きだった。


「凪」


「うん」


 その存在は、小さく頷いた。まるで、旧知の友人と再会したかのような、自然な仕草だった。声も、佇まいも、どこか懐かしさを感じさせる何かがあった。


「僕には、他に呼び方がないんだ。だから、それでいい」


 颯太の右目の奥、これまでのどの熱とも違う感覚が、静かに脈打っていた。恐怖ではない。もっと、根源的な何か。


「――知ってる。君がここに来るまで、何を積み重ねてきたか」


 凪の視線が、颯太の全身を、優しくなぞる。まるで、何かを確かめるような、それでいて、慈しむような視線だった。


「梓澪と出会って、神鳴と繋がって。高尾山で、雨に打たれて。財前や陣内、西条とも、出会ったね」


「――全部、知ってるのか」


「全部、とまでは言わない。でも、大まかな輪郭は、ずっと追いかけていた」


 凪の声には、隠しきれない親しみが滲んでいた。まるで、遠くから見守ってきた我が子の成長を、静かに語るような口調だった。


「――なんで」


「見ていたかったから」


 凪は、静かに答えた。


「ずっと、遠くから。君が、生きていく様子を」


 颯太の心臓が、重く鳴った。


「あんたが、俺を見てた……?」


「うん」


 凪は、まるで当然のことのように、頷いた。


「怖がらせるつもりはなかった。ただ、目を離せなかったんだ」


 その言い方には、どこか、痛切な響きがあった。まるで、見守ること以外に、何もできなかった、とでも言いたげな。


「君は、僕にとって、特別だから」


「特別、って、どういう意味だよ」


「今は、まだ言えない。でも、いずれ、分かる」


 凪の答えは、はぐらかしているようで、はぐらかしていないような、奇妙な響きを持っていた。嘘はついていない。ただ、全てを語る気もない――そんな気配だった。


 その一言が、颯太の中の、一番柔らかい場所に、そっと触れた。


 誰かに、ずっと見守られていた。それも、こんなにも近い距離から。


 嬉しさと、薄気味悪さが、同時に込み上げてくる。その感情の名前を、うまく付けられなかった。まるで、長年、片思いをしていた相手から、実はずっと想われていたと告げられたような、そんな居心地の悪さすら、混じっていた。


「――俺の目的、知ってるんだろ」


 震える声を、無理やり絞り出した。


「美咲を救いたい」


 凪の表情が、僅かに、変わった。悲しみとも、慈しみとも取れる、複雑な色。


「その名前を口にする時、君の声は、いつも、少しだけ震える」


「――そんなの、当たり前だろ」


「知ってるよ」


「なら」


 凪は、颯太の言葉を、遮らなかった。ただ、静かに、続きを待っていた。


「あんたの力があれば、過去に戻れる。美咲が死ななかった世界を、作れる」


 拳を握りしめた。


「頼む。力を、貸してくれ」


 沈黙が落ちた。川の流れる音だけが、二人の間を満たしていた。夜風が、水面に、小さな波紋を幾つも作っては、消していく。


 凪は、しばらく、颯太を見つめていた。その目に浮かんでいたのは、拒絶ではなかった。もっと、深い何か――颯太には、まだその正体が分からない感情だった。まるで、長い年月をかけて温め続けてきた想いが、ようやく形を持ち始めたような、そんな重みがあった。


「――颯太」


 凪が、静かに口を開いた。


「君の気持ちは、痛いほど分かる。本当に、痛いほどに」


 その声には、颯太自身の痛みと、どこか重なる響きがあった。


「でも、その前に。話しておかなきゃいけないことが、たくさんある」


 息を呑んだ。喉の奥が、急速に乾いていくのを感じた。何かを知ってしまう予感が、体の芯を、冷たく締め付けていた。


「――俺に、話す?」


「そう」


 凪は、颯太に、静かに手を差し伸べた。冷たそうに見えて、意外にも、その仕草には、温かみがあった。


「座ろうか。長い話になる」


 少し迷った後、その手は取らず、河原の石に、自分から腰を下ろした。


 凪は、それを見て、微かに笑ったように見えた。拒絶されたことを、責めるでも、悲しむでもなく、ただ、そのまま受け入れるような笑みだった。まるで、颯太のその頑なさすら、愛おしいとでも言うように。


 満月が、二人を、静かに照らし続けていた。


 これから語られる話が、颯太のこれまでの全てを、覆すかもしれない。そんな予感が、静かに胸の奥に広がっていった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。