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因果のカレント  作者: BNG
第2章 因果の起源

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第28話「公務員ヤクザ」

 颯太が澪の部屋に着いた時、既に廊下の空気が、いつもと違っていた。


煙草の匂い。それも上等な葉巻に近い独特の香り。


「――澪、いるか!」


ドアを叩く音は、ノックというより殴打に近かった。


澪がうんざりした顔でドアを開ける。


「うるさい。近所迷惑だ」


「近所迷惑? 上等じゃねえか。文句言う奴がいりゃ、"妹の兄です"ってな、この面でご挨拶してやるよ」


澪の眉間に深い皺が寄った。


「やめろ。殺すぞ」


「つれねぇなぁ、澪」


ドアの向こうに立っていたのは、颯太が今まで見たことのない類の人間だった。


二メートル近い上背。ワインレッドの仕立てのいいスーツに深く胸元を開けた姿。引き締まった胸筋の合間から刺青がちらりと覗いている。


思わず息を呑んだ。強烈な存在感が玄関先の狭い空間を一瞬で塗り替えていた。廊下の空気そのものが、この男を中心に渦を巻いているような錯覚さえあった。


男は颯太に気づくと、値踏みするような視線を隅から隅まで這わせた。


「――ほう」


低い声に何か得体の知れない圧が滲んだ。


「お前が、噂の小僧か」


「颯太、こいつは財前。まあ、見たまんま、ヤクザだ」


澪が面倒くさそうに紹介する。その口調には、慣れきった諦めのようなものが滲んでいた。


「澪、何度も言ってんだろが。公務員ヤクザだ」


財前は豪快に笑いながら颯太の肩を、痛いくらいの力で叩いた。


「財前真弥だ。よろしくな、小僧。――俺は公務員ヤクザだ。覚えとけ」


「……公務員、ヤクザ?」


「そのまんまの意味だよ。表は極道、裏は国家公務員。かっこいいだろ」


豪快に笑う財前の後ろ、影のように、もう一つの気配があった。


颯太が視線を動かすと、そこに絹のような銀髪を持つ静かな女性が立っていた。白い肌、鮮やかな着物。まるで昔のお姫様のような気品が漂っている。空気が、その一角だけ僅かに冷たく澄んでいるようにさえ感じられた。


彼女が纏う空気には、財前とはまた違う種類の"格"があった。静けさの中に揺るぎない何かが宿っている、そんな印象だった。


「――真弥様、お戯れもそろそろ」


声は涼やかで、それでいて芯の通った響きだった。


「うるせぇ鬼燈、久しぶりの妹なんだ、多少ははしゃぐだろうが」


「妹、って」


颯太が思わず問うと、澪は間髪入れずに答えた。


「妹ではない、腐れ縁だ」


財前は想定通りと言わんばかりに、少し憂いを帯びた笑みを浮かべた。


「常盤の本家筋、だろ。お前」


颯太の背筋が一瞬で強張った。


「知ってるん、ですか」


「澪がお前をわざわざ隠したんだ。彼岸じゃ、ちょっとした噂だぜ。忘れられてたはずの本家筋がひょっこり出てきた、ってな」


「噂に、なってるんですか」


「そりゃなるだろ。何百年も行方不明だった血筋が急に現れたんだからな」


財前の目つきが僅かに鋭くなった。豪快な笑みの奥に確かな観察の色があった。


「澪が匿ってたのも道理だな。お前、目、やべえもん抱えてる」


答えられなかった。ただ喉の奥が、じわじわと乾いていくのを感じていた。


澪が颯太と財前の間に割り込むように立つ。


「――何しに来た」


「決まってんだろ」


財前は笑みを消さないまま答えた。


「本部が動き出す前に、俺が先に見ておきたかっただけだ」


その一言だけで空気が一段重くなった。肌がぴりりと張り詰めるのを感じた。まるで見えない糸で四方を縛られたような感覚だった。


「本部が、颯太を?」


「隠しが緩んで揺らぎが二回も出りゃ、そりゃ気づく。時間の問題だった」


財前は颯太を、もう一度じっと見据えた。


「小僧。お前がどっち側になるか、まだ誰もわからねぇ。だが――」


声が僅かに低くなる。


「彼岸に目をつけられたら、逃げ場はねえぞ」


その言葉の重さを体の芯で受け止めた。指先が無意識に冷たくなっていくのが分かった。逃げ場がない、という一言が頭の中で何度も反響していた。


鬼燈が静かに財前の傍らに寄り添う。


「真弥様。今日のところは、それくらいで」


「ああ、分かってる」


財前は、また豪快に笑うと、颯太の肩を、もう一度叩いた。


「まあ、今すぐどうこうする気はねえよ。俺は俺の目で確かめに来ただけだ」


その笑顔の裏に、まだ底の見えない何かを感じていた。豪快さと恐ろしさが不思議なほど自然に同居している、そんな男だった。


「――で、確かめてみて、どうだったんですか」


思い切って尋ねた。財前は一瞬、意外そうな顔をした後、また笑った。目の奥に面白がるような光が宿っていた。


「度胸あるじゃねえか、小僧。気に入った」


「答えになってません」


「まあ、それは、追々分かる」


財前はそう言って、颯太の頭を乱暴に一撫でした。手のひらの大きさに思わず身が竦んだ。


「今日は、顔見に来ただけだ。じゃあな、澪」


「――もう来るな」


「そうはいかねえよ。可愛い妹分だからな」


澪の顔が露骨に嫌そうに歪んだ。だが、それ以上強く拒む様子はなかった。


軽口を叩きながら、財前は鬼燈を連れて去っていった。廊下に漂っていた葉巻の匂いだけが名残のように、しばらく残っていた。


二人の姿が完全に見えなくなるまで、颯太は、その場から動けなかった。



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