第13話 「美咲の真意」
美咲の実家の神社を訪ねるのは、三回忌の法要以来だった。
鳥居をくぐると、境内は静まり返っていた。参拝客の姿はない。掃き清められた石畳だけが、夕方の光を反射している。
空気が街中とは明らかに違った。木々のざわめきも、鳥の声も、どこか遠慮がちに聞こえる。まるで、この場所全体が、颯太の来訪を、静かに見張っているようだった。
子供の頃から、この神社には、何度も足を運んだ。美咲の家に遊びに行くたび、必ずここを通った。その頃は、ただの見慣れた景色でしかなかった。だが今は、同じ石畳、同じ木々が、まるで初めて見る場所のように、よそよそしく感じられる。
社務所に声をかけようとしたところで、足を止めた。
本殿の脇、白装束の老人が一人、立っていた。
背筋の伸びた、隙のない佇まい。年齢を感じさせない、静かな眼光が、颯太を捉えていた。
「――颯太くん、だね」
声をかけられる前に、名前を呼ばれた。颯太は、驚きを隠せなかった。
「はい。あの、失礼ですが」
「椎葉玄一。この神社の、宮司をしている」
当主。梓澪の言葉が、頭をよぎる。この人が。
「今日は、何の用かな」
穏やかな声だった。だが、その奥に、隙のない硬さがある。品定めされている、と感じた。全身が、無言のうちに測られているようだった。
「美咲さんのことで、聞きたいことがあって来ました」
玄一の表情は変わらなかった。
「もう三年になる。今更、何を」
「彼女が、どんな仕事をしていたのか。この神社が、何を――」
言葉を選びながら、慎重に切り出したつもりだった。
「颯太くん」
玄一の声が静かに言葉を遮った。
「その質問には、答えられない」
「なんで、ですか」
「答える価値が、君にあるとは思えないからだ」
冷たい一言だった。思わず、言葉に詰まる。予想はしていたが、実際に突きつけられると、胸の奥が鈍く痛んだ。
「美咲は、颯太くんのことを、大切に思っていた。それは、認めよう。だが――」
玄一の目が僅かに細まる。
「君は、美咲が命を懸けて守ろうとしたものが、何なのか、本当に理解しているのかな」
「理解、しようとしています。だから、ここに来ました」
「理解しようとする、だけでは足りない」
玄一は颯太との距離を、一歩詰めた。
「我々が背負ってきたものは、軽々しく踏み込んでいい領域じゃない。美咲は、その重さを分かった上で、自分の意志で動いた。だが君は――」
言葉が途中で止まる。玄一の視線が、右目に、じっと注がれていた。
背筋に冷たいものが走った。
「――やはり、な」
玄一の声が僅かに低くなる。
「宿しているな。人ならざるものを」
答えられなかった。心臓が大きく音を立てている。
「常盤の血か。梓澪から、何か聞いているようだね」
思わず、目を見開く。梓澪の名前まで、この人は知っている。
「美咲は、君のその"目"に気づいていた。だからこそ、危険を承知で近づいた」
玄一の声に初めて、微かな感情が滲んだ。怒りか、悲しみか、判別がつかなかった。
「あの子は、掟を破ってでも、君を守ろうとした。私は、それを止めなかった。止めることが、正しいとも思えなかったからだ」
言葉を失う。美咲が、颯太のために、掟を破っていた。その事実の重さが、遅れて胸に沈んでくる。
これまで、美咲がどんな思いで颯太の傍にいてくれたのか、一度も深く考えたことがなかった。当たり前のように隣にいる存在だと、勝手に思い込んでいた。だが実際は、彼女は、颯太の知らないところで、何かと戦い、何かを賭けていたのかもしれない。その可能性に、今更ながら、胸を締め付けられた。
「だが、結果がこれだ。あの子は死に、君は今も、そのまま危うい存在であり続けている」
玄一の指先が袖の中で、僅かに震えていた。それは一瞬で、すぐに消えた。颯太が見間違えたのかもしれない、と思うほどの、小さな震えだった。だが、確かに見た。この老人の中にも、押し殺しきれない何かがあるのだと、颯太は直感した。
目の前の老人は、颯太に対して、明らかな拒絶を示している。それでいて、その拒絶の奥に、何か別の感情——後悔にも似た、複雑な色があることを、見逃さなかった。もしかしたら、この人自身も、美咲の死に、何か思うところがあるのかもしれない。そう感じたが、それを問い質す勇気は、まだなかった。
玄一は颯太に背を向けた。
「これ以上、この場所に近づかないことを勧める。君のような存在がこの神社の周りをうろつけば、また何かを引き寄せる」
その警告には、単なる拒絶以上の、何か切実な響きがあった。
「待ってください。せめて、美咲が何を――」
「颯太くん」
玄一が振り返らないまま、静かに言った。
「知らない方が、幸せなこともある」
それきり、玄一は本殿の奥へと消えていった。
颯太はその場に立ち尽くす。
夕暮れの境内に、一人だけが残された。
風もないのに、木々の葉が、微かに揺れた気がした。玄一が消えた本殿の奥から、何かがまだ、こちらを見ているような、そんな感覚が拭えなかった。
美咲が、命を懸けて守ろうとしたもの。それが何なのか、今日、ここに来ても、結局分からないままだった。だが、確かなことが一つあった。この神社には、颯太の知らない、もっと深い何かが眠っている。
玄一の態度は、単なる拒絶だけではなかった。あの言葉の端々に滲んでいたのは、颯太を守ろうとするような、不器用な配慮にも見えた。だとすれば、この老人もまた、何かを恐れているのかもしれない。それが何なのか、今の颯太には、まだ想像もつかなかった。
夕日を浴びていつもより朱い鳥居が、やけに目に焼きついた。
その色が、あの新宿で見た、血のような赤い鳥居と、重なって見えた。
あの時感じた不穏さと、今、この場所で感じている重さ。二つが、頭の中で、静かに結びついていく。まだ何一つ確証はない。それでも、颯太は、この神社と、あの赤い鳥居が、根の部分で繋がっているという確信めいた予感を、拭い去ることができなかった。




