↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雲の上の咆哮 ―羊の民、三千年の歌―  作者: 武陵隠者
第五章:紅い腕章、山を切り裂く鉄の言葉

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
127/171

第四節:灰の洗礼、記号による世界の再記述

 叩き落とされた最後の石が爆ぜ、広場を埋め尽くした白い塵埃じんあいがゆっくりと地面へ沈着していく。


 かつて幾世代もの視線を受け止めてきた白石の神域は、いまや無残なつぶての集積へと成り果て、泥のなかにその輪郭を失っていた。あとに残されたのは、不自然なほど白い石粉の海と、その中央に傲然と突き立てられた、紅衛兵たちの掲げる数流の真っ赤な旗だけである。その鮮血のような赤は、大地の色彩を暴力的に拒絶し、己の領土であることを誇示していた。


 それは、感情的な暴動による破壊ではなかった。イデオロギーという名の強固な規律の仕組みが、淡々とその規則を執行したに過ぎない。


 白石という拠点を物理的に消去したことで、彼らの「平定の手続き」は次の段階へと移行する。指導者の若者が胸の記章を厳かに正し、乾いた手つきで次なる指令の書面を開いた。


「迷信の根を絶て。家々を捜索し、四旧(古い文化)に該当する残渣ざんさをすべてあぶり出せ」


 号令とともに、紅衛兵の群れが一斉に集落の家々へと散っていく。彼らの足取りには、先祖の眠る土地への畏怖も、他者の生活を侵すことへの躊躇ちゅうちょもない。ただ、国家という巨大な機構から与えられた「迷信の抹消」という大号令を、狂いなく遂行する歯車としての役割があるだけだった。


 ラサは、粉々に砕かれた石の死骸を足下に踏みしめながら、その光景を静かに、しかし底知れぬ敵意をはらんで見つめていた。


 文字を持つ者たちは、こうして世界を都合よく「再記述」していく。


 彼らにとって、目の前にある現実の重みや、数百年を生き抜いてきた民の皮膚感覚など、何の意味も持たない。彼らの基準は常に、手元にある紙の帳簿であり、そこに記された記号の正しさだけである。帳簿が「古い文化は悪である」と記述すれば、これまでの歴史は一瞬にして犯罪の記録へと書き換えられる。その冷徹な書類の網の目は、かつて山肌を蹂躙した清朝の鉄の物量以上に、この山村の存在そのものを根底から否定しにかかっていた。


 家々の窓から、先祖伝来の機織り機や、真鍮の細工物、そして古い羊皮紙の帳面が次々と投げ捨てられ、広場の泥の上に積み上げられていく。


 耳を澄ませば、押し入られた家の中から、伝統的なチャン語で抗議しようとする老人の声が聞こえた。だがその瞬間、紅衛兵の若い叫びがそれを圧殺する。共通語という新たな記号の体系に適合しない言葉は、それだけで「反革命」という罪名に変えられ、排除されるのだ。言葉を奪われ、文字で規定されることで、人間という生命そのものが、国家の管理しやすい均一な操り人形へと解体されていく。


 ラサは、自らの胸元にある真鍮の神杖が、懐の中で不気味なほど冷たく凍りついているのを感じていた。


 物理的な守護であった白石は墜ちた。そして今、彼らが守るべき有形の歴史もまた、燃え盛る灰の洗礼を受けようとしている。世界が完全に平地の言葉によって塗り替えられていく、その不気味な静謐せいひつさ。


 しかし、ラサの瞳の奥にある不服従の種火は、まだ消えてはいなかった。


 彼らは文字を持たぬがゆえに、紙の帳簿を破られても、その本質を失うことはない。有形の拠点がすべて灰に帰すならば、残された「無形の領土」へ退避すればよい。ラサは、家々の捜索を続ける紅衛兵たちの背中を見据えながら、自らの魂のしとねにある無言の記憶の鍵を、深く、深く締め直していた。


 広場に積み上げられた古い品々に火が放たれ、黒い煙が天に向かって立ち上り始める。記号による世界の再記述は完了しつつあった。だが、それを見つめる山の民の沈黙の底には、紙の言葉では決して検閲することのできない、強靭な歴史の逆襲が、静かにその爪を研ぎ始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。