その523 メス豚と芋泥棒
いざという時に備え、事前に脱出ルートは想定しておくべきだろう。その時になって、右も左も分かりませんでは話にならないからな。
こうして私はこの総本山の敷地内をあちこち見て回る事にしたのだった。
てなわけで現在、私は屋根の上から炊事場の窓を見下ろしていた。
開いた窓からは白い湯気が立ち上っている。
この匂い、今日のお昼は芋のスープと見た。
『先に言っておくけど、決して美味しそうなご飯の匂いに引き寄せられた訳ではないから。そこは明言しておくから』
『言い訳乙』
力説する私にピンククラゲは適当に相槌を打った。
なんだよその投げやりな返事。もっと私に興味を持ってこうぜ。
『・・・厄介』
『クロ子、口からよだれが垂れていますよ~』
おっといかん、レディーにあるまじき失態。青い鳥ロワの指摘に、私は慌ててジュルリと唾をすすった。
それにしてもいい匂いだな。一口でいいのでごちそうしてくれないかな。
ここが全員顔見知りのメラサニ村なら、躊躇なくおねだりしに行っている所だが、流石に見ず知らずの他所の家でするにはハードルが高すぎる。
『ふむ。ならばいっそのこと、コッソリ忍び込んでつまみ食いしてしまうのも手かもな。このままだと、料理が気になって調査に身が入りそうにないし』
腹が減っては戦にならない。などとブツブツと呟く私。
理論武装はこれで十分かな? よし、やるか。
私は『風の鎧』。身体強化の魔法を発動させると、屋根から飛び降りようとしたその時だった――
「コラァ! この芋泥棒め!」
『ブヒッ!? ごめんなさい! ほんの出来心だったんですぅぅ!』
男の怒鳴り声に反射的に謝る私。
未遂なんだから許して!
『――って、おい。未遂どころか厨房に足を踏み入れてさえいないんだが? まだ屋根の上にいる所なんだが?』
「ワンワン! ワンワン!」
混乱する私の耳に犬の鳴き声が聞こえて来た。
次いで厨房の入り口から、頭に小さな角が生えた犬が二匹飛び出して来る。
『黒い猟犬隊の犬? てか、あの子達、風の鎧の魔法を使っているじゃない』
黒い猟犬隊の中でも、風の鎧の魔法が使えるのは三匹しかいない。リーダー犬のマサさんと、タロとジロという二匹の雄犬。
確か全身黒毛で耳がピンと立ってる方がタロで、お腹と鼻面に白い毛が生えていて、耳が片方寝ている方がジロだったはずだ。
あれ? 逆だったっけ? まあいいや。
「クソッ! このすばしっこいヤツらめ! 待ちやがれ!」
「ワンワン! ワンワン!」
おっと、いかん。こうしちゃいられない。
コックのオジサンは余程頭に血が上っているのか、大きな包丁を振り回しながらタロとジロを追いかけ回している。
彼自身もここの門下生らしく、とてもコックとは思えないキレのある動きをしている。
一方、タロとジロは身体強化の魔法を使っているが、この様子だといつやられてもおかしくはない。
魔力量の関係で、彼らは長時間魔法を持続出来ないからである。
『てな訳で、とうっ! そこのオジサン、ちょーっと待ったーっ!』
『ボス! クロ子ボス!』
「な、なんだ!? 子豚が屋根から降って来たぞ!」
私は空中にダイブ。二匹と男の間に割って入った。
コックのオジサンは一瞬、戸惑った様子を見せたが、すぐに気を取り直すとこちらに包丁を突き出した。
「さてはお前もそいつらの仲間だな!」
『なんでそうなるって、いやまあそうなんだけどさ。ええと、先ずは事情を確認しないとな。水母、通訳をお願――』
「一体何の騒ぎだ? どうしたんだ料理長」
「芋泥棒だ! 厨房で昼飯の仕込みをしていたら、そこの泥棒犬が入り込んで下茹でをし終わっていた芋を盗み食いしやがったんだ!」
説明助かる。おかげで事情を尋ねる手間が省けたわ。
私はタロとジロに振り返った。
『あんたらこの人が言ってるようにつまみ食いなんてしたの?』
「キュ~ン」
二匹は尻尾を丸めると気まずそうに目を逸らした。
あ~、これはやってますわ。タロとジロはクロですわ。
「なんだなんだ?」
「芋泥棒だってよ。お前らもっと仲間を呼んで来い」
「芋って俺達の昼飯か? あの犬達が犯人なんだな?」
「そうとも。逃げ場を潰せ。取り囲むんだ」
いやはや、食べ物の恨みは恐ろしい。
あれよあれよという間にゾロゾロと門下生が集まって来た。
どうやら人海戦術でこちらを捕まえるつもりのようだ。
これはちょっとマズいかも。
『黒豚の姐さん! 大丈夫ですかい!?』
「ワンワン! ワンワン!」
「わっ! この犬共! 一体どこから現れやがった!」
そこに男達の足元をくぐって、マサさん率いる黒い猟犬隊が現れた。
私達を逃がさないよう、警戒していた門下生達は、突然、背後から現れた犬の群れに慌てふためいている。
その結果、包囲網の一角が崩れる。よっしゃ、チャンスだ!
『事情は後で話すわ! 黒い猟犬隊、一点突破でこの場を脱出するぞ!』
『『『『応!』』』』
黒い猟犬隊の犬達はワンワンキャンキャン、口々に吠えながら一斉に走り出した。
一匹二匹ならともかく、ニ十匹もの集団となれば、さしものサッカーニ流槍術でも手に余る。
先程タロとジロを追い回していたコックのオジサンでさえも、突然現れた犬の群れに鼻白んでいる。
私達は怯んだ男達の横を駆け抜けると、無事、包囲網を突破した。
『はっはっは、戦いは数なのだよ! 今日は勉強になって良かったな!』
『ほぼ悪役』
私の高らかな勝利宣言に、ピンククラゲが呆れた様子でフルリと震えた。
「バカ! お前らなに避けてんだ!」
「け、けどよ・・・」
「追え! もっと仲間を集めるんだ! ヤツらを決して逃がすな!」
どうやら門下生達はまだあきらめていない模様。人手を集めて徹底的に我々を追うつもりのようだ。
マサさんが『ふんっ』と鼻を鳴らした。
『相手がクロカンならともかく、ただの人間が我々黒い猟犬隊の逃げ足に敵うものか』
『カッコイイ風に言ってるけど、微妙にカッコ良くないからね』
『こういう所は、クロ子の影響かもしれませんね~』
青い鳥ロワがからかうように頭上をクルクルと舞う。
「来たぞ! 前を塞げ!」
おっといかん。前方に門下生達が現れた。
マサさんがこちらに振り返った。
『黒豚の姐さん、お願いしやす!』
『いや、何を期待しているのか知らないけど、攻撃魔法だったら使わないからね。全員、私に続け!』
『『『『応!』』』』
私は犬達を引き連れて全力疾走。次いで男達の直前で直角ターン。
彼らの態勢が崩れた所でその横を駆け抜けた。
「しまった! そっちに逃げたぞ、追え!」
「ワンワン! ワンワン!」
黒い猟犬隊の犬達はテンション爆上がりである。犬ってこういう追いかけっこが大好きだからね。
今生では私も好きだが。
さあて、盛り上がって参りました。
「そっちだ! 前を塞げ!」
「誰か網を持って来い! 以前、鳥を捕まえるのに使ったヤツがあったはずだ!」
「クソッ! コイツらやたらと素早いぞ!」
「バカ、危ない! こんな狭い場所で棒を振り回すな!」
サッカーニ流の門下生とはいっても、流石にサステナのようなぶっ壊れはいないようだ。
まあ、あんな規格外がそこらに転がっているようなら、とっくにサンキーニ王国はこの国に併呑されてしまってるだろうけど。
それでも時折、目を惹く動きをしている者くらいはいた。
『総括としては、俺達の魔法ありの黒い猟犬隊の訓練相手としては申し分ないかもね』
あくまでも門下生達に対しての印象であって、師範代、あるいは師範に関しては保留とする。
「これは一体何の騒ぎだ!」
「おい、クロ子! テメエ、いつの間に抜け出しやがった!」
あ、やべ。
どうやら建物の奥まで騒ぎの音が伝わってしまったらしい。
サッカーニ流十六天のお爺ちゃん達とサステナの怒鳴り声が、辺りの空気を震わせた。
次回「メス豚、怒られる」




