その521 ~トンネルの中で~
◇◇◇◇◇◇◇◇
亜人兄弟の弟、ハリス少年は硬い床の上で目を覚ました。
まだ睡眠が足りないせいだろうか。頭の芯が痺れるように重い。
出来ればもう一度眠りたかったが、冷たい床は容赦なく体から体温を奪い、痛みを感じる程になっていった。
「・・・今、何時だろう?」
結局どれくらい眠れたのだろうか? 数十分? それとも数時間?
トンネルの中は眠りについた時と同じく、不思議な光で煌々と照らされ、今が朝なのか夜なのかも分からなかった。
冷たさに耐え兼ね、ハリスは仕方なく眠い目をこすりながら体を起こした。
周囲には眠っている者もいれば、まるで魂が抜けたように力無く座り込んでいる者もいる。
みんな精も根も尽きて疲れ果てていた。
「無理もないよ。昨夜はあんなに大変だったんだから」
昨夜、ハリス達楽園村の亜人達は、長年住み慣れた村を放棄すると、このトンネルへと逃げ込んだ。
自分達の村が炎に包まれる光景には、ハリスも悲しみで胸が張り裂けそうになった。
幸い、クロ子達、メラサニ村の亜人達が中心となって殿を務めてくれた事で、人的被害はほとんどなかった。
だが、数少ない犠牲者の中には、ハリスの兄、ロインの婚約者のサロメの名前もあった。
正確に言えばサロメは混乱の中、行方不明になっていたのだが、彼女を捜しに行っていたロインが、憔悴した様子で多くを語らなかったため、詳しい事情は不明である。
ただ、ロインは『俺がもっと彼女の事を気にかけていれば』と後悔の言葉を呟いていた。
「・・・クロ子達はまだ戻っていないのかな」
ハリスは頭を振って兄の心配を横におくと、クロ子達、メラサニ村の亜人達の姿を捜した。
傭兵装備の彼らは、どこにいても良く目立つ。
しかし、見渡した所、それらしい集団の姿はどこにもなかった。
言葉を喋る不思議な子豚クロ子と、彼女に率いられたメラサニ村の男達。
彼らは、このトンネルの管理者、青い鳥ロワの案内で、トンネルの先、楽園村の先祖達が元々住んでいたという山まで様子を探りに向かっている。
安全が確認され次第、村人達も全員移動する事になっていた。
『~♪』
ハリスは小さな青い塊がトンネルの中をクルクルと舞うのをボンヤリと眺めた。
調子っぱずれの歌声を上げながら、楽しそうに飛ぶ青い鳥。
この施設の管理者を自称する、前魔法科学文明が生み出した対人インターフェース、ロワである。
ロワはクロ子達と一緒に、謎の機械で姿を消したと思っていたのに、すぐにどこからともなく再び姿を現していた。
「あれ、ロワちゃん!? クロ子ちゃん達と一緒に行ったんじゃなかったの!?」
ハリスの父、楽園村村長のユッタが驚いて尋ねると、ロワはクルクルと舞った。
どうやらロワはクロ子から名前を貰ったのがよほど嬉しかったらしく、誰かに自分の名前が呼ばれる度に、こうして上機嫌になっていた。
『そうですよ~。今も私はクロ子達と行動を共にしています』
「どういう事? 君もロワちゃんなんだよね?」
『はい。私は人類によって生み出された対人インターフェースですから。あなた方と話しているこの体は端末の一つでしかないんですよ』
なんでもロワの本体は、この施設を動かしている動力源と共に地下五十メートルに作られているという。
そう説明されても、楽園村の亜人達には想像する事さえ出来なかった。
「え、ええと、つまりロワちゃんにとっては今の姿は仮の姿で、その気になればいくらでも作り出す事が出来るというのでいいのかな?」
『いいですよ~』
理解し難いが、本人が肯定している以上、そういうものだと思うしかないのだろう。
ちなみにロワは軽く答えたが、もしこの場に水母がいれば、ピンククラゲの体を震わせて激昂していたに違いない。
彼ら人造知性体には数多くの厳格なルールが存在している。
人造知性体という、謎多き情報空間に生まれた新型知性体。
既存の生物とは全く異なる、未知の概念と独自の価値観を持つ次世代型のデータ生命体。
そんな人造知性体が、人類というこの惑星の支配者の領域を侵さないために作られた鉄の掟。
複数の端末を併用するというのは、その禁忌の一つに抵触するのである。
「クロ子ちゃんも大概、とんでもなかったけど、ロワちゃんも相当なものだなあ」
「私はもう理解するのを諦めちまったよ」
長老会の最年少メンバー、エノキ婆さんは疲れた顔でかぶりを振った。
「それはともかく、クロ子達が戻って来るまで私らに出来る事は何もないんだ。今のうちに少しでも休んどいた方がいいだろうね」
「そうですね。母さん、みんなの食事の用意をして貰えないか?」
「あ、お母さん、僕も手伝うよ」
「頼むわねハリス」
とはいえ、トンネルの中では火も焚けない。出来るのは持って来ていたパンと干した果物を配るくらいだ。
村人達は食事の配給を受け取ったが、ほとんどの者は食べる気力も湧かない様子だった。
「ほら、ロイン兄さんも。少しは食べないと力が出ないよ」
「・・・」
最後にハリスは婚約者を失ったばかりの兄、ロインに食事を差し出したが、彼はチラリとそちらに目を向けただけで再びうずくまってしまった。
「ロイン兄さん・・・」
ハリスはロインから離れた場所に座ると、自分の分の食事に手を付けた。
「ダメだ、入りそうにないや」
しかし一口二口かじった所で諦め、残りは荷物の中にしまい込んだ。
「せめて少しでも寝ておかないと」
明るいトンネルの中にいると分からないが、外はそろそろ空が明るくなって来る時刻である。
つまり昨日は丸一日寝ずに起きていた事になる。
体は疲れ果て、手足は泥のように重い。しかし、神経が高ぶっているせいか、こうして横になっていても中々睡魔は訪れなかった。
「俺が・・・俺がもっとサロメの事を気にかけてやってさえいれば、こんな事にはならなかったのに・・・」
ハリスが最後に聞いたのは、兄のそんな後悔の呟きだった。
「お腹が空いたな」
わずかな時間とはいえ睡眠が取れた事で、少しは疲労が抜けたらしい。若い体がエネルギーを求めているようだ。
ハリスは昨夜――と言っても、あの時は既に朝になっていただろうが――のパンを食べようと、自分の荷物に手を伸ばした。
「あれ? 確かに閉めたと思ったのに」
荷物の口が開き、中身が少し覗いている。そこには確かにしまったはずのパンと干し果実はなかった。
怪訝な顔で周囲を見回すと、幼い子供に食事を取らせている若い夫婦が目に入った。
顔も知らない家族だ。
とはいっても、楽園村はちょっとした町くらいの規模がある。むしろ知っている顔の方が割合としては少ないくらいである。
なんとなくボンヤリとその様子を眺めていると、視線を感じたのか不意に父親がこちらに振り返った。
彼は一瞬、気まずそうな表情を浮かべたが、直ぐに顔を伏せ、背を向けた。
「あっ。ひょっとしてあの子が食べているのって僕の――」
ハリスは父親の態度に事情を察したがそれ以上は言葉にしなかった。
なくなったのはパンと干し果実だけ。それ以外の荷物には手も付けられていなかったのだ。ならば事を荒立てる事もないだろう。
そもそも、あれが自分のパンである証拠はどこにもないのだ。
父親の罪悪感に溢れた顔に免じて、ハリスはこれ以上何も追及しない事にした。
「盗んだりしなくても、言ってくれれば分けて上げたのに」
ただ、お腹を空かせた子供のためとはいえ、他人の食事を盗むような村人がいるという事実に、少しだけ寂しい気持ちにはなったのだが。
「いや、違う。そうじゃないんだ」
あの父親の顔を見れば、彼が普通の父親であるのは――人の食べ物を平気で盗むようなさもしい性根の人間でないのは――間違いないだろう。
彼が食べ物を盗んだのはお腹を空かせた自分の子供に食べさせるため。もしも、十分な食事がなければ、ハリスの父親だって家族のために同じような事をするかもしれない。
「そう。悪いのは今の状況。満足な食事もないような今の状況なんだ」
こんな状況でなければ、彼だって他人のパンに手を出すようなまねはしなかっただろう。
悪いのはその人ではない。その人にそうせざるを得なくさせている状況にあるのだ。
「この経験。この思いを、今後一生、絶対に忘れないようにしよう」
ハリスはそう固く心に誓うのだった。
次回「メス豚とトパーズの姫」




