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旦那様の足に合う靴は、もうどこにもございません  作者: 柊木ましろ


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第9話 育ちすぎた足

 列が引けたのは、日が落ちてからだった。この十日で、直しの靴が四十足を越えた。棚に並べる場所がなくなって、土間の隅に籠を三つ置いた。籠には番号を書いた紙を挟んである。ノラの字だ。数字だけは、日ごとに上手になっていく。


 戸を閉めようとしたときに、二人が入ってきた。その子は、母親に引きずられるようにして入ってきた。十二か、十三か。背だけ伸びて、肩が細い。土間に立たされて、うつむいていた。


「すみませんねえ、こんな時間に」


「開いております」


「この子の靴なんですけどね」


 母親が包みを開けた。中から出てきたのは、爪先の裂けた靴だった。裂けているのではない。破れている。内側から。わたくしは受け取って、中を見た。


「これは、いつお作りに」


「春です」


「春」


「ええ。まだ半年ですよ。半年で駄目にするんですから」


 母親が子どもを睨んだ。子どもは、もっとうつむいた。


「乱暴に履いたんでしょう。何度言っても、走るから」


 母親の靴も見た。見るつもりはなかったが、目に入る。踵が両方とも斜めに落ちている。革は継いである。継ぎは自分で当てたのだろう。糸が太い。裁縫用の糸だ。この家に、靴を二足買う金はない。わたくしは靴を灯りに近づけた。


 破れているのは、右の親指の位置だ。左も薄くなっている。踵は減っていない。減っていない踵と、破れた爪先。この組み合わせは、乱暴とは言わない。


 乱暴に履いた靴は、踵から潰れる。外側が斜めに削れて、縫い目が外へ開く。この靴は逆だ。外はきれいで、内から壊れている。


 中を指でなぞった。爪先の裏革が、指の形にへこんでいた。押し返された跡だ。半年、毎日押し返していれば、革のほうが先に負ける。


「お子さん。前へ」


 子どもは、ちらりと母親を見てから、一歩出た。


「靴下を脱いでいただけますか」


 脱がせて、両足を床に置かせた。指が縮こまっている。長く小さい靴に入っていた足の形だ。巻き尺を当てた。それから、破れた靴の内側にも当てた。


「六分ほど、足りません」


「六分」


「春から、指の幅ふたつぶん伸びていらっしゃいます」


 母親が黙った。


「破れたのではありません。押し出されたのです」


  ◇


「じゃあ、大きいのを作ればいいんですね」


「大きい靴は、走ると脱げます」


「じゃあ、どうすれば」


 わたくしは作業台から、裁ちかけの革を持ってきた。


「縫い代を、多めに残します」


「ぬいしろ」


「甲の側を、縫い合わせずに折り込んでおきます。きつくなったら、縫い目をほどいて、折り込んだぶんを出す。それで、指の幅ひとつぶん伸びます」


「そんなことができるんですか」


「二度までなら」


 母親は、革を見た。それから、子どものほうを見た。


「……お代は、余計にかかりますか」


「同じです。縫い代は捨てるものですので」


「捨てるものを、残すんですか」


「はい」


 母親は、しばらく何も言わなかった。それから、急に早口になった。


「いえね、私も言い過ぎたんです。この子、走るのが好きなだけで。上の子のお下がりを履かせてたのが悪かったのかもしれないし」


「お下がりは、やめておかれたほうがよろしいかと」


「そうですか」


「上のお子さんの足の形で減っております。その形に、下のお子さんの足が合わせてしまいます」


 子どもが、初めて顔を上げた。


「……あの」


「はい」


「ぼく、走っても、いいですか」


 わたくしは巻き尺を巻き取った。


「走る前提で作ります」


 母親が、鼻から息を吐いた。呆れた息ではなかった。


「先生。うちの子、走っていいんですか」


「靴屋でございます。それと、止めても走ります」


「そりゃ、そうですけど」


「止めた靴は、走ったときに壊れます。走る靴は、走っても壊れません。どちらを作るかという話です」


 母親は、しばらく黙っていた。それから、子どもの頭を一度だけ撫でた。撫でるというより、押さえるような手つきだった。この人は、たぶん、叱ることでしか心配を出せない。そういう人を、わたくしは何人か知っている。


  ◇


 その夜、ノラが作業台の横に椅子を持ってきて座った。座って、じっと見ていた。


「奥様」


「はい」


「さっきの、縫い代のやつ」


「はい」


「なんで最初からやらないんですか。全部の靴で」


「大人には要りません。大人の足は伸びませんので」


「じゃあ、子どもの靴は全部そうすればいいのに」


「手間が倍かかります」


「倍」


「ええ。折り込むところは、縫い方を変えなければなりません。あとでほどけるように縫って、なおかつ、ほどけないように縫います」


 ノラが眉を寄せた。


「矛盾してません?」


「しております」


「じゃあ無理じゃないですか」


「糸を二種類使います。表を麻で、裏を絹で。ほどくときは絹だけ切ります」


 わたくしは針を二本、並べて置いた。


「絹は高うございます。ですから、王都では子どもの靴にこれをしません。半年で買い替えたほうが安いからです」


「……ここでは」


「買い替えられない方がいらっしゃいます」


 ノラは、椅子の上で膝を抱えた。


「奥様って、変ですね」


「よく言われます」


「褒めてます」


「そうですか」


 しばらく、糸を通す音だけがしていた。ノラが、ぽつりと言った。


「奥様は、人の先を測るんですね」


 わたくしは手を止めた。


「先、と申しますと」


「今の足じゃなくて、半年後の足を測るって、そういうことでしょう」


「……そうですね」


「あたし、それ、いいと思います」


 わたくしは針を進めた。絹糸は細い。細い糸は、灯りの角度によって見えなくなる。見えないものを縫うので、指の腹で位置を確かめながら進める。


 この縫い方を父から教わったのは、十四のときだ。父は理由を説明しなかった。ただ「あとでほどく縫いだ」とだけ言った。何のためにほどくのかを知ったのは、自分で子どもの靴を作るようになってからだった。


 この子は、たまに、こちらが十年かけて言葉にできなかったことを、五日で言う。


  ◇


 子どもの靴は、三日で仕上がった。甲は羊にした。柔らかい革は伸びる。伸びる革を、折り込みで受ける。


 縫い代は、甲の内側に指の幅ふたつぶん残した。折って、絹で仮に留める。表からは見えない。ほどくときは、内側の絹だけを切る。切れば、折ったぶんが出る。


 底は牛の厚いところを使った。走る子の底は、減るのが早い。減ることを前提に、最初から一枚多く貼っておく。仕上げに、踵の内側へ布を一枚入れた。脱げ止めだ。走っても脱げない。


 取りに来たとき、その子は土間で三度跳ねた。母親が慌てて止めた。止めながら、笑っていた。


「先生」


「靴屋でございます」


「これ、上の子のも、お願いできますか」


「承ります」


 母親が帰ったあと、ノラが台帳に印をつけた。靴の絵を描いて、爪先に丸を打つ。この子の書き方にも、癖がついてきた。


「奥様。子どもの靴、これから増えますよ」


「増えます」


「大丈夫ですか。手間が倍なんですよね」


「増えたぶんは、大人の靴で埋めます」


 夜に籠を数え直した。四十三足。うち十一足が子どもの靴だった。十日前は、この街に靴屋がなかった。十日で四十三足が出てきた。つまり四十三足ぶんの我慢が、どこかに積まれていた。わたくしは窓を見た。


 外はもう暗い。坂の上のほうに、灯りが一つ見えた。ガイスト家の屋敷だ。あの方の靴は、まだ仕上がっていない。底は組んだ。甲も裁った。あとは縫って、木型に吊るして、形を落ち着かせるだけだ。二日あればできる。


 できたあと、あの方が何をなさるのかは、まだ伺っていない。

 王都へ行く用がある、とだけ伺いました。何の用かは、伺っておりません。

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