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旦那様の足に合う靴は、もうどこにもございません  作者: 柊木ましろ


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22/23

第22話 北の足

 軍務府からの通知は、四月の初めに届いた。封筒が厚い。厚い封筒は、たいてい良い知らせだ。断るときは薄い。断る理由は一行で足りる。中は五枚あった。


 ――規定第四条施行細目に照らし、労務耐性の欠如を認める。別紙名簿の二十二名につき、手当の支給を決定する。


 名簿がついていた。二十二人ぶんの名前。その横に、それぞれ短い記載がある。


 ――右足接地不能。左足単独歩行。歩行距離、日に四百歩を上限とす。


 わたくしはその一行を、二度読んだ。四百歩。この店から坂の上の役所まで、およそ三百歩ある。往復はできない。書類にそう書いてある。


 三月前の書類には、「歩行可能」とだけ書いてあった。四文字だ。今は、一行になった。一行になれば、人の形がわずかに出る。三月前、この人たちは「歩行可能」と書かれていた。通知は、ガイスト家へ届いたものの写しだった。


 持ってきたのはアーベル様本人で、坂を下りてきて、扉を開けるなり紙を差し出した。挨拶がなかった。この方が挨拶を忘れるのは、初めてだった。


「通った」


「拝見しました」


「二十二人、全部だ」


「よろしゅうございました」


 その方は、まだ紙を持っていた。持ったまま、土間に立っていた。


「アルンド」


「はい」


「三年だ」


「はい」


「三年、通らなかったものが、靴を並べたら通った」


 わたくしは糸車の前から立ち上がった。


「靴は、二十二足ぶんの証言でございます」


「証言」


「はい。人は、歩けるかと訊かれれば歩けると答えます。靴は、訊かれても答えません。ただ、減っております」


  ◇


 二十二人が工房へ来たのは、その五日後だった。一度に来たわけではない。三人。四人。二人。ばらばらに、坂を下りてきた。ある者は杖をつき、ある者は肩を借り、ある者は自分で歩いてきた。


 人が来ると、土間は狭い。三人でいっぱいになる。四人目からは表で待ってもらった。表は坂だ。坂で待つのは、この人たちには辛い。二日目から、宿の主人が帳場を貸してくれた。番号札もそこで配った。


 最初の一人は、四十くらいの男だった。土間の入口で止まって、それから、深く頭を下げた。


「……あの、靴を、返していただきに」


「お預かりしております」


「いや、あの、そうじゃなくて」


 その人は、言葉を探していた。


「ありがとうございました」


「靴を並べただけでございます」


「並べただけで、三年ぶんが動きました」


  ◇


 わたくしは、二十二足を返す前に、全部の足を測った。測ると言っても、時間はかかる。一人あたり四半刻。二十二人で、五日かかった。右足を着けない人。左の踵だけが残っている人。指が三本ない人。膝から下が無い人。


 同じ戦の、同じ隊だ。それでも足は二十二通りある。当たり前のことだが、書類では一通りになる。測るたびに、紙を一枚使う。二十二枚。全部違う数字が並ぶ。膝から下が無い人には、靴が要らない。要らないが、その人は片方だけ持ってきた。


「もう片方は、要らんのです」


「片方だけ、お作りします」


「片方だけ売ってくれるんですか」


「片方だけ履かれるのでしたら、片方だけで結構です」


 その人は、しばらく黙っていた。


「……十年、二足ぶん買っていました」


「はい」


「片方は、いつも新品のまま捨てていました」


「もったいのうございます」


「もったいない、と言われたのは、初めてです」


 ノラは、五日間ずっと横についていた。数字を書き取る。靴の絵を描いて、印を打つ。それから、途中から自分で聞くようになった。


「あの、どこが当たりますか」


「ここだな」


「歩くと痛いのは、朝と夕どっちですか」


「……夕方だな」


「じゃあ、夕方に測らないと駄目ですね」


 わたくしは手を止めた。


「ノラ」


「あ、すみません。勝手に」


「いえ。そのとおりです」


「え」


「足は夕方に膨らみます。朝の寸法で作った靴は、夕方に当たります」


「……じゃあ、みんな朝に測ってるんですか、王都では」


「店が朝から開いておりますので」


 ノラは、そこで少し考えた。


「うちは、夜も開いてますよね」


「開いております」


「じゃあ、うちのほうが正しいですね」


 この子は、たまに正しい。


  ◇


 五日目の夜に、二十二足ぶんの寸法が揃った。紙が二十二枚。わたくしの書式で、わたくしの字で書いてある。父の書式だ。ノラが、紙を揃えながら言った。


「奥様」


「はい」


「この人たちの木型、彫るんですよね」


「彫ります」


「二十二組」


「はい」


「……何年かかりますか」


「一組に三日として、二月と少しでございます」


「二月」


「ええ。ただ、その間も直しは来ます」


 ノラは、紙の束を胸の前で抱えた。


「奥様。あたし、彫っちゃ駄目ですか」


 わたくしは、糸を巻く手を止めた。


「彫れますか」


「彫れません」


「では」


「教えてください」


 ノラは、紙を作業台に置いた。


「あたし、二年で糸の巻き取りを覚えるって言われました。もう覚えました」


「三月でございます」


「三月で覚えました。だから、次を教えてください」


 わたくしは、棚から楢の材を出した。三組ある。一組を、作業台に置いた。


「では、荒落としから」


「はい」


「鋸で落とします。線から、指の幅ふたつ手前で止めてください。それ以上寄せると、戻せません」


 ノラは鋸を握った。握り方が逆だった。直させた。二度目で、真っ直ぐ落とせた。


  ◇


 鋸の音は低い。小刀の音は高い。鉋はその間だ。作業台が二つあると、音が重なる。重なると、どちらが止まったかが分かる。この子は、よく止まった。止まっては、こちらを見た。


 三日後、ノラが最初の一組を荒落としまで持ってきた。


 形は、まだ足に見えない。ただ、線の残し方が正しい。削りすぎていない。この子は、迷ったときに手を止める。止められるのは、才能のうちだ。


「奥様。どうですか」


「よろしゅうございます」


「ほんとですか」


「ほんとうです。ただ、ここが」


 わたくしは、踵の外側を指した。


「二枚ぶん、寄っております。ここは最後に落とすところです」


「……すみません」


「謝らなくて結構です。落としすぎていないので、直せます」


 ノラは、木型を両手で持ち直した。


「奥様」


「はい」


「あたし、名前を彫っていいですか」


「名前、と申しますと」


「名札です。今、奥様が全部書いてますよね。あたしが彫っちゃ駄目ですか」


 わたくしは、壁の棚を見た。名札は、板を薄く削って、字を彫って、紐で下げる。十年、全部わたくしが書いてきた。父の代からそうだ。


「彫れますか」


「字は書けません。でも、彫るのは……たぶん、写せます」


「写す」


「奥様が書いたのを、そのまま彫ります」


 わたくしは、少し考えた。名札は、木型が誰のものかを示すためのものだ。誰が彫っても構わない。構わないが、これまで誰も彫らせなかった。


「ノラ」


「はい」


「一枚目は、あなたの名前にしてください」


「え」


「あなたの木型が、二つ棚にございます。名札がまだです」


 ノラは、口を開けたまま止まった。


「……あたしのも、棚に置くんですか」


「置いてあります。三月前から」


  ◇


 その夜、ノラは名札を一枚彫った。下手だった。二画目が太かった。わたくしは、それを見て、何も言わなかった。言わなかったのは、笑いそうになったからだ。この癖は、たぶん、教えたことがない。

 春になりました。工房の看板を、そろそろ塗り直す時期でございます。

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