第18話 組合長の足
組合の書状が届いたのは、雪が本格的に緩みはじめた頃だった。封蝋は王都靴商組合の紋。中身は二枚。一枚が通知で、一枚が請求書だった。
――貴殿は組合登録を有さず靴の製作及び販売を行っている。王国内における無登録営業に対し、過怠金を課す。
金額が書いてあった。この店の家賃の、十一月ぶんだった。
「奥様。これ、なんですか」
「罰金でございます」
「なんの」
「登録をせずに靴を作った罰でございます」
「北ですよ、ここ。王都の組合、関係ないじゃないですか」
「王国内、と書いてございます」
ノラは通知を覗き込んで、それから、鼻に皺を寄せた。
「……払うんですか」
「払いません」
「じゃあ、どうするんですか」
「払わずにおりますと、たぶん、向こうが来ます」
◇
来たのは、八日後だった。その八日で、雪はずいぶん減った。屋根から落ちるのが塊でなく水になり、通りの端に泥が出た。泥は雪より靴に悪い。染みると乾いてから革が縮む。だから、この時期はいちばん忙しい。忙しい時期に、来た。
馬車が二台。坂の下に停まって、二台目から荷が下ろされた。荷ではなく、人が三人だった。先に入ってきたのは、若い男二人。組合の記章をつけている。それから、マティアス・ケラーが入ってきた。
「工房を検分する」
挨拶はなかった。
「どうぞ」
「……妙に素直だな」
「隠すものがございません」
男たちは土間を歩き回った。籠を覗き、棚を見て、作業台の道具を数えた。数えながら、紙に書いている。革包丁が四本。鉋が二丁。小刀が三本。針が十二本。糸車が一台。巻き尺が二本。彫り台が一つ。
書き取られると、ずいぶん少なく見えた。実際、少ない。父の工房には、この三倍あった。マティアスは動かなかった。入口の近くに立って、こちらを見ていた。
「アルンド。無登録営業は罰金だけで済まん」
「はい」
「道具を差し押さえる。木型もだ」
「木型は、王国靴商法 第九条により、彫成した職人に属します」
「その職人が無登録なら、話は別だ」
「第九条に、そのような但し書きはございません」
「解釈だ」
「どなたの」
「組合の」
わたくしは糸車の前から立ち上がった。
「ケラー様。伺ってもよろしいですか」
「なんだ」
「三年前、父の登録の更新届は、なぜ受理されなかったのでしょう」
「事務方の話だと言った」
「事務方に伺いましたら、まとめ役の判断だと申しておりました」
王都の三日で、そこだけは調べておいた。調べるのは簡単だった。受付の書記が、聞かれたことに素直に答える人だったからだ。マティアスは、表情を変えなかった。
「……よく調べたな」
「はい」
「言っておくが、俺はあんたの親父を潰したわけじゃない」
「そうですか」
「ヨナスは自分から降りた。御用達も、組合の席も、全部だ。俺は止めた」
「止めた」
「二度な。あれだけの腕を捨てる理由が分からんかった」
男たちが、棚の布をめくろうとしていた。マティアスが手を上げて、止めた。
「理由を、あんたは知っているのか」
「存じません」
「そうか」
その男は、少し息を吐いた。
「知らんまま、同じことをしているわけだ」
男たちが道具を数え終えて、紙をマティアスに渡した。マティアスは受け取って、目も通さずに畳んだ。
「アルンド。取引をしよう」
「はい」
「登録を回復させてやる。過怠金も取り下げる。条件は一つだ」
「伺います」
「木型を、組合に預けろ」
わたくしは奥の棚のほうを見た。布はかかったままだ。
「全部でしょうか」
「レーベン家のぶんだけでいい」
外で、雪解けの水が樋を流れる音がしていた。
「なぜ、あの型だけを」
「頼まれている」
「レーベン家からでございますか」
「言えん」
わたくしは、しばらく黙っていた。考えていたのではない。返事は決まっている。ただ、この人がなぜここまで来たのかが分からなかった。罰金のためではない。この距離を馬車二台で来る額ではない。
「ケラー様」
「なんだ」
「お断りいたします」
「登録は戻らんぞ」
「はい」
「王都では一生売れん」
「北で売ります」
この人は、こちらを脅しに来たのではない。脅すだけなら、書状を二度出せば済む。若い者を二人よこせば済む。自分で来る理由が、どこかにある。マティアスは、初めて土間の奥まで歩いてきた。三歩。四歩。わたくしは、そこで手を止めた。
この人は、右足を引きずっていない。引きずってはいないが、歩幅が左右で違う。右のほうが、指の幅ふたつぶん短い。短いぶんを、上体を前へ倒して補っている。靴は上等だ。革も縫いも申し分ない。ただ、爪先の形が、足の形と違う。
「……何を見ている」
「失礼いたしました」
「何を見ていた、と訊いている」
わたくしは、正直に申し上げた。
「お靴でございます」
「靴屋が靴を見て何が悪い」
「悪くございません」
その男は、こちらを睨んだ。睨まれる理由は、たぶん、こちらにある。
「ケラー様。差し出がましいことを申し上げます」
「言うな」
「あなたも、合わない靴を履いていらっしゃいます」
土間の音が、消えた。男たちが、数えるのをやめてこちらを見ていた。
「……何を」
「右の爪先が、内へ寄っております。お靴の爪先は、まっすぐでございます。合っておりません」
「余計な」
「歩幅が違っておいでです。右が短い。短いぶんを、腰で送っていらっしゃいます」
マティアスは、動かなかった。
「三十年ほど、そうしていらっしゃいますね」
「……何を根拠に」
「歩き方でございます。若い頃からのものは、上体で補います。後からのものは、杖に頼ります」
その男は、自分の足元を見下ろした。見下ろして、しばらく、そのままだった。
「アルンド」
「はい」
「あんたの親父も、同じことを言った」
わたくしは、糸車の縁を握った。
「三十年前だ。俺がまだ、店を持ったばかりの頃だ。ヨナスは俺の靴を見て、合っていないと言った」
「はい」
「俺は怒った。腕を疑われたと思ったからだ」
「はい」
「……あれは、腕の話じゃなかったんだな」
外で、若い者が馬をなだめる声がした。坂の上に停めた馬は、待たされると落ち着かない。その男は、外套の襟を直した。
「検分は終わりだ。行くぞ」
男たちが、慌てて道具をしまった。マティアスは扉のところで、一度だけ止まった。
「過怠金は、来月また出す」
「承知いたしました」
「取り下げはせん」
「はい」
「……登録の件は、事務方に確認しておく」
扉が閉まった。
◇
ノラが、扉を睨んだまま言った。
「奥様。あれ、どっちですか」
「どちらとは」
「勝ったんですか、負けたんですか」
「どちらでもございません」
わたくしは糸車を回した。
「あの方は、また来ます」
「え」
「三十年、合わない靴を履いていらっしゃる方です。合う靴を知ってしまえば、たいてい、もう一度来ます」
ノラは、しばらく考えていた。
「……それ、商売として、うまくないですか」
「うまくございません」
「なんでですか」
「あの方の型を彫ると、王都の組合を敵に回した工房が、王都の組合長の靴を作ることになります」
わたくしは糸を切った。
「ややこしゅうございます」
◇
その日は、それから誰も来なかった。
夕方までに、籠の靴を九足片づけた。九足のうち七足が、爪先の縫い割れだった。同じ直し。同じ手順。手が勝手に動く。考えごとをするには、ちょうどよい仕事だった。
考えていたのは、罰金のことではない。あの人が「頼まれている」と言ったことだ。頼んだのはレーベン家だろう。だが、あの家に組合を動かせる者はいない。旦那様は儀典官で、お義母様は屋敷から出ない。誰かが、あいだにいる。
その日の夕方、坂の上から使いが来た。ガイスト家の紋の付いた封筒だった。中は一行だけだった。
――王都から、客が来る。
どなたが来るのかは、書いてございませんでした。




