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旦那様の足に合う靴は、もうどこにもございません  作者: 柊木ましろ


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18/23

第18話 組合長の足

 組合の書状が届いたのは、雪が本格的に緩みはじめた頃だった。封蝋は王都靴商組合の紋。中身は二枚。一枚が通知で、一枚が請求書だった。


 ――貴殿は組合登録を有さず靴の製作及び販売を行っている。王国内における無登録営業に対し、過怠金を課す。


 金額が書いてあった。この店の家賃の、十一月ぶんだった。


「奥様。これ、なんですか」


「罰金でございます」


「なんの」


「登録をせずに靴を作った罰でございます」


「北ですよ、ここ。王都の組合、関係ないじゃないですか」


「王国内、と書いてございます」


 ノラは通知を覗き込んで、それから、鼻に皺を寄せた。


「……払うんですか」


「払いません」


「じゃあ、どうするんですか」


「払わずにおりますと、たぶん、向こうが来ます」


  ◇


 来たのは、八日後だった。その八日で、雪はずいぶん減った。屋根から落ちるのが塊でなく水になり、通りの端に泥が出た。泥は雪より靴に悪い。染みると乾いてから革が縮む。だから、この時期はいちばん忙しい。忙しい時期に、来た。


 馬車が二台。坂の下に停まって、二台目から荷が下ろされた。荷ではなく、人が三人だった。先に入ってきたのは、若い男二人。組合の記章をつけている。それから、マティアス・ケラーが入ってきた。


「工房を検分する」


 挨拶はなかった。


「どうぞ」


「……妙に素直だな」


「隠すものがございません」


 男たちは土間を歩き回った。籠を覗き、棚を見て、作業台の道具を数えた。数えながら、紙に書いている。革包丁が四本。鉋が二丁。小刀が三本。針が十二本。糸車が一台。巻き尺が二本。彫り台が一つ。


 書き取られると、ずいぶん少なく見えた。実際、少ない。父の工房には、この三倍あった。マティアスは動かなかった。入口の近くに立って、こちらを見ていた。


「アルンド。無登録営業は罰金だけで済まん」


「はい」


「道具を差し押さえる。木型もだ」


「木型は、王国靴商法 第九条により、彫成した職人に属します」


「その職人が無登録なら、話は別だ」


「第九条に、そのような但し書きはございません」


「解釈だ」


「どなたの」


「組合の」


 わたくしは糸車の前から立ち上がった。


「ケラー様。伺ってもよろしいですか」


「なんだ」


「三年前、父の登録の更新届は、なぜ受理されなかったのでしょう」


「事務方の話だと言った」


「事務方に伺いましたら、まとめ役の判断だと申しておりました」


 王都の三日で、そこだけは調べておいた。調べるのは簡単だった。受付の書記が、聞かれたことに素直に答える人だったからだ。マティアスは、表情を変えなかった。


「……よく調べたな」


「はい」


「言っておくが、俺はあんたの親父を潰したわけじゃない」


「そうですか」


「ヨナスは自分から降りた。御用達も、組合の席も、全部だ。俺は止めた」


「止めた」


「二度な。あれだけの腕を捨てる理由が分からんかった」


 男たちが、棚の布をめくろうとしていた。マティアスが手を上げて、止めた。


「理由を、あんたは知っているのか」


「存じません」


「そうか」


 その男は、少し息を吐いた。


「知らんまま、同じことをしているわけだ」


 男たちが道具を数え終えて、紙をマティアスに渡した。マティアスは受け取って、目も通さずに畳んだ。


「アルンド。取引をしよう」


「はい」


「登録を回復させてやる。過怠金も取り下げる。条件は一つだ」


「伺います」


「木型を、組合に預けろ」


 わたくしは奥の棚のほうを見た。布はかかったままだ。


「全部でしょうか」


「レーベン家のぶんだけでいい」


 外で、雪解けの水が樋を流れる音がしていた。


「なぜ、あの型だけを」


「頼まれている」


「レーベン家からでございますか」


「言えん」


 わたくしは、しばらく黙っていた。考えていたのではない。返事は決まっている。ただ、この人がなぜここまで来たのかが分からなかった。罰金のためではない。この距離を馬車二台で来る額ではない。


「ケラー様」


「なんだ」


「お断りいたします」


「登録は戻らんぞ」


「はい」


「王都では一生売れん」


「北で売ります」


 この人は、こちらを脅しに来たのではない。脅すだけなら、書状を二度出せば済む。若い者を二人よこせば済む。自分で来る理由が、どこかにある。マティアスは、初めて土間の奥まで歩いてきた。三歩。四歩。わたくしは、そこで手を止めた。


 この人は、右足を引きずっていない。引きずってはいないが、歩幅が左右で違う。右のほうが、指の幅ふたつぶん短い。短いぶんを、上体を前へ倒して補っている。靴は上等だ。革も縫いも申し分ない。ただ、爪先の形が、足の形と違う。


「……何を見ている」


「失礼いたしました」


「何を見ていた、と訊いている」


 わたくしは、正直に申し上げた。


「お靴でございます」


「靴屋が靴を見て何が悪い」


「悪くございません」


 その男は、こちらを睨んだ。睨まれる理由は、たぶん、こちらにある。


「ケラー様。差し出がましいことを申し上げます」


「言うな」


「あなたも、合わない靴を履いていらっしゃいます」


 土間の音が、消えた。男たちが、数えるのをやめてこちらを見ていた。


「……何を」


「右の爪先が、内へ寄っております。お靴の爪先は、まっすぐでございます。合っておりません」


「余計な」


「歩幅が違っておいでです。右が短い。短いぶんを、腰で送っていらっしゃいます」


 マティアスは、動かなかった。


「三十年ほど、そうしていらっしゃいますね」


「……何を根拠に」


「歩き方でございます。若い頃からのものは、上体で補います。後からのものは、杖に頼ります」


 その男は、自分の足元を見下ろした。見下ろして、しばらく、そのままだった。


「アルンド」


「はい」


「あんたの親父も、同じことを言った」


 わたくしは、糸車の縁を握った。


「三十年前だ。俺がまだ、店を持ったばかりの頃だ。ヨナスは俺の靴を見て、合っていないと言った」


「はい」


「俺は怒った。腕を疑われたと思ったからだ」


「はい」


「……あれは、腕の話じゃなかったんだな」


 外で、若い者が馬をなだめる声がした。坂の上に停めた馬は、待たされると落ち着かない。その男は、外套の襟を直した。


「検分は終わりだ。行くぞ」


 男たちが、慌てて道具をしまった。マティアスは扉のところで、一度だけ止まった。


「過怠金は、来月また出す」


「承知いたしました」


「取り下げはせん」


「はい」


「……登録の件は、事務方に確認しておく」


 扉が閉まった。


  ◇


 ノラが、扉を睨んだまま言った。


「奥様。あれ、どっちですか」


「どちらとは」


「勝ったんですか、負けたんですか」


「どちらでもございません」


 わたくしは糸車を回した。


「あの方は、また来ます」


「え」


「三十年、合わない靴を履いていらっしゃる方です。合う靴を知ってしまえば、たいてい、もう一度来ます」


 ノラは、しばらく考えていた。


「……それ、商売として、うまくないですか」


「うまくございません」


「なんでですか」


「あの方の型を彫ると、王都の組合を敵に回した工房が、王都の組合長の靴を作ることになります」


 わたくしは糸を切った。


「ややこしゅうございます」


  ◇


 その日は、それから誰も来なかった。


 夕方までに、籠の靴を九足片づけた。九足のうち七足が、爪先の縫い割れだった。同じ直し。同じ手順。手が勝手に動く。考えごとをするには、ちょうどよい仕事だった。


 考えていたのは、罰金のことではない。あの人が「頼まれている」と言ったことだ。頼んだのはレーベン家だろう。だが、あの家に組合を動かせる者はいない。旦那様は儀典官で、お義母様は屋敷から出ない。誰かが、あいだにいる。


 その日の夕方、坂の上から使いが来た。ガイスト家の紋の付いた封筒だった。中は一行だけだった。


 ――王都から、客が来る。

 どなたが来るのかは、書いてございませんでした。

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