↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
旦那様の足に合う靴は、もうどこにもございません  作者: 柊木ましろ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/23

第16話 作れない靴

 王都に残る三日で、父の工房を片づけることにした。売るためではない。三年ぶんの埃を落として、板戸を直して、鍵をかけ直す。それだけだ。放っておけば傷む。傷めば、いずれ売るしかなくなる。


 板戸を外す。日を入れる。埃が舞う。舞った埃が落ちるまで、四半刻ほどかかる。落ちてから拭く。順を間違えると、二度手間になる。ノラが床を掃いていた。掃きながら、時々くしゃみをしていた。


「奥様。この埃、三年ぶんですか」


「そうです」


「三年で、こんなに積もるんですね」


「積もります。人が通らないところは、特に」


 わたくしは棚板を外して、外に立てかけた。日に当てて乾かす。乾かしてから戻す。手順は父のやり方だ。理由は聞いていない。聞かずに覚えたことのほうが、たぶん多い。


  ◇


 昼過ぎに、外で馬車が停まった。こういう通りに馬車が停まることは、あまりない。荷馬車ではなかった。塗りのある、小さな四輪だ。


 降りてきたのは、若い女性だった。


 外套の裾を持ち上げて、石畳の水たまりを避けて歩いてくる。避け方が上手ではない。裾ではなく、足の置き方を変えたほうが早いのだが、そういう歩き方を習っていない人なのだろう。


 外套は仕立てが良い。裾が濡れていない。濡らさずに歩くのは難しい。馬車から店まで、十歩もないからできることだ。その方は、店の前で立ち止まって、看板を見上げた。それから、中を覗いた。


「あの、こちら、アルンドさんの」


「はい」


「よかった。開いてる」


 その方は、ほっとした顔で入ってきた。入ってきて、わたくしの顔を見て、止まった。わたくしは、棚板を持ったままだった。持っていて助かった。手が塞がっていると、間が持つ。


「セリーヌ様」


「……あ」


 その方は、扉のところで一歩下がった。それから、下がったことに気づいて、また前に出た。


「あの、」


「片づけの途中でございます。埃が立ちますので、そちらでお待ちください」


「あ、はい」


 わたくしは棚板を外に立てかけて、手を拭いた。三年ぶりに見る顔だった。三年前より少し痩せている。目の下に、隠しきれない色がある。


「お座りになりますか」


「椅子が」


「ございません。父が譲ってしまいましたので」


「……あ、はい」


「どうして、こちらへ」


「仲買の方に伺ったんです。北にアルンドという靴屋があると。それで、王都の店を調べたら、ここが」


「そうですか」


「まさか、あなたが……いえ、あの」


 その方は、そこで言葉を探した。探して、見つからなかったらしい。


「ごめんなさい」


「何のことでしょう」


「……いえ」


 その方は、両手で外套の前を握っていた。わたくしは、それ以上訊かなかった。訊けば、答えなければならなくなる。答えれば、その方が困る。


「ご用件を伺ってもよろしいですか」


「はい。あの、靴のことで」


「婚礼の一対でございますね」


「ご存じで」


「北で伺いました。お受けできないと申し上げました」


 その方は頷いた。


「知っています。仲買の方から聞きました」


「では」


「今日は、注文に来たんじゃないんです」


 その方は、鞄から書付を出した。例の一枚だ。折り目が、前より一つ増えている。


「これ、あなたが書かれたんですね」


「はい」


「王都の職人さんが、三人とも同じことを言うんです。この寸法どおりに作ったのに合わない、と」


「合いません」


「なぜですか」


 わたくしは布を畳んで、作業台の跡の上に置いた。


「三年前の数字でございます」


「はい。それは伺いました。……でも、それだけじゃないんですよね」


 この方は、思っていたより察しがよい。


「三年前の数字が、なぜ三年前まで合っていたのか」


「え」


「そこが、たぶん、お知りになりたいことです」


 その方は、書付を握ったまま、こちらを見た。


「三月に一度、お靴をお預かりしておりました」


「……三月に一度」


「はい。二日で返します。その二日で、中敷きを剥がして、当たりを見ます」


「当たり」


「革の内側に、跡がつきます。強く当たっているところは、毛羽が立ちます」


 わたくしは自分の手のひらを見せた。ここ、と親指の付け根を指す。


「旦那様は、ここに体重が乗ります。乗れば、骨が外へ押されます。押されはじめたら、その位置の革を内から少し彫って、逃がします」


「逃がすと」


「そこは、止まります」


「止まる」


「はい。三年、止まっておりました」


 その方は、まばたきを一度した。


「……それだけですか」


「それだけです。十年」


 しばらく、誰も何も言わなかった。土間は狭い。三人立つと、もう動けない。ノラは奥に引っ込んでいる。息を殺しているのが分かった。外で、パン屋の女将が誰かと立ち話をしていた。声が高い。この通りの音だ。


「あの」


「はい」


「ヴァルター様は、そのことを」


「ご存じないと思います」


「言わなかったんですか」


「訊かれませんでした」


 その方は、そこで初めて、少し怒った顔をした。怒られる筋合いはあると思ったので、黙っていた。


「……言えばよかったのに」


「はい」


「言えば、あの人だって」


 その方は、そこで止まった。止まったのは、たぶん、続きが自分でも分かってしまったからだ。


「セリーヌ様。ひとつだけ、申し上げてもよろしいですか」


「はい」


「今からでは、間に合いません」


「……はい」


「三年ぶんの張り出しは、三月では戻りません。戻す方法はございますが、一年はかかります」


「一年」


「はい。式が春でしたら、間に合いません」


 その方は、書付を鞄にしまった。しまうときに、端を指で揃えた。その手つきを、わたくしは知っている。三年前の玄関で、手巾を持っていた手だ。


「……あの、最後に一つ」


「はい」


「あなたは、怒っていらっしゃらないんですか」


 わたくしは、棚板のほうを見た。日が傾いて、板の影が長くなっている。乾くまで、あと半刻はかかる。


「怒っております」


「え」


「ただ、あなた様に申し上げても、何も直りません」


 その方は、口を開けた。それから、閉じた。深く頭を下げて、出ていった。馬車の音が遠くなった。


  ◇


 ノラが、掃除の手を止めていた。


「奥様」


「はい」


「あの人、詰め物の人ですよね」


「そうです」


「言わなかったんですね。詰め物のこと」


「言う必要がございません」


「言えば、たぶん、すごく効いたと思いますけど」


「効きます」


 わたくしは棚板を取りに、外へ出た。日が回って、板の片面だけが乾いていた。裏返す。乾いた面を内に向ける。反りは、乾き方の差から出る。


「効くことを言うと、こちらも同じだけ減ります」


  ◇


 その晩、宿に手紙が届いていた。北からの転送で、封蝋はレーベンの紋。ただし、字が違った。義母のものだ。


 ――こちらの事情を、あなたも聞いていることと思います。話があります。戻ってきなさい。


 三行だった。謝罪の行は、ない。わたくしは封筒を、荷の底へ入れた。父の手紙の隣に。開けていない手紙が、二通になった。

 明日、北へ発ちます。四日かかります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。