第14話 王都へ
王都までは、馬車で四日かかった。アーベル様は石畳用の靴を履いていらした。
二日目の宿で、わたくしは底を見せていただいた。
「どうだ」
「よろしゅうございます。踵の外が、少しだけ」
「減っているのか」
「減っております。予定どおりです」
「予定どおりに減るものなのか」
「減る場所を決めておくのが、底の仕事でございます」
その方は、靴を履き直した。座ったまま履けるようになっている。十日前は、壁に手をついていた。ノラは道中ずっと窓の外を見ていた。三日目から、だんだん口数が減った。
◇
王都の門を抜けたのは、四日目の昼だった。石畳の音は、雪の街と違う。車輪の音が高い。乾いている。人の足音も高い。この街では、みな踵から落とす。落としても沈まないからだ。
沈まない道は、楽に見える。実際には逆だ。沈まないぶん、衝撃が全部身体へ返る。返った先は膝と腰だ。王都の人が四十を過ぎて腰を痛めるのは、たいていこれのせいだった。
ノルデンの人は、腰より先に靴を壊す。どちらが幸せかは、決めかねる。ノラは、荷馬車の座席の端に寄っていた。
「ノラ」
「はい」
「気分が悪ければ、宿で休んでいて構いません」
「悪くないです」
「そうですか」
「……悪くないです」
二度言った。二度言うときは、たいてい逆だ。わたくしは、それ以上訊かなかった。この子が話したくなるのは、たぶん、もっとあとだ。
◇
宿へ荷を置いて、その足で父の工房へ向かった。三年ぶりではない。半月ぶりだ。半月前に、わたくしはあの抽斗を開けている。通りに入ると、パン屋の女将が箒を持って出てきた。こちらを見て、箒を落としそうになった。
「あら、あらまあ。お嬢さん」
「ご無沙汰しております」
「ご無沙汰って、半月前じゃないの。……あら、そちらは」
女将が、アーベル様を見上げた。かなり見上げていた。
「北の、ガイスト辺境伯様でいらっしゃいます」
「へん、きょう、はく」
女将は箒を抱えたまま、二歩下がった。それから、慌てて頭を下げた。
「うちのパン、召し上がりますか」
「いただこう」
「いま焼けます。いま焼けますので、少々」
女将が店へ駆け込んだ。アーベル様が、少し困った顔でこちらを見た。
「……俺は、何かしたか」
「辺境伯様がこの通りを歩かれるのは、たぶん初めてでございます」
「そうか」
「みなさま、驚いておいでです」
実際、通りの人が振り返っていた。振り返って、それから、その方の足元を見ていない。杖を持っていないからだ。この十年、その方が外を歩けば、人はまず足を見た。今日は、誰も見ていない。
◇
工房の錠は、また渋かった。中は半月前と同じだ。埃も同じ。開けた抽斗も、開けたまま閉め忘れている。窓の板戸を外した。光が入る。床に丸い跡が四つある。父の作業台の脚の跡だ。台はもう無い。父が死んだ年に、近所の指物屋へ譲った。
跡だけが残っている。跡は掃いても消えない。ノラが入ってきて、ぐるりと見回した。
「ここ、奥様のお父さんの店ですか」
「そうです」
「せまいですね」
「北のほうが広うございます」
「北のほうが安いからじゃないですか」
「そうです」
ノラは壁の空の棚に手を触れた。
「……木型、ここにあったんですか」
「ええ。父が死んだ年に、全部運び出しました」
「なんで」
「置いておくと、組合が持っていきますので」
ノラの手が止まった。
「持ってっちゃうんですか。他人のを」
「廃業した職人の型は、組合が引き取る決まりだそうです」
「決まりって、誰が決めたんですか」
「組合です」
その男が入ってきたのは、そのときだった。入る前に、扉の枠を二度叩いた。叩いてから、返事を待たずに入ってきた。
「開いてるのは久しぶりだな」
五十くらいだろうか。上等な外套を着ている。手袋を外さない。
「どちら様でしょう」
「マティアス・ケラーだ。王都靴商組合の、まとめ役をやっている」
わたくしは頭を下げた。
「リディア・アルンドと申します」
「知っている」
その男は、店の中をゆっくり見回した。見回すというより、値踏みしていた。
「三年、放ってあった。売る気になったのかと思ってな」
「売りません」
「そうか」
男は帳場に手を置いた。
「アルンドの娘か。……言っておくが、この街で靴は作れんぞ」
「なぜでしょう」
「組合の登録が失効している。ヨナスが死んだ年に切れて、そのままだ」
「更新の届けは、出しておりました」
「受理されておらん」
「なぜでしょう」
「知らんな。書類のことは、事務方の仕事だ」
男は、初めてこちらの顔を見た。
「登録なしで王都で靴を売れば、罰金が出る。工房は封じる。悪いことは言わん。売って北へ帰れ」
「北のことも、ご存じで」
「知らん者はおらんよ。木型を積んで街を出た女の話だ」
その男は、それから壁の空の棚を見た。
「型は、どこへやった」
「持っております」
「持っている、というのは」
「北に置いてまいりました」
「あれは本来、組合が預かるものだ」
「王国靴商法 第九条」
男の眉が、一度だけ動いた。
「……よく知っているな」
「父が二度、書き写しておりました」
「二度」
「はい」
男は、少し黙った。それから、笑った。声を出さない笑い方だった。
「あんたの親父は、勝手に降りた男だ」
「降りた、と申しますと」
「王室の御用達だった。誰も辞めろとは言っておらん。自分から返上した」
「理由をご存じですか」
「知らん」
この男は、二度目の「知らん」だ。一度目より短かった。
「あれから、この組合はずいぶん楽になった。……煩いのが一人減ると、後がやりやすい」
この人は、父を知っている。知っているだけではない。名前を出すときの調子が、ただの同業のものではなかった。煩い、と言った。煩いと感じるほど近くにいた人の言い方だ。
父は組合の話を家でしなかった。御用達を返上した年も、何も言わなかった。ただ、その年から仕事が半分に減った。減った理由も、言わなかった。男は帳場から手を離した。
「娘さんも、静かにしていることだ」
扉が閉まった。ノラが、扉のほうを睨んでいた。
「奥様。あの人、なんなんですか」
「組合のまとめ役の方です」
「感じ悪いです」
「そうですね」
「言い返さないんですか」
「言い返す材料がございません」
わたくしは帳場の抽斗を閉めた。閉めてから、また開けた。中には何も入っていない。半月前に、全部持っていった。あの手紙は、いま荷の底にある。封は切っていない。
王都まで持ってきたのは、開ける気になったからではない。置いていくのが落ち着かなかったからだ。理由としては、あまり上等ではない。
「ノラ。明日は軍務府です」
「はい」
「靴は、二十二足あります。宿に届いております」
外で、アーベル様がパンを受け取っていた。女将が三つも四つも押しつけている。断り方が下手な人だ。わたくしは戸口へ出た。
「アーベル様」
「なんだ」
「明日、軍務府が開くのは、何刻でしょう」
「八刻だ」
「では、七刻半に参りましょう」
「早いな」
「一番に入りますと、追い返す口実が一つ減ります」
その方は、パンの袋を抱えたまま、こちらを見た。
「……あんたは、いつもそういうことを考えているのか」
「いつもではございません」
嘘だ。その方は、袋の口を折り畳んだ。畳み方が丁寧だった。わたくしは戸を閉めた。錠は渋い。二度回す。回してから、看板を見上げた。
「アルンド靴工房」。二画目が太い。
この街では、この看板を出せないのだという。出せないなら、下ろせばよいのだが、下ろす気にはならなかった。たいてい、考えている。
軍務府は、八刻に開くそうです。七刻半に参ります。




