第13話 靴を持たない子
王都へ発つのは、四日後と決まった。その四日で、片づけなければならないことがあった。籠に四十三足。半分は仕上がっている。残りは、戻ってからになる。番号を書いた紙を、順に並べ替えた。
急ぎのものと、そうでないものに分ける。急ぎというのは、その靴しか持っていない方のことだ。二足お持ちの方は、待っていただける。三足お持ちの方は、この街には少ない。
「奥様。これ、待ってもらうんですか」
「待っていただきます」
「怒られませんか」
「怒られます」
「言い方は」
「正直にです。王都へ行くので、十日ほど留守にする、と」
ノラは紙を数えながら、少し黙った。
「……あたしも行くんですか」
「連れていきます」
「なんでですか。留守番のほうがよくないですか」
「店を空けます。二人とも行きます」
ノラは紙を置いた。
「奥様。あたし、王都には戻りたくないです」
わたくしは手を止めた。
「理由を伺っても」
「別に。……戻る理由がないだけです」
◇
その夜、わたくしは巻き尺を持って土間へ出た。
「ノラ」
「はい」
「足を出してください」
ノラが顔を上げた。
「なんでですか」
「王都は石畳です。布では歩けません」
「歩けますよ。ここまで歩いてきました」
「歩けます。歩けますが、十日は無理です」
ノラは動かなかった。土間の隅で、膝を抱えて座ったままだった。
「……いいです。あたし、靴は」
「合わないから、でしょう」
ノラの肩が、少し動いた。
「なんで」
「布の巻き方が、右だけ厚うございます。ずっとそうでした」
しばらく、返事がなかった。外で雪が落ちた。この街の音だ。
「……買えないんじゃないです」
ノラが、そう言った。
「買ったことは、あります。二回。二回とも、三日で脱ぎました」
「痛かったのですね」
「右が。左は平気なのに、右だけ、指のところが」
「大きさが違うからです」
「そうです。でも、そう言ったら、店の人が」
ノラはそこで止まった。止めて、それから続けた。
「――みんな多少は違う、慣れろって」
「慣れません」
「慣れないですよね」
「慣れません」
わたくしは巻き尺を床に置いた。
「ノラ。座ったままで結構です。足だけ、こちらへ」
ノラは、しばらく迷ってから、布を解いた。
右が大きい。左より、指の幅ひとつぶん。それだけではない。右の甲が高く、小指の付け根が外へ出ている。左は平らだ。まるで別の人の足を二つ並べたようだった。
わたくしは、両方を測った。数字を書き取った。
「ノラ」
「はい」
「あなたの足は、左右で別のものです」
「……はい」
「ですから、揃いの靴は痛みます。当たり前です」
「当たり前」
「はい。あなたの足のほうが正しいのです。靴が二足ぶん要るだけの話です」
ノラは、自分の足を見ていた。
「……二足ぶんって、二倍の値段ですよね」
「木型が二つ要ります。革は同じです」
「じゃあ、高いじゃないですか」
「わたくしが彫ります」
「だから、それが」
「ノラ」
わたくしは巻き尺を巻き取った。
「これは、給金から引きます」
ノラが顔を上げた。
「引くんですか」
「引きます。三月に分けて」
「……あ」
「施しは受けないのでしょう」
ノラは口を開けて、それから閉じた。
「……はい」
「では、そういたします」
◇
木型は、二日で彫った。寝る時間を削った。四日しかない。うち二日を木型に使えば、靴に使えるのは一日だ。削る音が、夜の土間によく響いた。楢は硬い。硬い木は、削るときに高い音がする。低い音になったところが、詰まっているところだ。
二つ彫るのは、一つ彫るより手間が三倍かかる。左右で形が違うので、片方の癖をもう片方に移せない。同じ木から挽いた材を使って、別々の足を彫る。
右は甲を高く、小指の逃げを取った。逃げというのは、当たるところを彫り込んで空けることだ。彫りすぎると、そこだけ隙間になって靴の中で足が動く。動けば、また当たる。左は素直な形だ。素直なぶん、締まりを強くしないと脱げる。
左右で作りを変えると、履いたときの感じも変わる。同じに感じさせるために、違う作りをする。ここが、いちばん難しい。彫っているあいだ、ノラは横で見ていた。何も言わなかった。この子が二日も黙っていたのは初めてだった。
三日目の朝に、靴が出来た。牛の柔らかいところで、くるぶしまでのものにした。雪でも王都でも履ける作りだ。底は薄く、内側に布を一枚。左右を並べて、作業台に置いた。
「ノラ」
「はい」
「できました」
ノラは近づいてきて、それを見た。それから、動かなくなった。
「……これ」
「はい」
「これ、あたしの、なんですか」
「あなたの木型で作りました。ほかの人には合いません」
ノラは手を伸ばして、右のほうを取った。取って、中を覗いた。中に何かあるわけではない。ただ、覗いた。
「……大きさ、ちがう」
「違います」
「ちがっていいんですか」
「あなたの足が違いますので」
ノラは、靴を持ったまま、土間に座り込んだ。しばらくして、鼻をすする音がした。わたくしは糸車の前に戻って、糸を巻いた。こういうときは、見ないほうがいい。
「……奥様」
「はい」
「あたし、口が悪いです」
「存じております」
「たぶん、これからも直りません」
「直さなくて結構です」
「あの」
「はい」
「……ありがとうございます」
わたくしは糸車を止めた。止めてから、また回した。
「履いてみてください。当たるところがあれば、今日のうちに直します」
当たるところは、二か所あった。右の小指と、左の踵の上。右は逃げを少し深くした。左は、縁を指の幅の半分だけ落とした。落とした縁は、糸で巻いて留める。留めておかないと、そこから伸びる。直しは半刻で済んだ。
ノラは、その日ずっと土間を歩いていた。五歩行って、五歩戻る。三十回はやっていた。夕方には外へ出て、坂を上って下りてきた。帰ってきて、開口一番こう言った。
「奥様。坂って、こんなに楽なんですね」
「布よりは」
「布と全然ちがいます。あたし、今まで坂を上ってなかったです」
「上っていました」
「上ってましたけど、上り方が下手でした」
この子は、たまに正しい言い方をする。上り方が下手、というのは、そのとおりだった。合わない履物で坂を上ると、人は指で地面を掴もうとする。掴めば、爪先に力が集まる。集まった力は、そのまま靴を壊す。
この街の靴が三月で駄目になっていたのは、坂のせいでも、履く人のせいでもない。上り方を下手にさせる履物のせいだった。
◇
その晩、荷を作った。王都へ持っていくものを並べる。巻き尺。革包丁。糸と針。紙と鉛筆。父の帳面から写した条文。それから、封を切っていない手紙を一通。服は少ない。持って出たものが、もともと少なかった。
木型は置いていく。四十三足ぶんの型はまだ彫っていないし、婚家の型は持ち歩くものではない。奥の棚に布をかけて、鍵をかけた。鍵は宿の主人に預けた。
――中は木でございます。盗まれても、誰も使えません。
そう申し上げたら、主人は笑って受け取った。最後に、わたくしはアーベル様へ使いを出した。用件は一つだけ書いた。
――部下の方々が戦のころに履いていらした靴を、履き古したままで結構ですので、集めてお持ちください。
返事は、その日のうちに来た。
――何足だ。
わたくしは、こう返した。
――二十二足でございます。
捨てずに取ってある靴が、二十二足あるかどうか。それだけが心配でした。




