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旦那様の足に合う靴は、もうどこにもございません  作者: 柊木ましろ


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13/23

第13話 靴を持たない子

 王都へ発つのは、四日後と決まった。その四日で、片づけなければならないことがあった。籠に四十三足。半分は仕上がっている。残りは、戻ってからになる。番号を書いた紙を、順に並べ替えた。


 急ぎのものと、そうでないものに分ける。急ぎというのは、その靴しか持っていない方のことだ。二足お持ちの方は、待っていただける。三足お持ちの方は、この街には少ない。


「奥様。これ、待ってもらうんですか」


「待っていただきます」


「怒られませんか」


「怒られます」


「言い方は」


「正直にです。王都へ行くので、十日ほど留守にする、と」


 ノラは紙を数えながら、少し黙った。


「……あたしも行くんですか」


「連れていきます」


「なんでですか。留守番のほうがよくないですか」


「店を空けます。二人とも行きます」


 ノラは紙を置いた。


「奥様。あたし、王都には戻りたくないです」


 わたくしは手を止めた。


「理由を伺っても」


「別に。……戻る理由がないだけです」


  ◇


 その夜、わたくしは巻き尺を持って土間へ出た。


「ノラ」


「はい」


「足を出してください」


 ノラが顔を上げた。


「なんでですか」


「王都は石畳です。布では歩けません」


「歩けますよ。ここまで歩いてきました」


「歩けます。歩けますが、十日は無理です」


 ノラは動かなかった。土間の隅で、膝を抱えて座ったままだった。


「……いいです。あたし、靴は」


「合わないから、でしょう」


 ノラの肩が、少し動いた。


「なんで」


「布の巻き方が、右だけ厚うございます。ずっとそうでした」


 しばらく、返事がなかった。外で雪が落ちた。この街の音だ。


「……買えないんじゃないです」


 ノラが、そう言った。


「買ったことは、あります。二回。二回とも、三日で脱ぎました」


「痛かったのですね」


「右が。左は平気なのに、右だけ、指のところが」


「大きさが違うからです」


「そうです。でも、そう言ったら、店の人が」


 ノラはそこで止まった。止めて、それから続けた。


「――みんな多少は違う、慣れろって」


「慣れません」


「慣れないですよね」


「慣れません」


 わたくしは巻き尺を床に置いた。


「ノラ。座ったままで結構です。足だけ、こちらへ」


 ノラは、しばらく迷ってから、布を解いた。


 右が大きい。左より、指の幅ひとつぶん。それだけではない。右の甲が高く、小指の付け根が外へ出ている。左は平らだ。まるで別の人の足を二つ並べたようだった。


 わたくしは、両方を測った。数字を書き取った。


「ノラ」


「はい」


「あなたの足は、左右で別のものです」


「……はい」


「ですから、揃いの靴は痛みます。当たり前です」


「当たり前」


「はい。あなたの足のほうが正しいのです。靴が二足ぶん要るだけの話です」


 ノラは、自分の足を見ていた。


「……二足ぶんって、二倍の値段ですよね」


「木型が二つ要ります。革は同じです」


「じゃあ、高いじゃないですか」


「わたくしが彫ります」


「だから、それが」


「ノラ」


 わたくしは巻き尺を巻き取った。


「これは、給金から引きます」


 ノラが顔を上げた。


「引くんですか」


「引きます。三月に分けて」


「……あ」


「施しは受けないのでしょう」


 ノラは口を開けて、それから閉じた。


「……はい」


「では、そういたします」


  ◇


 木型は、二日で彫った。寝る時間を削った。四日しかない。うち二日を木型に使えば、靴に使えるのは一日だ。削る音が、夜の土間によく響いた。楢は硬い。硬い木は、削るときに高い音がする。低い音になったところが、詰まっているところだ。


 二つ彫るのは、一つ彫るより手間が三倍かかる。左右で形が違うので、片方の癖をもう片方に移せない。同じ木から挽いた材を使って、別々の足を彫る。


 右は甲を高く、小指の逃げを取った。逃げというのは、当たるところを彫り込んで空けることだ。彫りすぎると、そこだけ隙間になって靴の中で足が動く。動けば、また当たる。左は素直な形だ。素直なぶん、締まりを強くしないと脱げる。


 左右で作りを変えると、履いたときの感じも変わる。同じに感じさせるために、違う作りをする。ここが、いちばん難しい。彫っているあいだ、ノラは横で見ていた。何も言わなかった。この子が二日も黙っていたのは初めてだった。


 三日目の朝に、靴が出来た。牛の柔らかいところで、くるぶしまでのものにした。雪でも王都でも履ける作りだ。底は薄く、内側に布を一枚。左右を並べて、作業台に置いた。


「ノラ」


「はい」


「できました」


 ノラは近づいてきて、それを見た。それから、動かなくなった。


「……これ」


「はい」


「これ、あたしの、なんですか」


「あなたの木型で作りました。ほかの人には合いません」


 ノラは手を伸ばして、右のほうを取った。取って、中を覗いた。中に何かあるわけではない。ただ、覗いた。


「……大きさ、ちがう」


「違います」


「ちがっていいんですか」


「あなたの足が違いますので」


 ノラは、靴を持ったまま、土間に座り込んだ。しばらくして、鼻をすする音がした。わたくしは糸車の前に戻って、糸を巻いた。こういうときは、見ないほうがいい。


「……奥様」


「はい」


「あたし、口が悪いです」


「存じております」


「たぶん、これからも直りません」


「直さなくて結構です」


「あの」


「はい」


「……ありがとうございます」


 わたくしは糸車を止めた。止めてから、また回した。


「履いてみてください。当たるところがあれば、今日のうちに直します」


 当たるところは、二か所あった。右の小指と、左の踵の上。右は逃げを少し深くした。左は、縁を指の幅の半分だけ落とした。落とした縁は、糸で巻いて留める。留めておかないと、そこから伸びる。直しは半刻で済んだ。


 ノラは、その日ずっと土間を歩いていた。五歩行って、五歩戻る。三十回はやっていた。夕方には外へ出て、坂を上って下りてきた。帰ってきて、開口一番こう言った。


「奥様。坂って、こんなに楽なんですね」


「布よりは」


「布と全然ちがいます。あたし、今まで坂を上ってなかったです」


「上っていました」


「上ってましたけど、上り方が下手でした」


 この子は、たまに正しい言い方をする。上り方が下手、というのは、そのとおりだった。合わない履物で坂を上ると、人は指で地面を掴もうとする。掴めば、爪先に力が集まる。集まった力は、そのまま靴を壊す。


 この街の靴が三月で駄目になっていたのは、坂のせいでも、履く人のせいでもない。上り方を下手にさせる履物のせいだった。


  ◇


 その晩、荷を作った。王都へ持っていくものを並べる。巻き尺。革包丁。糸と針。紙と鉛筆。父の帳面から写した条文。それから、封を切っていない手紙を一通。服は少ない。持って出たものが、もともと少なかった。


 木型は置いていく。四十三足ぶんの型はまだ彫っていないし、婚家の型は持ち歩くものではない。奥の棚に布をかけて、鍵をかけた。鍵は宿の主人に預けた。


 ――中は木でございます。盗まれても、誰も使えません。


 そう申し上げたら、主人は笑って受け取った。最後に、わたくしはアーベル様へ使いを出した。用件は一つだけ書いた。


 ――部下の方々が戦のころに履いていらした靴を、履き古したままで結構ですので、集めてお持ちください。


 返事は、その日のうちに来た。


 ――何足だ。


 わたくしは、こう返した。


 ――二十二足でございます。

 捨てずに取ってある靴が、二十二足あるかどうか。それだけが心配でした。

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