シングルマザー
凪はしばらく俯いたまま歩いていた。
やがて、小さく息を吸う。
「……話すね。」
彗は何も言わず、その言葉を待った。
「私の家ね。」
「シングルマザーなんだ。」
少し間を置いて続ける。
「それで、妹が一人いるの。」
雨上がりの道に、二人の足音だけが響く。
「でも最近、お母さんが体調を崩しちゃって……。」
凪の声が少し震えた。
「入院してるんだ。」
「だから今は、家事も妹の世話も、私がやってる。」
「学校が終わったら急いで帰って、ご飯を作って、洗濯して……。」
「妹には心配かけたくないから、なるべく笑ってる。」
苦笑いを浮かべる。
「……でも、最近はお弁当を作る余裕もなくて。」
「本当は、お腹空いてる日も結構あるんだ。」
凪は少しだけ顔を上げた。
「誰にも気付かれてないと思ってた。」
「……水平君だけだった。」
その声には、安心と、少しだけ泣きそうな弱さが混じっていた。
彗は何も言わない。
ただ静かに隣を歩き続ける。
その沈黙は、不思議と気まずくはなかった。
しばらく沈黙が続いた。
住宅街に二人の足音だけが響く。
不意に、彗が口を開いた。
「……うち、来る?」
あまりにも突然の言葉だった。
凪は何を言われたのか理解できず、思考が止まる。
「……え?」
「妹さんも一緒に。」
彗は前を向いたまま続ける。
「うち、部屋は余ってるし。」
「親もしばらく帰ってこないから。」
まるで「今日は雨が降りそうだね」とでも言うような口調だった。
「え、でも……そんな……。」
凪は慌てて首を横に振る。
「迷惑になるし……。」
「ならないよ。」
彗は即答した。
「一人でいるのも二人でいるのも、あまり変わらないから。」
その一言に、凪は胸が締め付けられる。
この人は、自分がどれだけ寂しいことを言っているのか分かっていない。
「それに。」
彗は少しだけ振り返った。
「北宮さん、一人で全部背負おうとしてる。」
「妹さんも、不安だと思う。」
「だったら、少しだけ休める場所があってもいい。」
凪は目を見開く。
まただ。
自分のことはどうでもいいように振る舞うのに、人の苦しみだけは見逃さない。
「……なんで。」
震える声で尋ねる。
「なんで、そこまでしてくれるの?」
彗は少しだけ考え、それから首を傾げた。
「困ってる人がいたら助ける。」
「それって、そんなに変なこと?」
あまりにも自然な答えだった。
凪は堪えていた涙をこぼす。
この少年は、自分がどれほど傷ついているのか気付かないまま、誰かを救おうとしている。
その優しさが、たまらなく切なかった。




